2:日頃の無理が祟った社畜
「それでは陸奥様。レアリティA以上のカードを用いての【ダンジョンアタック】は、是非とも当社の方で、動画をライブ配信する契約をして頂きたくてですね……」
受付嬢の提案に、ヤスタケは冷や水を浴びせられた気分だった。一刻も早く、手にした召喚カードと一緒にダンジョンを攻略したい。
今、夢が実現する。もう目の前まできている。
待ちきれない思いが口を動かす。
「いや、俺は……」
「もちろん! 契約に付随して、ライブ配信の日程まで当社ホテルにておもてなしをさせていただきます! 各種サービスも使い放題ですよ!」
すぐにでもダンジョンへと挑みたい衝動は、しかし、受付嬢の営業トークにかき消された。またもや熱く滾る闘志に冷風が吹く。
だが、それが幸いして、ヤスタケは、ようやく心拍数が下がっていくのを自覚した。
俺は何を焦っているのだろうと、客観的に自分自身を捉えられるようになった。
ダンジョンは別に、逃げたりしない。
それに、ふっと気が抜けたこの瞬間、眩暈にも似た疲労感が押し寄せてきたことを自覚した。108連勤の後遺症が今更ながら現れたのだ。
「それに、言っては何ですが……そちらのカードで【ダンジョンアタック】に挑まれるのでしたら、幾分か、本番前に使用感をお確かめになられた方がよろしいのではないでしょうか? 当社施設ではVRにて【ダンジョンアタック】のシミュレートが可能ですよ!」
確かに、ヤスタケの手元にはレアリティがSRではあれど、それは『残念SR』と揶揄されるほどにダンジョン攻略には適さないカードが一枚。戦力にすらならないカードが三枚あるのみ。あまつさえその内の一枚にはポケットティッシュが紛れている。
百万円のポケットティッシュ……。いや、考えるのはよそう。
ともかく、死の危険と隣り合わせのダンジョン。そんな場所に挑むからには、勢いと行き当たりばったりだけでは駄目だ。
事前の準備が必要不可欠。
そんな当たり前の考えに、ヤスタケはようやく辿り着けた。
ヤスタケは受付嬢の提案に従うことにした。
――そして、案内されたホテルで、ヤスタケは五日間、爆睡したのだった。
「陸奥様!? 陸奥様! いらっしゃいますよね!? 大丈夫ですか! ドア開けますよ!?」
部屋の外から響く大声と、ガチャリとオートロックが解除される音に、ヤスタケはようやく目を覚ました。
「グッ……!? ゴホッゲホッ!」
まず最初に感じたのは、言い知れない喉の渇き。咄嗟に唾を飲み込もうとして、しかしカラカラに乾いた肉体は、唾液の分泌を完全に遮断していた。
咳をすると、張り付いた喉を空気が無理やりこじ開けたせいで、血の風味がした。
「大丈夫ですか! 陸奥様!」
自身を呼ぶ声に反応できずにいると、声の主は優しく背中をさすってくれた。
ここへ来た時に対応してくれた受付嬢であると分かった。ちょっと噎せ込んだくらいで大袈裟だなと、介抱してくれた嬉しくもある半面、気恥ずかしい。ヤスタケはすぐに彼女を引き剥がす。
「ゲホゲホゲホッゴホ! ゴホっず、ずみまぜ……ゲェッホ!」
力なく、弱弱しく押しのけた受付嬢は、しかしすぐにまた、ふらつくヤスタケを抱えた。
「お水です。飲めますか? 少しずつ、口に含んで。ゆっくり飲んでくださいね」
「あ、あ、ありが……ゴホッ!」
「ああもう、喋らなくていいですから! 落ち着いて!」
促されるまま言われるがまま、ヤスタケは受付嬢に従うことにした。
流石に自分で飲めるのに。と照れ臭かったが、ペットボトルの飲み口を唇に当てがわれたので、素直にそのまま飲み下す。
途端に口の中に広がったのは、強い甘みとほのかな酸味……。
オレンジジュースだ。
水って言ってなかったか? だが驚く気力もなかったヤスタケは、無事に喉を潤せた。
乾いた空気が捻出されるばかりの咳だったが、しっとりと水気を帯びてきた。
苦しさに、涙も出る。
ヤスタケは、自分が今、ようやく生き返ったことを自覚した。
「あ、ありがとうございます。もう大丈夫です……ゴホッ!」
「本当に、大丈夫ですか? 五日間も連絡が取れず、心配しましたよ!」
「五日……そ、そんなに寝てたんですか、俺は……」
