純粋な煌めきは、いつも隣に
五平
第1話:偶然の隣席、微かな予感
陽菜は、新しいクラスに胸を躍らせていた。希望に満ちた新学期の始まりだ。教室の扉を開けると、既に多くの生徒が席に着き、友人との再会を喜ぶ声や、初めてのクラスに戸惑う声が混じり合って、ざわついている。陽菜は自分の席を探し、通路を進む。窓際の、一番後ろの席。そこが、今日から一年間を過ごす自分の場所だった。真新しい机と椅子に手を触れると、少しだけひんやりとした感触がした。新しい環境に身を置くことへの微かな緊張と、それ以上の高揚感が陽菜の胸を満たす。
席に荷物を置いて顔を上げると、陽菜は思わず息を呑んだ。隣の席に、一人の少女が座っていた。クラスの喧騒から切り離されたかのように、その少女だけが静寂の中にいる。白い肌は透けるようで、伏せられた長い睫毛が影を落とし、まるで絵画から抜け出してきたかのような神秘的な雰囲気を纏っていた。陽菜は、その姿に微かな違和感と同時に、何とも言えない好奇心を覚える。陽菜の脳裏には、どこか遠い記憶の風景がぼんやりと浮かび上がり、その少女の存在が、過去と現在を繋ぐ微かな糸のように感じられた。
(転校生……かな? こんなに静かな人、初めて会うかも)
陽菜は、どう声をかけようかと少し迷った。いつもなら躊躇なく話しかけるのに、この少女の放つ独特な空気感が、陽菜の行動をほんの少しだけ、ためらわせたのだ。しかし、このまま黙っているのも性に合わない。陽菜は意を決して、少しだけ声を弾ませて話しかけた。
「あの、隣の席になった陽菜です! よろしくね!」
少女はゆっくりと顔を上げた。その瞳は、陽菜の活発な声に戸惑いを隠せないようだったが、どこか真っ直ぐで、陽菜は吸い込まれそうな感覚に陥る。少女は小さく頷いただけで、何も言わない。しかし、その視線には、陽菜の明るさに触れて、これまでにない温かさが灯り始めていた。それは、まるで凍っていた湖の表面に、微かなひび割れが生じたかのような、内面的な変化の兆候だった。
陽菜は、少女の言葉の少なさとは裏腹に、彼女の瞳の奥に何かを語りかけるような微かな光を見出した。この出会いが単なる偶然ではないという予感に胸を躍らせる。陽菜の好奇心は、単なる興味ではなく、月見の秘められた内面を解き明かしたいという、強い衝動へと変化する助走を始めていた。
「私、陽菜って言うの! 君は?」
陽菜が重ねて尋ねると、少女はゆっくりと口を開いた。
「……月見。月見、です」
か細く、しかしはっきりと聞こえる声。陽菜の心に、小さな波紋が広がる。月見。素敵な名前だと思った。陽菜の脳裏に、月光を浴びた静かな夜の情景が広がるような、詩的な響きを感じた。彼女の名前が、その神秘的な雰囲気に完璧に合致しているように思えた。
担任の先生が教室に入ってきて、ホームルームが始まる。自己紹介の時間になり、生徒たちが一人ずつ立ち上がって、簡単な挨拶をしていく。陽菜は元気よく、趣味や好きなものを話した。クラスメイトたちの笑い声が上がり、陽菜はいつものように、あっという間にクラスに溶け込んでいく。
月見の番が来た。月見はゆっくりと立ち上がり、小さな声で「月見です。よろしくお願いします」とだけ言い、すぐに席に座った。クラスメイトたちは、その言葉の少なさに少しざわついたが、すぐに別の生徒の自己紹介に移っていった。陽菜は、そんな月見の姿をじっと見つめていた。まるで、彼女の言葉の裏に隠された本当の気持ちを読み取ろうとしているかのように。
休み時間になった。クラスメイトたちは、それぞれ友人との会話を楽しんだり、新しい友達を作ろうと動き回ったりしている。陽菜も何人かのクラスメイトと話したが、時折、隣の月見に視線を送った。月見は、ただ静かに自分の席に座り、教科書を読み始めている。その姿は、周囲の賑やかさとは全く無縁のように見えた。月見の周囲には、まるで透明な壁があるかのように、彼女だけの空間が形成されている。陽菜は、その「壁」の存在を感じながらも、どうしてもそこに触れてみたいという衝動に駆られた。
(何か話しかけてみようかな……でも、何て言えばいいんだろう)
陽菜は、こんなに言葉を選んだのは久しぶりだと感じた。いつもは自然と会話が始まるのに、月見相手だと、どうも勝手が違う。無理に話しかけても、月見は困ってしまうかもしれない。でも、このまま静かに過ごしている月見を見るのは、陽菜にとって少しもどかしい気持ちだった。陽菜の心には、月見の孤独な静寂を破りたいという、温かい衝動が芽生え始めていた。それは、まるで差し伸べる手が、届かない距離にあるかのような、微かな苛立ちに似ていた。
月見もまた、陽菜の視線を感じ取っていた。陽菜が自分を気にしていること。陽菜の周りが賑やかで、楽しそうなこと。月見の心には、これまで感じたことのない戸惑いが生まれていた。過去の彼女の心には、このような「未定義の感情」は存在しなかった。しかし、その戸惑いは、不快なものではなく、むしろ微かな興味を引くものだった。同時に、陽菜が時折送ってくる優しい視線に、月見は安堵を覚えていた。まるで、嵐の海で一筋の光を見つけたような、そんな感覚。その「安心感」は、月見の心に、初めて記録されるポジティブな数値だった。
陽菜は、月見のそんな内心を知る由もない。ただ、この不思議な転校生、月見という存在が、陽菜の心の中で少しずつ大きくなっていくのを感じていた。まだ言葉にはならない、漠然とした「もっと知りたい」という気持ちが、陽菜の胸に芽生え始めていた。その感情は、まるで夜空に瞬く小さな星のように、陽菜の心に静かな輝きを放ち始めていた。陽菜は、月見が読む教科書に、何の教科だろうと漠然とした疑問を抱いた。それは、月見の「未知の部分」への、さらなる探求心の現れだった。
放課後、陽菜はクラスメイトと連れ立って帰ろうとしていた。陽菜が月見に「じゃあね、月見さん!」と声をかけると、月見は小さく頷いてくれた。その日の陽菜の心は、新しい出会いと、微かな予感に満たされていた。明日、月見とどんな言葉を交わすだろうか。そんな期待が、陽菜の足取りを軽くしていた。陽菜は、月見との「次の接触」を、無意識のうちに楽しみにしている自分に気づいていた。
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