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  • なんかへの応援コメント

    自主企画でこの作品を知り拝読させて頂きました。「なんか」という素敵なタイトル通りの素敵な作品でした。僕自身は詩を書いた事がありませんが、好きな詩人はいて、カーロスウイリアムカーロス・谷川俊太郎・鈴木みすゞなどが好きです。僕もこの自主企画に自分の書いた
    物で参加させて頂いているので、よろしければ一読して頂けたら幸いです。

    作者からの返信

    瀬尾正博さま、応援コメントありがとうございます。
    カーロスウイリアムカーロスさんも、谷川俊太郎さんも、鈴木みすゞもさんも好きな詩人さんです。いいですよね。


  • 編集済

    なんかへの応援コメント

    詩的で 哲学的で でも現代的で共感もできて、
    とても考えさせられました。自分もよく考えることなので、自分なりのコメントをさせていただきます。

    東洋哲学的には、この世の全ては「空(くう)」 
    「無」 「色即是空」。
    →自分 は 無い

    西洋哲学的には、物事の構造や存在、本質を論理的に定義する傾向。
    →自分 は どうあるのかを追求

    個人的には、
    絶対的自分(自分そのもの、自分の慣習や好みとか在り方) と 
    相対的自分(対面、オンライン、SNS、社会の中にある時)
    があると思っています。

    現代は、自分以外のモノゴトが見えやすすぎて、後者を生み出しやすい。
    後者があり過ぎるこの現代は、自分を見失いやすく、「無」に近づいてしまうと考えています。

    だから、個人的には 前者と後者 のバランスが大事なんじゃないかなと思ってます。
    どっちでもあるし、どっちもあっていい。だけど、傾倒しすぎないのが良さそう、と。

    小説家の 平野啓一郎さん も「分人」というテーマで、色んな「自分」があっていいんだよー、という趣旨のエッセイを出してましたね。

    と、自分で言っておいてアレですが、
    本来こんなに分析しないで良い意味で
    のほほん と過ごせたらいいんですよね。

    良くも悪くも、自分を容易に相対視し分析できる世の中になってしまったのだと。
    そんな事考えなければ、1という自分を何乗しても1で在ることができるのに、見知らぬうちに2や3を何乗もしていまい、それに飲み込まれる。

    1として、0でも過剰に大きな数字でもない自分で在り続ける。
    矛盾していますが、そう在るのが地味なエネルギーを使うけど、いちばん楽に自分の在り方を肯定できるのかなぁと、自分は思っています。あくまで個人の考えです。

    作者からの返信

    μεράκι様、応援コメントありがとうございます。

    友だちと話してて、世の中ゴチャゴチャし過ぎじゃないっていう話になって、自分って、やけに抽象化して、楽観的な人生を送っていて、別に時が来たら、死ぬからいいやって思っていても、そこから何故かニョキって生えてしまう自分もいて、意味を度外視で、出る杭を打って、丸を作って、また生えてを繰り返して。
    人生を難しくしたのは、自分なのか、世の中なのか。どっちなんでしょうね。

    あと、平野啓一郎さんの「分人」も読んだことあります。いいですよね。