第20話 理科室だいじっけん!

 深夜の放送室。わたしはハナコに借りたスマホを手に、先日投稿した動画を何度も見返していた。

 カーボン人体模型くんをみんなで追いかけた、記念すべきチームプレイ第一号の動画だ。コメント欄は『ドタバタで草』『最後の友情に感動した』なんて言葉で溢れていて、再生数もいい感じだ。


 でも、わたしが気にしているのは、そんなことじゃない。

 カーボンくんが体育倉庫のマットに突っ込んだ、ほんの一瞬。彼の背後、壁の薄暗がりに映り込んだ、黒い影のようなもの。


(やっぱり気になる。確かに見たんだよ……)


「わたっチ~。まだ気にしてんの?」


 不意に声をかけられ、びくりと肩が跳ねた。いつの間にか、ハナコがわたしの手元を覗き込んでいる。


「ノイズで影が映りこむことも結構あるし。気にしてもしゃーないって」

「でも……」

「それより、次の企画会議しよーぜ! 波に乗ってるうちに攻めて攻めて攻めまくれ~!」


 ハナコは、ぱん、と手を叩いた。彼女の明るい声に、プチ人骨模型や肖像画の仲間たちが「待ってました!」とばかりに集まってくる。

 みんなの期待に満ちた顔を見たら、わたしの不安なんて、言えるはずもなかった。


「……そうだね! 次の企画、考えよっか!」


 わたしは笑顔を作って、一つの提案をした。


「もうすぐ夏休みだし、自由研究のネタ探しも兼ねて、理科室でなにか実験をするのはどうかな?」


 わたしの言葉に、仲間たちがざわめく。


「理科室、ですか……あそこは、どうも空気が……」

「うむ、あの心優しいカーボン殿を暴走させた場所……何やらよからぬ因縁を感じるでござるな」


 みんなが怖がるのはわかってる。でも、だからこそ、行かなくちゃいけないんだ。

 あの影の正体を、このままにしておくわけにはいかない。


「大丈夫だよ! 楽しい実験をするだけだから!」


 わたしは半ば強引に次の企画を決めた。

 本当の目的に、ハナコだけは気づいているような気がしたけど、彼女は何も言わずにニヤリと笑うだけだった。


 ◇


 生配信が始まる。


「――はい、こんばんは!『あなや!わたしちゃんねる』の時間だよっ! 今日はなんと、深夜の学校に忍び込んで、理科室で楽しい実験をしちゃいたいと思います! みんな、夏休みの自由研究の参考にしてみてね!」


 配信タイトルは【夏休み】深夜の学校で大実験!?『あなや!わたしちゃんねる』の自由研究!


 完璧な笑顔と、練習した通りの挨拶。コメント欄が「きたあああ」「自由研究がんばれー!」「警備さんこっちですw」といった応援や茶化しの言葉で勢いよく流れていく。


「それじゃあ、最初の実験は……スライム作りです!」


 わたしは白衣に着替え、ビーカーや食紅をせっせと並べていく。建前は、楽しい理科の実験。でも、わたしの意識は別の場所にあった。

 理科室の隅。薬品がずらりと並んだ、あの棚の深い暗がり。

 わたしは実験を進めるふりをしながら、何度もそっちに視線を送ってしまう。


『わたっチ、集中しなー? カメラ、回ってんぞー?』


 耳につけたインカムから、ハナコの呆れた声が飛んでくる。いけない、集中しなきゃ。


「えーっと、ここに魔法のホウ砂水を入れると……あなや、ふしぎ! 見て見て、固まってきたよ!」


 緑色のスライムが、ビーカーの中でどろりと渦を巻く。コメント欄が「おおー!」「懐かしい!」と盛り上がった、その時だった。


 ガタガタガタガタガタッ!!


「ひゃっ!?」


 理科室全体が地震みたいに激しく揺れた。ビーカーの中のスライムが、ぐわんぐわんと波打つ。ヤラセで机を揺らす係だったプチ人骨くんの力量をはるかに超えている揺れだ。


『り、リーダー……ぼ、僕じゃありません……!』


 プチ人骨くんの、本気で怯えた声がインカムに響く。

 コメント欄も「え、今の揺れなに?」「演出すごw」「いや、ガチっぽくね?」と騒然となり始めた。


『ピ―――――ザザッ……ガガッ……』


 追い打ちをかけるように、ベートーヴェンが流してくれていた優雅なBGMに、耳障りなノイズが混じり始める。


『なんだ!? 我輩の崇高な調べに、雑音を混ぜる不届き者はどこのどいつだ!』


 きた。やっぱりだ。

 この理科室には、わたしたち以外の「何か」が確実にいる。


「だ、大丈夫だよ! きっと古い校舎だから、ちょっと揺れただけだよね! さ、気を取り直して、次の実験にいってみよう! 次は、甘くておいしい、べっこう飴作りだよ!」


 わたしは必死に笑顔を取り繕い、アルコールランプに火をつけた。

 砂糖と水を熱し、焦げ付かないようにガラス棒でゆっくりとかき混ぜる。甘い香りが理科室に広がっていく。

 さあ、どう出る――。


 カツン、とガラス棒が何かに当たった。


 「なんだろう、お砂糖が焦げついちゃったかな?」


 言うや否や、鍋の中の黄金色だった液体が、ぶわりと一瞬で真っ黒に変わる。


「あなや……っ!」


 焦げ付くなんてレベルじゃない。まるで墨汁を流し込んだみたいに、鍋の中が真っ黒に染まっていく。

 そして、猛烈な異臭と共に、禍々しい黒い煙がもくもくと立ち上り始めた。


 煙は、まるで生きているみたいだった。

 天井にぶつかると、意思を持ったかのように理科室の隅へ――わたしがずっと警戒していた薬品棚の暗がりへと吸い込まれていく。


 コメント欄が、悲鳴で埋め尽くされるのが見えた。

 黒い煙をすべて吸い込んだ暗がりが、ぎちり、と音を立てる。


 ――そこに「何か」がいる。

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