第13話 二郎インスパイア系醤油ラーメン

 カーンカーンカーン


 目覚ましのベルが鳴る。それと同時に簡素なベッドが縦に回転した。

 私は自動的に立ち上がっている。掛布団も枕もすでにベッドの内部に収納され、簡素な寝巻きのまま、何もない部屋の中でポツンと立っていた。


「寒い」


 そう思うと、寝巻きは剥ぎ取られ、灰色の作業服を着させらる。これは部屋に備え付けられた機械のアームがやっていることだ。


 次いで、機械アームは私の目の前に牛乳瓶のような容器を運んでくる。この中にはドロドロに溶けた食料が入っており、それをまた強制的に飲ませられた。

 何の味も感じられない。ただ、どろどろとした食感と腹に溜まる感覚だけがある。


 食事が終わると、部屋の扉が自動的に開いた。

 このタイミングで外に出なくてはいけない。遅れると、警告が発せられ、減点される。減点ほど恐ろしいものはない。


 ウィーンウィーン


 部屋の外にはすぐベルトコンベアが回っており、そのまま作業所まで送られる。私の前後では人々がただ立ち尽くし、同様に持ち場へ運ばれるのをただ待っていた。

 今日も退屈な労働が始まるのだ。いや、退屈という感覚も消え失せてしまっている。人間というものは日常に順応するのだ。


 ベルトコンベアで移動してきた私を待っていたのは、ベルトコンベアで運ばれてくる機械だった。この機械の部品を次々に取り付けていくのが私の仕事だ。

 何の面白みもない単調なだけの仕事。まるで私自身が機械の一部であるように。

 だが、それでいい。何かを考えていると、時間が過ぎるのがあまりにも遅い。何も考えず、ただ無心で仕事をする。そうして、一日はようやく終わるのだ。


 カーンカーンカーン


 鐘の音が仕事の終わりを告げる。これで仕事から解放された。

 解放? 解放って何だ? この後はベルトコンベアで自室へ運ばれ、政府機関が用意した単調な娯楽をさせられ、そして、睡眠を取らされるだけだ。

 そんなことが解放と呼べるのだろうか。


          ◇


 私の名前は麓郎ろくろう。元ライターだ。いや、ライターになりたいと昔思っていただけだったかな。どうも、記憶が混濁している。


 私の生まれた社会では遺伝子情報が管理され、幼少期のテストを経て、職業が決定される。私が志望していた文筆業はそもそも受け入れ数が少なく、個性の強いものはそれだけで撥ねられるらしい。私が受け入れられることはなかった。


 記憶の混濁の中では、自由に職業を選べる社会にいて、ライターをやっていた。

 これは妄想だろう。精神が病んでいるのだろうか。


 なぜか、今の状況を書き記すことが使命のように思えた。政府機関の目を盗み、こうして手記を書いている。

 もし、この手記を読むような人がいるのなら、私の考えが正しいのか間違っているのか、客観的に判断してほしい。


 私は決断する。私は自由を求める。

 そして、自由とは何か。私自身に問いかける。


「それは、二郎だ。二郎インスパイアのラーメンをカロリーを気にせず食べること。それこそが自由なんだ」


 記憶の混濁を頼りに、私はそう結論を出した。


          ◇


 ベルトコンベアで運ばれる。その道すがらに隠された通路があった。壁を押すと、意外なほどにあっけなく動き、隠し通路を露わにした。

 監視カメラに怪しまれないよう、私はすぐさまその通路に入る。


 なぜ、こんなことを知っているのか。

 それは情報屋から情報を買っていたからだ。


 ある日の帰り道、ベルトコンベアに見知らぬ男がいた。鳥の嘴のようなマスクを被り、目をゴーグルで覆い、黒いフードと黒いマントで全身を覆う。こんな服装の許される職業はない。

