Thread 03|異変のはじまり

「お前、山口さんと一緒に仕事してたっけ?

 ──なんかさっき資料預かったけど?」

翌朝、出社してすぐ、同期の佐伯が声をかけてきた。


「え、山口さん? 今週ずっと出張中じゃなかったっけ?」

「え、そうなの?……でもさっき来たぜ。ま、とりあえず渡したからな!」

困惑しながら受け取った資料には、『旭山商事』の文字。

胸の奥にぎゅっと押し込めていた小さな違和感がどうしようもなく溢れ出てきた。


山口先輩は、一昨日から明後日まで地方出張で不在のはずだ。

確認してみると、スケジュールにもその記載がある。

……なのに、なぜ。

不思議に思って周囲に聞いてみると、なぜか何人かがここ数日も「山口さんと会った」と答えた。


まるで、山口先輩を中心に、こことは“別の現実”が広がっているようだった。

自分が見ている現実と、周囲が見ている現実。

そのわずかなズレが、じわじわと足元から這い上がってくる。

俺は、少し離れた営業一課の席に目をやった。

そこにあるのは、ただの“空席”——なのに、なぜか目が離せなかった。

単なる不在が、何かもっと深い意味を持っている気がしてならなかった。


* * *


午後、営業会議に呼ばれて会議室に向かったときのこと。

ドアを開けた瞬間、空気が凍った。

「……あれ? お前、誰?」

部長が、俺の顔をまじまじと見ながら言った。

他のメンバーも戸惑っているような表情。

「えっと、須藤です。二課の……」

そう名乗った瞬間、部長が「ああ、そうだったな」と笑ってごまかした。

でもその“間”が、明らかにおかしかった。

俺の名前が、記憶からすぽんと抜けていたような、あの空白。

会議中も、俺の発言だけがスルーされた。

まるで――存在ごと、薄れていくようだった。


* * *


定時後、なんとなく残っていたら、ふと隣のコピー室から物音がした。

誰かいるのかと覗きに行くと、誰もいない。

ただ、床には1枚の紙が落ちていた。

拾い上げると、それはA3サイズの古い社内資料。

《防火避難マップ(旧レイアウト)》

タイトルの下には、今とは異なるフロア図が印刷されていた。


一階から三階までの共有フロア、四階より上の執務フロア──。

俺はその中に、あるはずの無いフロアを見つけて震えた。

“13階”

そして、その横に書かれた”営業第三課”の文字。

「営業第三課」なんて、聞いたこともない。


そこには、数名の社員の名前が小さく記載されていた。

そのうちの一つに見覚えのある名前――“山口 剛” 。

山口先輩と同じ名前だ。

でも先輩の部署は今、営業第一課、同姓同名だろうか。

そして、もう一つ、──目が釘付けになる。


そのリストの最後。

一番下に、こう書かれていた。

呼吸が止まりそうになった。

同姓同名で済ませる気にはなれない。

こんな資料、見たことがないし、そもそも何でここにあるのかも分からない。

でもそこに、自分の名前が――確かに刻まれていたのだ。

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