第6話:すれ違う視線、募る不安

文化祭が近づくにつれ、クラスの熱気は一層高まっていた。校内はどこもかしこも、飾り付けや小道具の準備で賑やかだ。陽菜と月見は、連日放課後まで残って飾り付けの準備に励んでいた。大きな模造紙に絵を描いたり、色とりどりの布を縫い合わせたり。共同作業はすっかり慣れ、陽菜が「ここ、もうちょっとお花を増やしたいな!」と言えば、月見はすぐに黙って花形の紙を切り始める。言葉を交わさなくても、お互いの意図が伝わる。そんな心地よい一体感が、二人の間には生まれていた。陽菜の胸には、月見との絆が深まっていくことへの確かな喜びがあった。月見もまた、陽菜の隣で作業することに、静かな幸福感を覚えていた。


しかし、陽菜の心には、微かな不安が芽生え始めていた。月見への感情が、友達としての「好き」とは違う、もっと特別な「好き」だということを、陽菜は自覚し始めていたのだ。月見を見る自分の視線が、以前の「クラスメイト」とは違うことを、陽菜自身が敏感に感じ取っていた。月見と目が合うたびに、胸の奥がキュンと締め付けられるような、甘く、そして少し切ない感覚に襲われる。


(この気持ちって、何なんだろう……どうしてこんなに、月見さんのことばかり考えちゃうんだろう……月見さんは、どう思ってるんだろう?)


陽菜は、月見の態度がどこか掴めないことに、もどかしさを感じるようになった。月見は相変わらず言葉数が少なく、陽菜の心の中の波立つ感情を、彼女がどう受け止めているのか、全く分からなかった。その見えない心の壁が、陽菜の胸をかすかに締め付ける。


ある日の昼休み、クラスの女子たちが楽しそうに文化祭の話をしていた。テーマは何か、出し物はどうするか、と笑い声が飛び交う。陽菜もその輪に加わり、大きな声で笑っていた。ふと、陽菜は月見の方に視線を向けた。月見は、少し離れた席で、一人静かにパンを食べていた。月見の視線が、一瞬だけ、陽菜たちの方を向いたように見えた。その瞳の奥に、微かな翳りがよぎったような気がして、陽菜の胸に小さな痛みが走る。


(気のせい……かな? まさか、月見さんが私を、そんな風に……)


陽菜は、すぐに月見に目を向けるが、月見はもう視線を外し、再びパンを食べることに集中していた。その表情は、普段と変わらない無表情だった。しかし、陽菜の心には、拭いきれない漠然とした不安が残った。その小さな疑問が、まるで種のように、陽菜の心に静かに根を張り始めていた。


放課後、飾り付けの作業中、陽菜は月見に尋ねた。


「ねえ、月見さん。文化祭、楽しみ? きっとみんな、私たちの飾り付けにびっくりするよ!」


陽菜の言葉に、月見は作業の手を止めずに、「……はい。陽菜さんと一緒に作れるので」と答えた。その言葉に、陽菜の胸は温かくなった。月見が自分の名前を挙げてくれたことに、素直な喜びを感じたのだ。月見からの、数少ない、しかし確かな肯定の言葉だった。


「そっか! 私も、月見さんと一緒だから、すごく楽しいよ! なんだか、月見さんとだと、あっという間に時間が過ぎちゃう気がするな」


陽菜は、少しだけ声のトーンを上げて言った。月見は、その陽菜の声に、ほんのわずかに肩を揺らしたように見えた。月見の心には、陽菜の真っ直ぐな言葉が、これまでになく強く響いていた。陽菜が自分との共同作業を「楽しい」と感じていること、そして「一緒だから」という言葉に、月見の心は温かい感情で満たされそうになる。しかし、同時に、その感情の膨張が、月見自身の心の均衡を崩しかねないという微かな戸惑いも感じていた。月見の心の中で、「未経験の感情」が芽生え、それに対する「理性的な制御」が働き、彼女の行動に微妙な変化をもたらしているかのようだった。その変化は、月見自身にも不可解なものだった。


月見は、作業の手を止め、ハサミを机に置いた。そして、陽菜の方にゆっくりと視線を向けた。その瞳は、いつものように澄んでいたが、その奥に何かを迷っているような、微かな揺らぎが見えた。まるで、言葉にならない思いが、瞳の中で波打っているかのように。陽菜は、その月見の眼差しから、並々ならぬ気配を感じ取った。


「……陽菜さん」


月見が、陽菜の名前を呼んだ。その声は、いつもよりも少しだけ、重く響いた。陽菜は、月見のその真剣な眼差しに、ドキリとした。何か、大切なことを話そうとしている。そんな予感がした。陽菜の心臓は、静かに、しかし確実に、その鼓動を速めていた。


「どうかしたの? 月見さん。何か、言いたいことでもある?」


陽菜が優しく問いかけると、月見は、口を開きかけたが、結局、何も言えなかった。彼女の視線は、再び陽菜から外れ、宙を彷徨う。その口元が、何かを言おうとして、しかし言葉にできないまま、わずかに震えているように見えた。そして、小さく「……いえ、なんでもありません」と呟き、再びハサミを手に取り、作業を再開した。その仕草は、どこかぎこちなく、月見自身の動揺を物語っているようだった。


陽菜は、その沈黙と、月見の曖昧な態度に、やるせなさを感じた。月見が何を言いたかったのか、なぜ言葉を飲み込んでしまったのか。陽菜には分からなかった。しかし、その「言えなかったこと」が、二人の間に、これまでになかった微かなすれ違いと、言葉にならない不安を生み出した。陽菜の心には、月見への特別な感情と、月見の「本心」が見えないことへの焦燥感が募っていく。陽菜は、まるで透明な壁の向こうに月見がいるような、そんなもどかしい感覚に囚われた。


陽菜は、作業をしながら、月見の横顔を何度も盗み見た。月見は相変わらず黙々と手を動かしている。その静かな姿を見ていると、陽菜の胸は締め付けられるような、甘く切ない痛みを感じた。月見の心の中に、何があるのか。陽菜は、その見えない心の壁を乗り越えたいと強く願った。文化祭の成功を願う気持ちと同時に、陽菜の心は、月見との関係の「次の段階」へと進むことを、切望し始めていた。陽菜の瞳には、月見への深い愛情と、それを伝えきれない苦悩が、静かに揺れていた。

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