第2話 オファーの内容
「どうもお久しぶりです」
ホテル1階のカフェ前で待ち合わせた、東田GMの姿を見て、僕はとても驚いた。
僕の知っている東田GMは、長身で引き締まった体つきをしており、高級そうなスーツをバシッと着こなしていた。
しかし目の前の東田GMは高級スーツを着ているのは変わらないものの、やせ細っており、スーツは明らかにぶかぶかだった。
顔色も土色で、生気を失ったような表情をしている。
どうしたのだろう。あまりにもチームが弱いため、心労が重なったのだろうか。
「どうも久しぶりですね。もっとも高橋選手のご活躍はいつもテレビで見ていたので、長い事お会いしていないような気はしませんが」
日本の衛星放送でも、たまにバッファロー・グレートフォールズの試合が放映されているそうだ。
「ええ、何とかアメリカでも生き抜いています」
「入団当初から高橋選手の努力を見ていた僕としては、高橋選手の活躍が自分事のように嬉しいです」東田GMは笑顔を見せた。だが見るからに体の調子は悪そうだ。
「立ち話も何ですから、中に入りましょうか」東田GMに促され、僕はその後をついてカフェに入って行った。
「何にしますか?」
「それではホットコーヒーをお願いします」
東田GMは流ちょうな英語で、ウエイトレスにコーヒーを二つ注文した。
僕もアメリカで約4年間暮らすうちに日常会話は不自由がなくなっている。
球団手配の通訳はマイナーリーグではつかないため、チームメートとコミュニケーションを取るためには英語は必須である。僕は学生時代、語学は苦手だったが、アメリカ球界で生き抜くためにはそんなことは言ってられず、必死に覚えたのだ。
(作者注:彼は学生時代、数学も理科も社会も音楽も美術も家庭科も苦手でした。一番苦手なのは道徳です)
「しかし何度来てもフロリダは良いところですね」
「はい。初めて自主トレで来てから、とても気に入っており、こっちに来てからはシーズンが終わったら必ず来るようにしております」
「そうですか。私も仕事とは言え、最後に来ることができて良かったです」
そして天気やアメリカでの生活について話をしていると、コーヒーが2つ運ばれてきた。
東田GMはそれを一口飲んで、口を開いた。
「単刀直入に申し上げます。今回、私がここまで高橋選手に会いに来た理由は他でもありません」
僕は自分が緊張しているのを感じた。
「高橋選手にはぜひ、静岡オーシャンズに戻って来ていただきたい」
やっぱりそうか。率直に嬉しく思った。静岡オーシャンズからフリーエージェントでの人的補償で、泉州ブラックスに移籍した時から、いつかはもう一度、静岡オーシャンズでプレーしたいと思っていたのだ。
ドラフト同期がチームスタッフとして残っており、球団職員にも知り合いは多い。僕はフリーエージェント選手の人的補償で移籍しただけであり、決して静岡オーシャンズが嫌で出たわけでは無い。
「少し…、考えさせていただけますか。家族にも相談しなければいけませんし…」
「はい。それはもちろんです。何しろ監督となると、心身ともに負担も重くなります」
「はい?」
今、監督と言わなかったか? 聞き間違いだろうか。いや、そうに違いない。
東田GMは事も無げにコーヒーをすすっている。
「あの…」
「何でしょうか」
「今、監督という単語が聞こえたのですが…」
「はい、そうです。高橋選手には監督として、当チームに戻って来ていただきたい」
僕は自分の頬をつねった。どうやら自分は妙な夢を見ているようだ。
まだ弱冠35歳の、しかも指導者経験皆無の自分に監督のオファーがあるわけはない。そもそも自分はサブ要員とは言え、まだバリバリの現役メジャーリーガーだ。
コーチ兼任のオファーならともかく、監督のオファーが来るわけない。変な夢…。
強くつねり過ぎて、痛みが残っている頬をさすりながら、そう思った。
「驚きましたか?」
「はい。幾ら夢の中とは言え、妙な夢だなと思います」
「夢なんかじゃないですよ。静岡オーシャンズは高橋選手に監督してのオファーを出しているのです」
おかしな夢だ。いつになったら覚めるのだろう。
「そうですか。それは選手兼任ということでしょうか」
「我々としては監督に専任して頂きたいですが、高橋選手はまだ30代半ばですし、ご希望されるのであれば選手兼任でも構いません」
「なるほどそれは思いもよらなかった。面白いオファーですね」
「はい、受けていただけますでしょうか」
しかし東田GMがこんなに冗談好きだとは知らなんだ。
「あの…」
「はい?」
「そろそろ本当の事を言って、頂けますか?」
「本当の事と言いますと?」
「監督のオファーなんて、冗談にも程がありますよ」
東田GMはコーヒーをもう一口すすり、彼を真正面に見据えた。その面持ちは真剣そのものである。
「私には時間が無い。冗談を言っているような余裕もありません。だから本気です」
僕は瞬きした。東田GMの口調からは冗談を言っているようには見えない。病気か何かで正常な判断ができなくなっているのだろうか。
「高橋選手は私が頭がおかしくなったと思ってらっしゃいますね」東田GMはそう言って、コーヒーカップをソーサに置いた。
その通りです。そんな言葉が頭を掠めたが、黙っていた。
「それでは何で高橋選手に監督のオファーを出すに至ったか。その理由を少しご説明いたしましょう」
東田GMはゆっくりと話を始めた。
長くなりそうなので、次回へ続く。
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