自身の不甲斐なさに嘆息するヤスタケは、そりゃ、108日連勤のブラック労働を終えたその疲労困憊の体にムチ打って来たわけだ。無理が祟っても仕方がない。そう思った。
そして、受付嬢の話を上の空で聞いていたのだが、だんだんとその言葉の意味を理解し始める。
「……え? 五日?」
「そうですよ! 【ダンジョンアタック】の期日まであと二日だというのに、挑戦者に連絡がつかないこっちの身にもなって下さいよ! もう! 本当に心配したんですからね!」
ヤスタケの【ダンジョンアタック】は、受付日から一週間後という話だった。
それまでに、自身が手にしたカードの使用感を確かめ、よりダンジョンの攻略精度を上げるつもりだった。しかし、その大半を無駄にしたという事実に、ヤスタケは冷や汗を垂らす。
「ご心配おかけしました。おかげさまでなんとか、生き返りました。それと、すみません、早速ですが、VRシミュレーションを使わせてください」
「ええ!? いや、安静にしてなきゃダメですよ! 病院の手配もしますよ!?」
「大丈夫です。こんなの、慣れっこですよ」
ヤスタケは焦っていた。下手に入院にでもなれば、【ダンジョンアタック】をキャンセルした違約金も派生する。全財産をガチャに溶かした彼に、そんな金、払えるはずもなかった。
受付嬢からしても、心配ではあるが、本人がそれを拒んでいる以上、これ以上の手出しはできない。
それに、ヤスタケが入院することにでもなれば【ダンジョンアタック】は中止。『町田ダンジョンズ』の損害は免れない。そして彼を引き入れてしまった自分にも責任が及んでしまう。
まさかヤスタケが倒れているとはつゆ知らず、慌てて対応してしまったが、冷静さを取り戻した彼女は、内心冷や汗をかいていた。
病院になど、行かせてはならない。
「……わかりました。それではVRルームへご案内します!」
なのでヤスタケの気が変わる前に、受付嬢はそそくさとVRルームへと案内したのだった。
地上八階の客室からエレベーターで地下へ。
職員がキーを挿入してパスワードを入力しなければ降りることができない階層へと足を踏み入れた。
辺りはゴツゴツとした岩肌が突き出した、広い洞窟のようだった。
この景色、ヤスタケには見覚えがあった。
いつも動画配信で見る光景だ。
「ここは……ダンジョン?」
「に、見えますよね。実はここ自体が、既にVR空間なんですよ」
受付嬢の発言の意味が理解できず、首をかしげる。
VRとはバーチャルリアリティ。仮想現実の略称だ。仮想現実とは文字通り、仮想世界を現実世界のように体験することを示す。
今、ヤスタケは寝起きの足で、エレベーターに乗って、ここの階層に到着したので降りた。それだけだ。
現実世界から地続きで仮想世界に入ったなどと、説明されても、理解が追いつかない。
「うっそだぁ」
冗談かと思って、ヤスタケは軽口で返した。何かフルフェイスのヘルメットみたいな機械を装着するとか、機械仕掛けのベッドに眠らされるのだろうとたかをくくっていたからだ。
「嘘なんかじゃないですよ! ほら! これでどうです!」
おもむろに、受付嬢は一枚のカードを取り出した。
「
すぐさま、そのように言葉は紡がれた。
そして受付嬢の声に応えるように、オモチャのような見た目をした、100cm程度の甲冑兵が顕現した。円錐状の槍を片手に直立不動の姿勢で待機している。
――
レアリティ:B
タイトル【ブリキの槍兵】
攻撃力:120
防御力:80
操作性:B
▶命令を忠実に従うブリキの兵隊。
「ネズミはどこだ? 叩き潰してくれる!」
――
受付嬢はヤスタケを指し示し、己が召喚した
「いけー! 陸奥様を貫けー!」
カードの召喚の仕方を実践してみせてくれたのか? と思った矢先、まるで当たり前のように下された恐ろしい命令を聞いて、ヤスタケは聞き返すほかなかった。
「へ?」
彼の素っ頓狂な声は無視され、【ブリキの槍兵】は敬礼の後、なんの躊躇いもなく、ヤスタケを槍で貫いた。
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