第十三章 名前を贈る日

想いを言葉にするということ


赤ちゃんが生まれてから七日目の夜。

蓮と美月は、リビングで並んで座り、名前の候補をいくつも書いた紙を広げていた。


「“結(ゆい)”ってどうかな? 人と人とを結ぶ、って意味で」


「綺麗な名前だね。でも……『紬(つむぎ)』もいいなって。

目に見えないものを織りあげてくような、そんな子に育ってほしいって思うの」


二人の間には、言葉にしきれない願いがあった。


蓮は、自分が名を呼ばれることのなかった幼少期を思い出していた。

ただ「お前」や「おい」としか呼ばれなかった日々。

だからこそ、この子には――世界で一番やさしい音で名を呼んであげたい。


「……“光”って文字を入れたい」

蓮がぽつりと言った。


「俺、この子が生まれたときに思ったんだ。

人生がひっくり返るほどの“光”をもらったって」


美月は、優しく微笑んだ。


「じゃあ、“紬”に“光”の字を添えて――

“紬光(つむひ)”って、どう?」


蓮の目に、静かに涙が浮かんだ。

かつては名前の意味すら分からなかった少年が、

今、大切な命に名を贈っている。



二 “兄”としての誓い


その日の夜、タイガは赤ん坊のベビーベッドのそばでじっと佇んでいた。

小さな寝息。丸まった指。ミルクの匂い。


「……なあ、蓮。俺、この子に何をしてあげられると思う?」


「一緒に笑ってやることだよ。

それだけで、この子は幸せになれる」


タイガはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。


「俺、サッカーの推薦、受けるよ。

この子に、ちょっとでも“誇れる兄貴”になりたいから」


その言葉に、蓮は目を細めた。


家族は、つくるものだ。

血縁じゃない。時間でもない。

“覚悟”でつながっていくものだと、タイガが教えてくれた。



三 広がる仕事、つながる未来


蓮の会社では、建築事業と並行して始めた「子ども・若者支援プロジェクト」が、社内で正式に部門化された。


「うちの下請け現場で、社会復帰を目指す若者を受け入れたい」

そう提案した蓮の計画は、当初は半信半疑だったが――


ある現場で、少年が一生懸命配管を磨いている姿を見た職人が言った。


「なんだよ、俺らだって昔は同じだったな。……悪くねぇじゃん、こういうのも」


今や蓮は、プロジェクトの統括者として動き回っていた。

講演会にも招かれ、施設出身者として初の厚労省主催イベントにも登壇した。


だが、彼の口癖はいつも同じだった。


「偉くなりたいんじゃなくて、届く声を持ちたいんです」



四 誓いの日


結婚式は、桜の散り残る四月のある日。

小さなチャペルに、親しい人たちだけが集まった。


バージンロードを歩く美月の手は、少し震えていた。

けれどその目は真っ直ぐに、蓮を見ていた。


「蓮。あなたがくれた“家族”という場所が、

私の人生を変えてくれました」


「美月。俺はこの先もずっと、

君と紬光(つむひ)とタイガを、守っていく。命をかけてでも」


指輪を交わしたとき、タイガがそっと拍手を送った。


彼もまた、“家族”という名の新しいフィールドで、スターティングメンバーとして立っていた。



五 過去は、光の起点になる


式が終わった後。蓮はふと立ち止まり、遠くを見つめていた。


母からはあれ以来、何通かの手紙が届いていた。

「今度こそ、会いたい」と書かれていた。


まだ返事は出していない。

でも、心は前を向いていた。


「母さん、ありがとう。

あなたがいなかった時間も、俺の一部です。

でも今、俺には守るものがある。……その意味が、やっと分かったよ」


振り返ると、美月と紬光、そしてタイガが並んで笑っていた。


世界はかつてのように残酷なままかもしれない。

でも、その中で――光はつながれていく。

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