 私は男の存在に訝しんだ。しかし、男は馴れ馴れしく声をかけてくる。


「私は怪しいものではありません。ただの情報屋です。

 ねえ、あなた、情報を買いませんか。こんな生活を無為に繰り返すのに疲れたんじゃありません?」


 正直、怪しさしかなかった。

 けれど、彼の情報は信じられる。そんな気がしていた。記憶の混濁のせいだろうか。

 私は彼を信じ、この隠し通路を進んでいる。


          ◇


「はあはあ」


 散々迷った。散々歩いた。そして、地上に出る。

 空を見たのは初めてだ。それを見て、生まれた感情は絶望だ。


 私の聞ている作業服と同じように、灰色だった。


 青い空。澄み渡る空。どこまでも広がる空。

 そんなものはなかった。空は灰色で、狭く、私はこの場所から抜け出せない。そんな予感をさせた。


 だが、二郎だ。私が求めているものは地上にある。

 求めているラーメンを味あわないうちに絶望するというのもまだ早いだろう。


 私は情報屋の情報を頼りにただ歩いた。

 そして、辿り着く。


「え、何もない……」


 そこに店舗を構えているはずだった。だが、その場所は更地である。

 嘘か。あんな怪しい奴の言うことを信じた自分がバカだったのだ。

 人生のレールを踏み外した私は今ごろ指名手配されているだろう。そして、減点される。


「なんてことをしてしまったんだ」


 私はその場でへたり込み、地面に拳を叩きつけ、涙混じりに喚いた。

 もう終わる。いや、終わってしまった。全ては無駄だった。


 ギィィー


 そう思った瞬間、私の叩いていた地面が急にせり上がる。鈍い音を鳴らしている。地下へと続く扉だった。

 そして、地下の扉から男が私を見ている。


「お客さん?」


 まさか! 二郎の店員なのだろうか。

 それはねずみ男と呼ぶべき印象の男だった。いや、歴史の教科書に載っている昔の政治家、小村こむら寿太郎じゅたろうに似ている。そのあだ名は確かねずみの外交官ラッツミニスター。そのまんまの姿だ。


