第17話痛みを祈りに代えて-ENDER LILIES感想-
その土地の痛みや傷を一身に背負ったキャラクターが好きなのは、自分自身が被爆地でもあり、キリシタン迫害に見舞われた地でもあり、またその両者とを結び合わせたミッションスクール出身の身だから、というのも大きいのかもしれない。
幼少期から両親や祖母から長崎大水害にまつわる記憶を聞かされて育ち、幼い頃からキリシタンが隠れ住んできた五島の教会群を巡り、
そうして傷というものと不可分な土地で育った身に、高校生の頃に降りかかった困難な病は、ある種の必然性を帯びていたのだろうと私は思っている。それは非論理的な問題だし、精神疾患において病理と生育歴とが結びつくことはあっても、生まれ育った土地そのものと病気とが結びつくことは……いや、大いにありうる。
特に今なお戦禍の只中におられるガザやウクライナの人々に思いを馳せると、その痛みは私などの比ではない。そう軽々に語れる話でないことは重々承知している。
だが私が語りたいのは過去から現在にわたって傷が刻まれてきた土地の痛みを引き受けるということで、これは一種の肥大化したセルフイメージそのものなのかもしれないが、戦争という記憶を今なお克明に刻んだ被爆地で、被爆者の方の語りを聞いて育った身としては、一定の合理性もあるのではないかと思う。
そうした経験をしてきた身として、ENDER LILIES(エンダーリリィズ)のリリィは、土地の持つ痛みを「穢れ」として一身に浴びせられてきた少女であることには少しばかりのシンパシーを感じてしまう。
「穢れ」の観念についてはセンシティブな問題を数多く内包しているため、ここで深くは触れないでおくが、私はそれをある種の痛苦の象徴として、断片的なストーリーを読んできた。
過去に自らを救おうとしてきた人々の犠牲の上にリリィはいて、彼女は彼らを浄化することでその「穢れ」を引き受ける。迎えるエンディングはいずれもバッドエンドに近しいもので、正規エンディングも決してハッピーエンドとは言えない。ただ魂の昇華がそこには描かれている。
人造の白巫女として作られた彼女は、初めから「穢れ」を引き受けることを宿命づけられていた。初めは無垢な白衣の少女だった姿は、最深部に進むに従ってだんだん赤黒く変化し、異形とも取れる姿へと変わってゆく。
それは痛苦をもたらすものであると同時に、恐れや人々のトラウマの変容としても描かれる。初めは小さな村の少年が母親とはぐれて行き倒れてしまったというエピソードからはじまり、物語はどんどん暗く、救いようのない展開へと発展してゆく。だがそこでも描かれるのは愛するものとの別離や喪失であり、基本的な構造は大きく変わらない。
喪失には執着が付き纏い、その象徴となるキャラクターが異端者ファーデンでもある。彼は助手であり、恋人でもあったミーリエルが穢者となってなお人体実験の研究の手を止めることなく、そのまま狂い果てて「苛烈さを増していった」とテキストにはある。
これはちょうど仏教的な世界観に通じるものを感じてしまう。いわば仏教における愛別離苦の観念がこの作品を貫き、その他者が背負った苦しみを白巫女であるリリィは担わなくてはならない。
死にゲーというゲームジャンルが、ダークソウルシリーズ以降、一種の地獄めぐりの様相を呈するのが必然となっていることを逆手に取り、その「地獄」をストーリーのプロットに取り入れる作品は他にも色々とある。
例えば「黒神話:悟空」では、天命人である主人公が悟空の魂の完成を求めて、その死後の世界を旅するストーリーとなっており、彼の死を前提とした旅路の果てに、悟空との対峙とその超克が待っている。
エルデンリングも神なき世界の秩序の崩壊と、そのエルデの王として戴冠するに至る再生が道中の幾たびもの死とともに描かれる。いわばゲームシステムと、ゲームの思想とが一致しているのだ。
このENDER LILIESはそうした意味では地獄をそのまま仏教的世界観の中へと内包させているようにも見受けられ、キャラクターデザインや世界観のビジュアルはあくまでも西洋ファンタジー的世界観だが、軸となる「穢れ」の観念や、巫女という概念、そしてその地獄に堕ちて穢者を救済するという筋書きは、非常にJapanizedされた世界観だなと感じる。例えば地獄において罪人を救済する地蔵菩薩などは彼女との親和性が高いのかもしれない。
そしてその人々の苦しみを、土地は克明に刻み込む。ガザという地で流れた血と、その痛みが決して癒えることはないように、被爆地に流れた血も、キリシタン迫害によって傷つけられた人々の心も、そう安易になぐさめられることはない。
だからこそ不断の祈りが捧げられているのだ。私の被爆校の母校では、毎朝原爆犠牲者への祈りと、平和への祈りが捧げられてきた。その行いは信仰を抱かない人々から見ると無益に思えるかもしれないが、祈りがなければ土地の痛みは忘れ去られ、風化してしまう。祈ることで死者をなぐさめ、弔い、同時に記憶を継いでゆくのだ。
リリィが手ずから行ってきた浄化という行為もまた、祈りとほぼ同義なのだろう。そこに清さが宿るのは、何も彼女のルックスによるところばかりではない。祈りを忘れた現代の我々に、彼女はその清らかさとともに、祈りの重みを説いている。そのように私は受け取ったのだった。
作業用BGM:Khatia Buniatishvili Franz Liszt
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