ボッチ高校生の氷見辰生、彼はただ何もない平和な日常を求めているだけなのだが

仁水

第1話ー破壊される日常

しんどい……そう思っても仕方ない事態が目の前で引き起こされている。

 

 

 高一の六月、昼休み。

 入学式からの二カ月、ボッチ高校生活を余儀なくされている僕にとって、この文芸部の部室は、便所飯ルートから回避させてくれる唯一にして最後の砦だ。

 そのうえ、本の虫である僕にとって、この八畳半の中で溢れかえる程の本に囲まれた空間は花園そのものだ。

 しかし、虫と化した僕にとって、昼休みの一時間というものは十分程度の儚いものとなってしまう。

 だからこそ、一分一秒も無駄にしたくない。

  

「ふぅ。あっつい……ねね、冷房つけてもいい?」

「あ、まあ。いい、いいんじゃないでしょうか」

「なにそれ、いつもここでご飯食べてるんでしょ? いつもつけないの?」

「え、あぁ。まあ」

「ええ、絶対熱中症になっちゃうし、危ないよ!」

 

 もう一度言わせてもらう。

 僕は、この貴重な本蜜を少しでも長く堪能したいんだ。

 決して、目の前でエアコンを付けて、サンドイッチを頬張りつつ、片手で扇風機を回している同級生の志乃新稲(しのにいな)さんと二人っきりで密室の空間でご飯を囲う緊急イベントに興じる気は微塵もない。 

 しかし、扇風機の風でルビー色の髪をなびかせながら、エアコンの風を全身に感じさせるために椅子の上で仰向け状態になっている志乃は、残念ながら本物らしい。

 この暑さで、頭のCPUがバグってしまったことで見せられている幻覚であれば、どれほど救われたことか。

「あ、このラノベ、私の好きなやつだ!」

「ねえ。ねえってば、このラノベなんだけどぉ」

「あ、ああ、うん……読む?」

「え?! 借りてもいいの?」 

「まあ、僕が持ってきたやつだし、ちゃんと返してくれるなら」

「やったあ~!! リスナーに言われて、ずっと続編気になってたんだよねえ~」

 窓から差し込む光が反射し、さらに綺麗な紅色を放つふわふわの髪の毛が首元でゆらゆらと揺らしながら、本を胸元で抱きしめて喜びを露にする彼女と無邪気な女児が重なって見える。

 しかし、学年の中でも一位二位を争うほどのその整った容姿と、白い夏服のシャツで、発育十分とまでは行かなくても可愛らしく強調された胸元は邪悪なものを引き寄せそうだ。

 それでも、彼女のその幼さを残したあどけなさと朗らかな性格、そして純粋すぎるが故の無防備さが逆に結界のようなものを作っているようにも見える。

 そして、その結界こそがこの子がⅤtuber『兎宮みな(うさぎみやみな)』を作り出しているようにも思える。

「このラノベ、原作のイラストレーターがⅤの子らしくてさ! リスナーに勧められて見始めたんだけどすっごくはまっちゃったんだ!」

「あぁ、もしかして『しろみママ』?」

「え! 知ってるの?」

「そりゃあまあ。めちゃくちゃ有名なⅤtuberだよね?」

「そうそう! 私も推してるんだよねえ。ねね、たつ君は推しのⅤているの?」

「ぼ、僕? 僕はまあ、推しってほどじゃないんだけどね」

「そうなの?」

「しろみママはさ、イラストレーターとしても活躍してるじゃん?」

「知ってる知ってる! だから、ママって言われてるもんね! あ、もしかしてたつ君の推しって、夏巳天(なつみそら)ちゃん?」

「まあ、うん。そうなる」

「へえ~、ああいう系が好きなんだぁ」

 やばいしんどい。

 しんどすぎる。

 女子と話すって、ここまでしんどいものだったっけ。

 そもそも十六年間、人をやってきて、ここまで長時間、女子と話した経験があっただろうか。

 どうしよう。

 冷房が効いていないのか、それとも未経験の出来事のせいか、身体が熱い。

 そのうえ、右手に持っているおにぎりが重たい。

 口に運ぶだけでも一苦労だ。

「でも、そっかあ。たつ君、天ちゃん推しなんだあ」

「え、変だった?」

「ううん。変じゃないんだけどさ。なんかうれしくって」

「うれしい?」

「だって、うちのクラス、こういうⅤの話で盛り上がれる人いないからさ」

「そうなんだ」

「ねね、いつもここでご飯食べてるの?」

「そうだけど……」

 あ、ごめんなさい。

 ー神様、もう拷問は十分に楽しまれたでしょう。そろそろ、蜘蛛の糸を垂らしていただけませんか?

