第6話 二人の孤児

 夜の児童公園に誰かがブランコを漕いでいる音が響いている。

 公園にはアーク灯が灯され、そこだけ木々の緑のコントラストをはっきりと写している。


 七月も半ばであるが、夜になると昼間よりは涼しくなる。人気は絶えていて、鳴り響くブランコの音以外は人の存在を示すものはない。

 玲は立ち漕ぎで激しくブランコを漕いでいる。猛烈な風の勢いが、髪を踊らせる。

 夜の公園で、ただ一人、夜半の静けさを乱すノイズを響き渡らせていた。

 玲は勢いをつけてブランコから飛び降りた。そして空中でバランスをとって見事に着地した。


 ブランコの隣のシーソーを睨みつけて、イライラした口調で問いかける。


「……いつまでそうしてるつもりですか?」


 シーソーでは、彼女がうつむき加減に膝を抱えながら嗚咽を漏らしている。


「あれからずっとめそめそと、付き合っているこちらの身にもなってください」

「…………」


 彼女は少しだけ頭を上げて、真っ赤な目で玲を見つめると、黙ってまた俯いた。またしても嗚咽する声が聞こえる。


「貴方がやめろと言ったんですよ。しかたないじゃないですか。貴方がいなくなってから十年以上も時がたっているのですよ。誰も責める事はできないです」

「……分かってる」


 彼女は俯いたまま、玲の顔も見ずに答えた。

 玲はため息を一つ吐いて、彼女の元へ歩いていく。


「貴方はこれからどうするつもりなのですか? わたしには貴方をおばあちゃんの所に連れて行くしか方法が思いつかないのですよ」


 玲は彼女のすぐ隣に腰を下ろした。


「未練が無いのにこの世に留まっていても不毛なだけじゃないですか?」

「……」

「わたしも生を受けた以上、いつかは死んでしまいます」

「……」

「だけども、死後の膨大な時間を、意識を持ったまま過ごしたいとは思いません。いつかは、わたしを覚えている人は、みんな向こう側に行ってしまいます。誰も、わたしの事を覚えていない世界で過ごすことは虚無になることと同じじゃないですか?」

「…………いつも分かったような口を聞くんだね。玲ちゃんは」


 彼女は身を起こすと、玲に背を向けて反対側を向く。


「そうやって、知ったかぶりのおりこうさんには私の気持ちは分からないよ」


 玲は苛立たしげに頭を掻いた。


「分かるはずが、ないじゃないですか!」

「じゃあ、どうしてそんな風に人がどうするか指図するのよ!!」

「…………」


 彼女の初めての激しい口調に、玲は黙り込んでしまう。

 玲に背を向けている彼女は、ふらりとシーソーから立ち上がる。そして、何も言わずに児童公園の入り口を目指してゆらゆらと歩いていく。その足取りは側からみても危うい。

 玲は苦々しげにそんな彼女の様子を見て、立ち上がって後ろをついて行った。



 彼女は児童公園の入り口を抜けると、あてもなくフラフラと夜の路地を歩き続ける。

 玲はその後ろを頭蓋骨を包んだジャージの包みを持って付き従う。

 路地には所々に街灯が灯っているが、人通りは全くなかった。



 二人が歩き続けると、商店街の入り口を示す看板があった。彼女はそちらの方に向かって歩いていく。

 夜の商店街は全ての店舗がシャッターを閉じており、雑然とした街並みを二人は黙って歩き続ける。

 玲は努めて冷静な口調で声を出す。


「…………どこまでいくつもりですか?」

「…………」

「どこにも行くあてなんてないじゃないですか?」

「…………」


 玲の存在を完璧に無視して、彼女は夜のシャッター通りをフラフラと歩いていく。

 玲はその場に立ち止まった。俯いて自分のスニーカーを睨みつけた。手は強く拳を握りしめている。誰にともなく小さく呟いた。


「未熟者」


 玲はしばらくその場でじっと俯いて立ち尽くしていた。先に進んでいく彼女を見つめて、また彼女を追って歩き始めた。



 どれだけ歩いただろうか。商店街を抜けて、誰も知らない夜の住宅街を歩く。

 玲は何も考えてないようにぼんやりと彼女の後ろを付いていたが、彼女が急に立ち止まったのでぶつかりそうになった。

 彼女はその場で足を止めていた。そして、泣き過ぎて掠れた声で話し始めた。


「もういい……もういいよ玲ちゃん……――私は…………疲れちゃったよ……――」

「…………」


 彼女は玲の元へ振り返る。泣き腫らして真っ赤な目で無理やり微笑んだ。


「ねぇ……玲ちゃんのおばあちゃんの所へ行こう……?」


 涙はすでに乾いていた。

 玲はそんな彼女の様子を見て、一瞬だけ悲しみの表情を見せた。

 だが、すぐに肩をいからせて彼女に背を向ける。


「……ついてきてください」


 玲は今まで来た道を戻り始める。彼女は無言で玲の後ろに従う。



 二人の帰路は全くの無音で、一言の会話もなかった。

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