第3話 迷宮の試練と絆の芽生え

 奈落の迷宮に響く魔物の咆哮が、石壁に反響して不気味な残響を生み出していた。悠斗は手のひらに浮かんだ青白い光の粒子を見詰めながら、深く息を吸った。錬金術による物質分解の光だった。


「また使うの?」


 隣を歩くリアの声に、どこか心配そうな響きが混じっていた。彼女の緑の瞳が、悠斗の表情を窺うように見つめている。


「力を使わなければ生き延びられない」悠斗は短く答えた。「カインたちに復讐するまで、俺は死ぬわけにはいかない」


 リアの眉がわずかに寄った。「復讐って...本当にそれだけなの?」


 悠斗の足が一瞬止まった。心の奥で何かがざわめくのを感じたが、すぐに首を振る。


「そうだ。それ以外に何がある?」


 自分でもわからない。本当に復讐だけが自分を動かしているのか。リアと話している時、ふと笑みが浮かんでしまうのは何故なのか。カインの顔を思い浮かべた時の怒りと、今この瞬間に感じている何とも言えない温かさは、まるで別の感情のようだった。


 前方から低い唸り声が聞こえてきた。角を曲がると、赤い目を光らせた三匹のシャドウウルフが牙を剥いて立ちはだかっていた。


「悠斗」リアが弓に矢をつがえながら呟いた。「私が右から回り込む。あなたは正面から」


「わかった」


 悠斗は床に落ちていた鉄くずに手をかざした。青い光が鉄を包み、分子レベルで分解し、再構築していく。数秒後、手には鋭く研がれた剣が握られていた。


 最初のウルフが飛びかかってきた瞬間、悠斗は剣を振り上げた。しかし、刃が魔物の首筋を捉える直前、ふと動きが鈍った。


—— これでいいのか?


 一瞬の迷いが命取りになりかけた。ウルフの爪が悠斗の頬を掠め、鮮血が飛び散る。


「悠斗!」


 リアの矢が悠斗の肩越しに放たれ、ウルフの額に深々と刺さった。魔物は断末魔の叫びを上げて倒れる。


「何をしているの!」リアが叫んだ。「ぼんやりしていたら死んでしまうわ!」


「すまない」悠斗は頬の血を拭いながら、残る二匹に向き直った。今度は迷わなかった。剣を振るい、錬金術で生成した爆発物を投げつけ、魔物たちを倒していく。


 戦いが終わった後、リアは悠斗の傷に薬草を当てながら言った。


「さっき、なぜ躊躇したの?」


 悠斗は答えなかった。答えられなかった。自分でもわからないのだ。復讐のために力をつけると決めたのに、なぜ心が揺れるのか。


 迷宮の第三層に足を踏み入れた時、二人は奇妙な光景を目にした。青い髪の少女が、巨大なゴーレムを相手に一人で戦っていた。彼女の周りには複雑な魔法陣が浮かび、雷と炎を織り交ぜた魔法が宙を舞っている。


「すごい...」リアが息を呑んだ。


 少女の魔法は確かに強力だったが、ゴーレムの巨体には決定打を与えられずにいた。疲労の色が濃くなっていく。


「助けよう」悠斗が前に出ようとした時、リアの手が彼の腕を掴んだ。


「待って。彼女は人間よ。信用できるかわからない」


「でも」


「あなたを裏切ったのも人間でしょう?」


 悠斗の胸に鋭い痛みが走った。リアの言葉は正しかった。カインも、他のクラスメイトたちも、みんな人間だった。信じていた仲間に裏切られた記憶が蘇る。


 しかし、目の前で少女が危険にさらされているのを見ていることはできなかった。


「俺は行く」


 悠斗はリアの手を振り払い、ゴーレムに向かって駆け出した。手のひらで錬金術を発動させ、地面の石を分解して大量の砂鉄を生成する。それを操って鋭い刃の形に変え、ゴーレムの関節部分に打ち込んだ。