「いや、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど」

「はぁ」

「単純に、いいなぁと思ったの」

「何が?」

「だって、なんかさ秘密基地みたいでいいじゃん。なんか憧れてたんだよねえ」

 志乃さんは、ふと立ち上がり、本棚を見渡しながら部室をゆっくりと歩き回り始め、少し背伸びをしながら上のラノベを見つめている。

 手を後ろに組むことで、強調された胸に意識が向いてしまうのは、男子高校生の本能であるため、ご理解頂きたい。

 しかし、神様。

 確かに僕は、蜘蛛の糸をご所望させていただきました。

 ご所望させていただきましたが、この形の蜘蛛の糸の吊るし方は、いかがなものでしょうか。

「まあ、秘密基地てほど良いものでもないけどね。ただの部室だし」

「たしかに、それはそう! でもさ、ここの部室、不思議だよね」

「不思議?」

「だって、ここって購買部の真上にあってさ、しかもスポーツ科の教室の近くにあるじゃん?」

「まあ、そうだね」

「てことはさ、本当ならめっちゃ人が多い場所にあるじゃん? だけど、多分ここに部室があるって多分誰も知らないと思うんだよね。だから、秘密基地感えぐくない?」 

「言われてみれば、確かに」

「しかも、そんな場所知ってるたつ君すごいよね」

「え? なんで」

「だって、誰も知らない秘密の場所持ってるわけでしょ? それって、めっちゃすごいじゃん」

「その視点は無かったわ」

 独特な感性だ。

 素直にそう思った。

 長年、サブカルチャーにどっぷり浸かり、物書きに興じてる僕でも志乃さんの感性には正直に言って勉強になる。

 おそらく、この独特な感性と僕のような人にも臆せず話せるカンストしてるコミュニケーション能力が登録者数50万人を超える『兎宮みな』を作り出しているのだろうと素直に感心する。

「まじ? それ損してるって! 私ならこんな秘密基地あるなら、絶対配信部屋にして昼間配信するのに! 昼からゲリラ歌枠! とかさ」

「いや、ここ防音機能無いから普通に外に駄々洩れにならない?」

「大丈夫大丈夫! 外、昼休みだからみんな騒ぎまくってるしばれないでしょ!」

「いやいや、普通に考えて部屋から突然カラオケ音源聞こえてきたら、絶対部屋に来るって」

「そうかなあ。じゃあ、今度、同級生乱入RTAのゲリラ歌枠やってもいい?」

 ……前言撤回する。

 ただの天然の気質だ。

 しかも断言できる。

 この子の天然のベクトルはよくない方向のタイプだ。

 正直に言うと、僕もⅤ業界についてそこまで詳しいかと言えば嘘になる。

 嘘にはなるが、Ⅴtuberという存在で身バレし、しかも同級生が配信中に乱入するなんて、事故中の事故案件になることくらいは容易に想像できる。 

「そうだ。どうせなら、たつ君。今度コラボしようよ!」

「はぁ?!」

「だって、同級生でしかも今は、私の専属ライターさんじゃん? 仲良く歌ってたら、厄介なファンを遠ざけることもできるんじゃないかなと思って」

「いやいやいや、絶対その理屈間違えてるから。しかも、厄介ファンて何?」

「えぇ? ガチ恋勢とかユニコーンだよ! ほら、私一応高校生じゃん? そういうファンいると、私生活も結構びくついちゃうんだよねえ。だから、たつ君とコラボしたらそういうファンも遠ざけることできるんじゃないかなぁと思ってさ」

「それ、百パーセント僕が燃えて終わるだけだから……。僕の私生活が死ぬって」


 本当に、どうしてこうなってしまったのだろうか。

 いや、きっともう、僕の、いや僕だけのスローライフは終わってしまったのだろう。

 あの日から……

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