第2話 狼獣人、辺境の地に身を潜める

「う、嘘だろ……」


 コスティールのモルガン領、山岳地帯にある山小屋の中で俺は呆然となった。


 どうやら自分は王女を嫁に迎えるらしい。


 まだ完全に決まった話ではないが、その可能性が高いこと、その方向で事態が進んでいるらしいことが、実家から届いた手紙には書かれている。


「そもそも、この手紙って本物か……?」


 あまりにも突拍子がなさすぎる。俺は開封した封筒を再度、じっくりと検分した。ちなみに手紙は今朝、ポストに入っていた。


「ちゃんと蝋封が施されてるな」


 蝋封にはモルガンの家系を表すシンボルマーク、切り立った山がしっかりと確認できた。それはつまり、この手紙が本物であることを示しているわけで……。


「あ、しまった」


 顔に近づけ過ぎたせいで、封筒を濡らしてしまった。俺はマズル(鼻口部)が長い。おまけに鼻先は常に濡れているので、書類などに目を通す際は注意が必要なのだ。


 手紙を持つ自分の手に視線を落として、何ともいえない気持ちになる。


 銀色の毛に覆われた手。指先からは、鋭い爪が伸びている。


「はぁ……」


 無意識にため息が漏れた。俺は普通の人間ではない。獣人だ。種別は狼。大昔には獣人もめずらしくなかったというが、現代では滅多に見かけない。

 

 おかげで珍獣扱いだ。


 ご先祖さまには申し訳ないが、俺は隔世遺伝を恨んでいる。


 こんな辺鄙な場所で一人暮らしをしているのも、家族の中で自分だけ姿形が違っているのも、子供の頃に「あ、犬が二足歩行してる!」とか「見て、ワンちゃんが服を着てるよ」と笑われて恥ずかしい思いをしたのも、すべてご先祖さまの遺伝子のせいなのだ。


「俺は犬じゃなくて、狼なんだよ!!」


「なーーにが、ワンちゃんだ!!」


「素っ裸で外にいたら変質者だろうが!!」


 大声を出しても近所迷惑にはなるはずもないので、思いっきり叫んでみる。最後にぐるるると喉が鳴ってしまった。意図していなかったので落ち込んだ。普通の人間はこんな風に唸ったりしない。


 がっくりと肩を落とすと、その拍子に封筒の中から一枚の紙がはらりと落ちた。

 

 どうやら、書類がもう一枚入っていたらしい。


「なんだ……? 身上書……?」


 書かれているのは、リア・シュヴァリエなる人物の一身に関する事柄。紛れも無く、コスティール王国の王女の身上書だった。


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       身上書


リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート・クリステル・トトゥ

 

本籍地:コスティール首都

現住所:コスティール首都(王宮)


S43年9月2日生


趣味:乳母とのお茶会

特技:植物研究

身長:155センチ

体重:40キロ

既往症:なし

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 俺は濡れた鼻先を手の甲で念入りにごしごしと拭った。そして、なるべくマズルを書類から離して注意深く身上書に目を通す。


「リア・シュヴァリエ・ファン・スチュワート……? まだ続くのか? 長ったらしい名前だな。おまけに何か偉そうだし、嫌味な感じだ」


 王女だから、偉そうも何もないのだが。


「えーーと、それで、本籍地はコスティールの首都。現在は王宮で暮らしてるのか。ふん、どうせ贅沢三昧なんだろ」


 鼻を鳴らしたのと同時に、俺は手を鼻先に持っていき確認した。もう湿りかけていたので、げんなりしながら鼻を拭く。

 