「まあ、入んなよ」


 私が呆然としていると、店員はそう声をかけてきた。

 確かに、この場に留まるのは危険なのかもしれない。そう思い、店員に従い、地下へと潜っていく。

 果たして、地下に二郎はあった。


          ◇


 地下の二郎は物凄い行列だ。

 こんなにも大勢の人があの管理社会から抜け出してきたのかと唖然とした。


 そうか。もしかして、ドロップアウトした者にとって、食事のできる場所は限られるのか。


「おい、並べよ」


 行列の一人が言う。私はそれに従って、最後列に立った。

 しばし待つ。いつの間にか、私の背後にも人が並んでいた。


 ふと、振り返ると、一つ後ろに並んでいる男と目が合った。黒い山高帽を被り、赤と緑のボーダーシャツを着ている。なぜか、バチバチと電撃が弾けるような感覚があった。

 こいつは私の終生のライバルになる。そんな感覚があった。


 行列が進み、ようやく券売機の前にやって来た。

 何を頼むか、少し迷う。散々歩いて腹が減っている。ラーメンは大だ。それに豚(叉焼)の大(三枚)を追加。あと、ハイボールも選ぶ。

 券売機からプラスチックのカラフルなチケットが出てきた。


 すると、背後からため息交じりの声が聞こえる。


「おいおい、ロット乱しは大罪ギルティだぜ。理解しわかってんのか」


 それは私の後ろに並んでいたライバルからのものだ。

 直後、私は振り返り、互いに視線を交わす。バチバチとした電撃は燃え盛るような火花へと変わった。


「食べきりゃいいんだろ。お前よりは早いさ」


 売り言葉に買い言葉。私はつい口走っていた。


          ◇


 まず、来たのはハイボールの缶だ。手に触れると、しっかりと冷えていることがわかる。


 カシュッ


 缶を開けた。シュワッと爽やかな音が聞こえる。

 それを口に含んだ。爽やかですっきりとした味わい。微かな炭酸に優しさがあり、その冷たい優しさが喉を通っていく。

 心地よかった。疲れた体で飲むお酒というのはこんなにも幸せをもたらしてくれるものなんだ。


 ゴクゴク


 ついつい、飲み進める。アルコールの味わいもある。

 それを感じるたびに、私は酔うような気分になった。


 けれど、それは気のせいなのだ。

 ハイボールの成分というのは水とそう変わらない。いくら飲んでも酔うことはない。


 これから勝負があるのである。それを酒のせいで負けたなんて言われたくない。


「ニンニク入れますか」


 唐突に店員がそう聞いてきた。これは尋問だ。瞬時に、的確に、思うままに、答えなくてはならない。

 私の脳裏にいくつもの言葉が浮かんでは消える。だが、回答は決まっていたはず。それを思い出す。


「ニンニク野菜マシマシ油マシマシカラメ」


 そう言うと、店員は無表情で踵を返し、ラーメンを作った。そして、どんぶりを私の前のカウンターに置く。

 それは、天高く野菜が積み上げられたラーメンだった。そのサイドには極厚の叉焼が巻くように配置されている。


「熱いので気をつけてください」


 これ以上は給仕をしないという宣言だ。私はラーメンの淵を持つ。ここならば、そんなに熱くはない。

 目の前にどんぶりを置き、割り箸を手にした。


「いただきます」


 その言葉はすぐ隣のライバルとハモった。見ると、同じように大量の野菜と叉焼が盛られている。

 同時にラーメンが来たのだ。ロットが同じということである。

 この後、ロットを乱すのはどちらか。


          ◇


 ズズズッ


 ラーメンを啜った。もちもちの太麺。噛みしめるごとに甘さと美味さがコントラストになるように浮かび上がり、そのしょっぱさと旨味が舌を伝わってくる。

 これは醤油、塩、それだけではない。化学調味料。旨味の塊がスープに無尽蔵に入れられており、それが麺に伝わってくるからこそのものだ。


「美味いっ! 美味いっ!」


 思わず、言葉が口から叫ぶように出てくる。


 麵ともやし、キャベツを絡ませ、刻みニンニクと刻み玉ねぎを乗せる。麵を口に運ぶと、ニンニクの刺激、玉ねぎの鮮烈さが激烈な味わいとなって、私の口中で弾ける。さらに、キャベツの旨味、もやしのシャキシャキとした食感と満足感があった。


「叉焼も食べなきゃな」


 私は叉焼に嚙みついた。叉焼は柔らかく、口の中でほどけるようにバラバラになった。

 肉の旨味がある。柔らかさがある。肉を噛み砕く満足感とともに、その旨味を感じていた。

 それと同時に麵を啜る。美味いぞ、これは。


 これを繰り返す。麺を食べ、野菜を食べ、叉焼を食べ、ニンニクを食べる。卵が半分だけ乗っていた。これも食べる。まろやかな味わいが、本能を刺激するかのような二郎ラーメンと調和するかのようだった。


「美味いっ! 美味いっ!」


 食べながら、隣の様子を見る。ライバルが同じように感嘆とした様子で、ひたすら麺を啜っていた。


 ギルティ! オア! ノットギルティ!


 これはどちらかが罪を背負うまで終わらない勝負だ。

 だとしたら、私には勝つ以外の選択肢はない。私に罪はないのだから。


 胡椒をかけ、少し味わいを変える。スパイシーな味わいを持つ麵もスープもこれまで以上に魅力的に思える。

 唐辛子もかけてみる。すでに満腹感が全身を支配しているが、スパイシーな味わいにより、さらなる食欲を掻き立てさせるのだ。


 よし、食べ終えた。


 とっくに満腹だったが、どうにか食べ終えることができた。

 隣の様子を窺う。まだ、スープを飲んでいた。


 勝ったな。


 私はスープを飲み干したどんぶり、水を飲み干したコップをカウンターに置く。カウンターに置かれたハンドタオルでカウンターを拭いて、立ち上がった。


「ごちそうさまでした」


 そう言って、その場を立ち去ろうとする。

 すると、ねずみ男の店員が声を上げた。


「ギルティ!」


 は!? 私が何をしたというのか。同じロットの隣のライバルだってまだ食べ終えていない。食器も片付けている。

 そんな困惑のうちに合って、ライバルはスープを飲み干し、どんぶりを置き、カウンターを拭くと、帰っていった。私と違い、ギルティとは言われない。


「何が、何がギルティなんだ?!」


 私が問うと、店員は答える。


「空き缶は自動販売機横のごみ箱に捨ててください」


 あっ。


          ◇


 ギルティ。

 私はロットバトルに敗北した。


 私は敗北した。私は敗北した。私は敗北した。私は敗北した。

 私は敗北した。私は敗北した。私は敗北した。

 私は敗北した。私は敗北した。

 私は敗北した。


 そう、私は敗けたのだ。気づくと、二郎の頂上である地上にいた。

 灰色の空を見上げている。


「俺は……っ!」


 私の中の敗北感というエネルギーが体内に満ちるのを感じていた。


「負けたんだぁっ!!」


 負の感情が解き放たれた。

 フラッシュする。それは眩いばかりの光を放ち、重量を持つエネルギーとして、空を焼いた。


 ガラガラガラガラ


 崩れる。天井が崩れる。灰色の空は壁であった。


 閉ざしていたんだ。世界の外側を。

 その外側には何があるのか。輝かしい未来が広がっているんだろうか。


 私はそう思う。次の瞬間、それが否定される。

 外側の世界にはただ絶望だけがあった。


 巨大な魔物とも蟲とも取れない怪物が蠢いている。外側は平和な世界ではなく、悍ましい世界のように見える。


 蟲の群れが私たち内側の世界が開いたことに気づいた。蟲が世界を蹂躙し、喰らい尽くし、こちらに近づいてくる。

 私は迫り来る存在に恐怖し、顔を引き攣らせた。死んだ。


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