第32話 散歩

「咲菜、咲菜」

「あ、どうぞ!」


 そのまま寝落ちしてしまったらしく、お母さんのノックで起きた。控えめにドアが開く。


「ご飯だよ」

「分かった。すぐ行く」


 ムムちゃんを置いてお母さんに付いていく。視界の端にクリアファイルが見えた。コンクールの楽譜が入っているものだ。練習沢山したなぁ。もう使わないけど。


 リビングのテーブルにはハンバーグやサラダが置かれていた。お母さんの手料理だ、嬉しい。普段は当然食べられるものだとありがたく思っていなかったけど、食べられるって幸せなことだったんだ。


「いただきます」


 さっそく食べ始める。最初はちゃんと野菜から。そっちの方が体に良いらしい。


 そして、メインのハンバーグ。うん、お店と違って塩コショウで味付けしているだけなのに、こんなに美味しいの天才。おかわりしたかったけど、さすがに無かった。また作ってもらおう。


「午後はどうする? 宿題?」

「うーん、そうしようかな」

「夕方、涼しくなったら散歩してみてね。適度な運動をって言われたから」

「分かってる」


 まだ体が戻り切っておらず、走り回ったりは難しい。だから、とにかく筋肉を付けるように散歩や筋トレをしてくださいと何度も言われた。それに慣れたらジョギングとか軽い運動を。


 少し休憩をして、とりあえず宿題を開いてみた。働き方改革だとかで今年は去年より宿題が少ない。生徒の立場からしたら嬉しい限りです。


 全部終わらなくてもいいのに、このくらいなら終わっちゃいそう。部活も無いから。


 お母さんと話して、部活に行くのは夏休み明けからということになっている。だからあと十日以上何も予定が無い。


 真奈美と遊ぶのもいいけど、あっちは部活あるから。


 みんな、待っててくれてるかな。私の場所残っているかな。


「……散歩行こ」


 一時間近くやってさすがに飽きてきた。結構進んだから今日はこれでおしまいでいいや。


「お散歩いってくるね」

「スマホ持った?」

「うん」

「いってらっしゃい」


 さすがにお母さんのように手を振る元気はなく、大人しく外に出た。


「あっつ」


 そういえば、夏だった。


 ずっと入院していたし、病院出てすぐタクシーだったから忘れていた。こんなに暑いんだ。帽子被ってきてよかった。


 家の周りを歩くだけだと味気ないので、少し足を伸ばして河川敷を歩くことにした。近づくにつれて、子どもたちの元気な声が届いた。


「わぁ、暑い中すごい」


 高学年くらいの小学生たちがサッカーをしていた。川は近いけど運動するには十分な広さだから、昔からここでよくスポーツをしているのは知っていた。


 今日の最高気温は三十度だから昨日よりはマシだけど、暑くないのかな。


 いや、暑いのは暑いか。それでもやっているのは、好きだからか。


 ちらちら横目で眺めつつ散歩を続ける。楽しそうだなぁ。いいなぁ。


「休むだけ、休むだけ~」


 誰も見ている人はいないのに、言い訳を口ずさみながら河川敷に腰を下ろした。


「ここなら平気かも」


 自分に聴こえるだけの音量で、音を紡いでみる。すぐに止めた。


 掠れていて、みっともない。みっともないと思う心が私を余計駄目にする。


 どんな時だって、私くらいは私の味方でいてあげなきゃすぐ潰れてしまうのに。


「でも、このままじゃ部活復帰できないよね」


 戦力外で見学する私を想像してまた悲しくなった。

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