狼獣人の旦那くんは今日もネガティブです
水縞しま
第1話 理系王女、婚期を逃す
「なかなか良いお相手は、いらっしゃいませんねぇ」
世話係のメラニーが、テーブルの上に積まれた書類に目を通しながらため息を吐く。
テーブルの上にあるのは、コスティール王国の王女である私、リア・シュヴァリエの元に届いた身上書の数々だった。
「そんなはずないでしょ」
座り心地の良いふかふかの椅子に身を沈めながら、私は彼女に視線をやった。小柄でグレイヘアのメラニー。彼女は、私の乳母でもある。
「だって、今まで数えきれないほど求婚されてきたのよ?」
「ええ、もちろん存じております。老若男女問わず、国内外の貴族たちはこぞって、リア様に夢中でしたから。リア様の美貌に狂って……いえ、目を奪われた方々は多くいらっしゃいました」
ふふん、と私は得意げになった。自慢ではないが、今の私は超美人だった。前世での不遇が報われたのだろう。
実は、私には遠い昔の記憶がある。別人格とでもいうのだろうか。いわゆる前世というやつだと思う。
私の前世は「小森まどか」という冴えない理系女子だった。地味、メガネ、コミュ障という要素のせいで、非モテ街道を爆走していた。
植物研究に明け暮れ、恋人なしイコール年齢という淋しい人生を送っていた。おまけに信号無視のトラックに跳ねられ、大学四年の春にこの世を去ることになってしまったのだ。
そんな前世から一転、今世では王女として生を受けた。平和なコスティール王国の第一王女。しかも、びっくりするくらいの美貌……!
これはもう、人生イージーモード。前世で非モテだった分を取り戻そうと、恋愛する気まんまんだったのだが……。
諸事情があり、私は長年に渡り引きこもり生活を余儀なくされた。
「父上と一緒に外遊へ行くと色んな殿方に声を掛けられて、あの頃は大変だったわね……」
私はメラニーの淹れてくれた紅茶をすすりながら、少女時代に思いを馳せた。当時から、私の美貌は冴えわたっていた。鏡を見ると「ひょえーーー!」と奇声を上げそうになるほどの美少女だった。
誰が求婚してくれたのか、詳細については忘れてしまった。けれど、一人や二人ではなかったと記憶している。
絹のような金の髪や、深い森の色をしたグリーンの瞳を褒めらた。目が合うだけで、頬を染める人間は数多くいた。
「しかしリア様! 全ては遠い昔の話でございますよ……!!」
身上書を持ったまま、メラニーは語気を強める。
「リア様にご執心だった皆様は全員、ご結婚されていらっしゃいます。お子様もお生まれになり、先代から王位を継承し、ご立派に王族としての責務を全うしておられますよ!」
「……悪かったね、私だけまだ未婚で」
美しい細工が施された銀色のティーカップをソーサーに置き、私は膝を抱えた。
「リア様は今年、25歳になられます」
「そうね」
「この国の平均初婚年齢は16歳ですから、かなり適齢期を過ぎておられます」
「……う、うん」
「難しいですね」
「なにが……?」
「無礼を承知で申し上げますと、一般的に適齢期を過ぎると結婚するのは難しいのです。それが我が国の婚活の現実なのです」
「え、嘘……」
それじゃ、私っていわゆる行き遅れってこと? 王女なのに……?
はぁ、とメラニーがため息を吐く。
「リア様には、早く結婚相手を見つけるようにと、散々申し上げてきたつもりですが」
「そ、そうだけど。仕方ないじゃない……。国の危機だったんだから」
元々、コスティール王国は非常に豊かな国だった。
しかし、十年ほど前に干ばつが起こり植物が育たなくなってしまったのだ。主食である穀物が大打撃を受け、飢饉に陥った。そこで、私の前世である「小森まどか」が役に立った。
穀物の品種改良に成功して、無事に国を救ったのだ。つまり、私は英雄。その私が結婚できないなんて……。
「リア様は植物研究のため、お部屋にこもられていたでしょう? その間に、十年が経ってしまったのです!」
「で、でも、そのおかげで品種を改良に成功したのよ。国の危機を救ったのよ?」
「草の研究なんて、他の研究者に任せておけば良かったんですよ! 草に夢中になっている間に、すっかり婚期を逃してしまって……!」
メラニーが肩を落としている。研究していたのは草ではなく、穀物の苗なのだが……。
「で、でも、身上書は届いてるんでしょう?」
メラニーを上目遣いで見る。
「どれもこれも、リア様を第二夫人に、とのことです。コスティール王国の王女を第二夫人にしようとするなんて許せませんっ!!」
忌々しげにメラニーが呟く。彼女がテーブルに投げつけた身上書が、勢い余ってリアの元に滑り落ちてきた。
「支度金を準備、そちらの言い値でかまわぬ……?」
ふいに目に留まった文章を読み上げると、ますますメラニーが怒った。
「リア様への侮辱ですっ!!」
確かに、そうかもしれない。第二夫人に権限は与えられない。ほとんど愛人扱いのようなものだ。
「ここにある身上書の九割九分九厘が、リア様の儚げな美貌が目当てなのです。汚らわしいですわ……!」
メラニーの表情が翳った。私は傷ついた素振りを見せず、というか全く傷つかずに「そっかぁ」と明るく返した。
美貌が目当て。なんという良い響きだろう。前世では無縁だった言葉だ。
「ねぇ、メラニー。九割九分九厘ってことは、ゼロじゃないんだよね?」