「S43年9月2日生……?」


 改めて身上書を眺めていると、生年月日に目が留まった。サロメ43年ということは、この贅沢王女は俺より4つ年上だ。


「姉さん女房……!!」


 魅惑の響きに、思わずごくりと喉が鳴る。興奮したせいで、喉元からぐるるるという厳つい声が漏れる。


「落ち着け、俺……!」


 自分で自分を宥めつつ、先を読む。


「趣味は、お茶会……」


 げぇ。絶対に自分は、この王女とは合わない。そう確信する。俺は華やかで賑やかな場所が大嫌いなのだ。死んでも人前には出たくない。


「まぁ、でも乳母とって書いてあるから割と質素で静かなお茶会かもしれないし……。名前だって、よく見れば可愛いかもしれないし……」


 魅惑の年上妻の妄想に引っ張られて、ついついジャッジが甘くなる。


「趣味は植物研究か……。どんな研究をしてたんだろう。というか、まさかのインテリ妻……?」


 年上インテリ妻の妄想で、またしても喉が鳴る。


「身長が155センチって、ずいぶん小柄だな。普通の人間ならそのくらいなのか……?」


 人目を避け、山岳地帯での引きこもり生活も7年が経過した。すっかり成人女性の基準が分からなくなっている。


「体重40キロって、俺の半分もないじゃないか」


 途端に王女が弱々しい生き物に思えてくる。まぁ、俺が頑丈で厳ついだけなんだが。つい顔を寄せてしまい、濡れた鼻先がわずかに掠った。俺は慌てて顔を離す。


「いや、やっぱり信じられない。本当に王女と結婚するのか? 俺が? もし婚姻関係になったとして、王女はどこで暮らすんだ? まさか、この小屋じゃないよな……」


 首都は一年中、気候が穏やかだと聞いたことがある。それに比べて、モルガンの冬は過酷だ。山岳地帯は特に。


「こんな場所で、暮らしていけないよな……?」


 気候の問題もあるが、住まいもかなり質素になる。俺は住み慣れた小屋をぐるりと見渡した。寝室、キッチン、仕事部屋、毛繕い部屋。狼獣人の俺でも不自由なく暮らせるほどには広々とした空間だ。


 外には貯蔵庫もある。少しずつ自分で手を加えた自慢の小屋だった。貯蔵庫には畑で収穫した野菜や瓶詰にした食料を保管している。


 毛繕い部屋は、換毛期にばっさばっさと毛を落とす場所として使っている。ひとつ、そういう部屋を用意しておいたほうが掃除が楽なのだ。


 ちなみに、換毛期は絶対に仕事部屋には入らない。商品に毛が混入するのを防ぐためだ。俺は畑でハーブを栽培している。モルガンの山岳地帯でも育つ丈夫な品種で、乾燥させてハーブティーにして販売している。


 採取した木の実や種子をすり潰してハーブと混ぜて、スパイスとしても商品展開している。


 山を少し下ったところに、手作りの幟が立っている。切り立った山のマーク。俺の店である『ハーブ&スパイス・モルガン』の目印だ。


 設置した棚に商品をずらりと並べている。代金は幟の下に置かれた木箱に入れるシステムで、この無人販売はモルガン領では割とポピュラーな営業形態だった。


 おかげで、人間と顔を合わせることなく利益を得ている。山岳地帯の高原にある小屋に引きこもってはいるものの、俺は立派な働く社会人なのだ。


「だから、俺にも嫁をもらう資格はある!!」


 とはいえ、相手が王女というのはやはり予想外過ぎる。


 自分でいうのも悲しいのだが、辺境暮らしの獣人のところに嫁に来ようなんて考える奴は、よほどの変わり者に違いない。


「そうか、変わり者だから王族のくせに25歳にもなって独り身なのか」


 平均初婚年齢が16歳のこの国では、25歳ともなると立派な行き遅れということになる。


「も、もしかして、なにか陰謀が蠢いているのか……?」


 めちゃくちゃ嫌な予感がする。


 何か、国家的な企みに巻き込まれようとしているのでは?


 ちなみに、俺は毎日のように嫌な予感を察知している。たいてい杞憂に終わるのだが。しかし、ついあれこれと心配してしまうのだ。後ろ向きな思考になることもしばしば……。


「この結婚、やめる!!」


 俺は静かに生きていきたい。笑われるのも利用されるのも嫌だ。 


 魅惑の年上妻は儚い夢だった。


 俺は実家に手紙を書いて送った。王女の嫁なんてもらいたくない。断固としてお断り。そうしたためて送ると、すぐに返信があった。母からだった。


『コスティール国王から直々に頂戴した縁談なのよ。我が弱小モルガン家に拒否権なんてありません。子供じゃないんだから、ワガママを言わないでちょうだいね。もうお見合いの日取りも決まっていますから。ママはコスティールの王族と親族関係を結びたいです。あなたの愛しのママより』


 くそがっ!!


 俺は母からの手紙をビリビリと破いた。この縁談を断れないことは分かった。たしかにそうだ。国王に逆らうことになる。


 しかし「王族と親族関係を結びたい」とかいう、己の欲望をストレートに綴っていることに憤りを感じる。自己中心的な母らしい。いっそ清々しいほどだ。


 ふんっ!!


 思いっきり鼻を鳴らし、同時に途方に暮れた。母が記した見合いの日は、もうすぐそこまで迫っていた。

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