「……おひとりだけ、いらっしゃいますけどね。第一夫人として迎え入れたいという方が」
しぶしぶといった表情で、メアリーが私に身上書を渡してくる。
「どれどれ……」
私はじっくりと目を通した。
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身上書
イヴァノフ・モルガン
本籍地:コスティール、モルガン領
現住所:コスティール、モルガン領(山岳地帯)
R5年4月17日生
趣味:木の実採集
特技:料理
身長:213センチ
体重:104キロ
既往症:なし。ただし換毛期あり、年2回。
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「イヴァノフ・モルガンって、良い名前だね。あ、本籍がコスティールになってる。国内の人かぁ」
「北の領地を治めるモルガン家のご子息ですね」
そういえば、モルガンの名前は聞いたことがある。北の領地は広大で山々に囲まれ、冬は厳しい寒さだと聞く。
「えっと……今は、山岳地帯で暮らしてるみたいだね」
「かなり辺境の地ですね」
「R2年4月17日生……?」
目を凝らして、何度も見る。どう見てもRだ。Rはリゼッタ。リゼッタ2年ということは。
「このひと、私より四つも年下だよ」
私はS43年9月2日生まれだ。Sはサロメ。
「サロメ生まれって、リゼッタ生まれのひとからしたら年寄りじゃない?」
「年齢差なんて些細なことです。その先に、大事なことが書かれてありますから」
早く続きを読むよう、メアリーが促す。
「趣味が木の実採集……? 私は植物が好きだから、気が合いそうだわ」
貴族にはめずらしい趣味だ。好感度が上がる。
「メラニー、このひと特技が料理だって! すごいわね、貴族なのに自分で料理するなんて。私なんて一度もやったことないのに」
どんなひとなんだろう。あ、もしかしたら、料理をしたことがない私は相手からするとマイナス査定かもしれない。私は真面目に婚活に励むつもりだから、料理の練習もしておこう。
そんなことを考えながら読み進めていくと、身長の欄に目が留まった。
「身長が213センチ……?」
誤りではないだろうか。思わず顔を上げてメアリーを見る。
「体重は104キロだそうですよ」
どうやら間違いではないらしい。
「重すぎない?」
いや、でも身長から考えると標準体重かもしれない。むしろスマート体型? 身長が高すぎて自分と比較できない。私の身長は155センチほどだし、体重は40キロ(嘘、本当は42キロ)だ。
「あのさ、メアリー。既往症はないって書いてあるんだけど。この換毛期って、もしかして……?」
私は、ごくりと唾を飲む。
「このイヴァノフ・モルガンとおっしゃる方は、狼獣人でいらっしゃいます」
やった~~~~~~!!!
私は心の中で歓喜の雄たけびを上げた。何を隠そう、私は、その、なんというか獣人が好きだ。シンプルにいうと好みのタイプということになる。
この世界では、人間と獣人が暮らしているのだ。数は、圧倒的に人間のほうが多いのだけど。
「獣人さん……!!!」
それなら身長と体重も納得がいく。換毛期と書いてあるけど、体毛は何色だろう。野生の狼と同じ色をしているのだろうか。想像を膨らませていると、メアリーがずいっと目の前に来た。
「リア様、相手は獣人ですよ獣人。まさか、お会いになるなんておっしゃらないですよね……?」
メアリーが焦ったように言い募る。
「え? 私はぜんぜん良いと思ってるんだけど。そもそも、他に第一夫人としてもらってくれる相手もいなさそうだし!」
「獣人は、野蛮だという噂もあります」
「ただの噂じゃない?」
もしかしたら、実際に野蛮な獣人はいるのかもしれない。でも、獣人というだけで一括りにするのは違う気がする。
「山岳地帯で暮らしていることも気になります。人間に危害を加えたせいで、辺境の地に追いやられたのではと……」
メアリーが両手でスカートの裾をぎゅっと握る。私を心配して言ってくれていることは分かる。
「直接、聞いてみればいいんだよ。あ、そうだ。初めて彼と顔を合わせる場には、メアリーも出席してくれない?」
うきうきしながら私が言うと、彼女は「とんでもございません!」と首を振った。
「そのような場に、世話係である私が出ていけるはずがありません」
「いいじゃない。世話係といっても、メアリーは私にとって母親のようなものだし」
私の母親は、私を産んでまもなく亡くなった。元々体の弱いひとだったらしい。
「リア様……」
メアリーが涙ぐむ。
「このままずっと、王宮で暮らすことはできないのですか……?」
「……自分で決めたことなの」
そう。私は恋愛がしたい! 恋愛がムリなら結婚でも良い!
私はメアリーの小さな肩をさすった。彼女の泣き顔を見ると、心臓がぎゅっと痛む。
ふいに窓の外を見ると、黄金色に輝く穂が見えた。
私が品種改良したものだ。もとは脆弱な種だった。なかなか育たず、毎年ほんのわずかに実をつけるだけだった。
でも、今は大きく実って垂れている。
コスティールの国土のあらゆる場所に根を張っている。風に揺れて、夕陽にきらめく黄金の穂が靡いているのだ。
「素晴らしい景色ね……」
自分でも驚くほど、穏やかな声が漏れた。
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