「今よ!」悠斗が叫ぶと、青い髪の少女が最後の魔法を放った。炎の槍がゴーレムの核を貫き、巨体が轟音とともに崩れ落ちた。


「ありがとう」少女は息を整えながら言った。「私はミラ。魔導士よ」


 彼女の瞳は深い青色で、どこか冷たい知性を宿していた。年は悠斗と同じくらいに見えるが、その表情には年齢に似合わない疲労感があった。


「君も召喚された勇者の一人か?」悠斗が尋ねると、ミラは小さく首を振った。


「違う。私はもともとこの世界の人間よ。ただし」彼女の目が一瞬暗くなった。「帝国には恨みがあるの」


 リアが警戒するように弓に手をかけたが、悠斗は興味深そうにミラを見詰めた。


「恨み?」


「家族を奪われたの。帝国の『魔王討伐』という名目でね」ミラの声に苦々しさが混じった。「でも、それよりもあなたの錬金術に興味があるわ。物質を分子レベルで操作するなんて、理論上は可能だけど実際にやってのけるなんて」


 悠斗は驚いた。「理論を知っているのか?」


「私の父は錬金術師だった。帝国に殺される前はね」ミラの目が悠斗の手元を見詰めた。「でも、あなたの錬金術は普通じゃない。禁断の領域に足を踏み入れている」


「禁断の?」


「魂と物質を結びつける技術。古代の錬金術書にしか記されていない危険な術よ」ミラは真剣な表情で続けた。「力は強大だけど、使用者の精神を蝕む。気をつけなさい」


 リアの表情が険しくなった。「やっぱり危険なのね、その力は」


 悠斗は両手を見詰めた。確かに、力を使うたびに何かが変わっていく感覚があった。感情が冷たくなっていくような、心の奥で何かが凍りついていくような。


 三人は迷宮の安全地帯で休息を取った。魔法で作り出した小さな火を囲み、それぞれが持ち寄った食料を分け合う。


「ねえ、悠斗」リアが遠慮がちに口を開いた。「あなたの世界のこと、教えて」


 悠斗は少し考えてから、学校生活のことを話し始めた。友達と過ごした平凡だけど楽しい日々。カインとも、最初は本当に親友だったこと。二人でゲームをしたり、将来の夢を語り合ったりした記憶。


 話しているうちに、悠斗の表情が柔らかくなっていくのにリアは気づいた。復讐のことを考えている時の冷たい眼差しとは別人のようだった。


「素敵な世界ね」リアが微笑んだ。「きっと、いつか帰れるわ」


「帰れたとして」悠斗の声が沈んだ。「俺はもう以前の悠斗じゃない。この力を手に入れて、復讐を誓って...もう戻れないんだ」


 ミラが炎越しに悠斗を見詰めた。「本当にそう思う?人は変われるものよ。私だって、復讐しか考えていなかった頃があった」


「でも君は今も帝国を恨んでいる」


「恨みと復讐は違う」ミラの声は静かだった。「恨みは記憶。復讧は行動。私は記憶を捨てはしないけれど、復讐に人生を捧げるのはやめた」


 悠斗は黙り込んだ。ミラの言葉が胸に重く響いた。


 その夜、悠斗は眠れずにいた。リアとミラは静かな寝息を立てているが、彼の心は嵐のように荒れていた。


 カインの顔が脳裏に浮かぶ。あの時の冷たい笑み。「お前なんて足手まといだ」という言葉。奈落の迷宮に突き落とされた時の絶望感。


 怒りが込み上げてくる。と同時に、今日のリアの笑顔や、ミラの真剣な眼差しも思い出される。


—— 俺は何がしたいんだ?


 復讐?それとも...。


 悠斗は立ち上がり、少し離れた場所で錬金術を試してみた。手のひらに浮かぶ青い光。その光が、最近少しずつ赤みを帯びてきているのに気づく。


「やはりね」


 背後からミラの声がした。振り返ると、彼女が心配そうな顔で立っていた。


「眠れないの?」


「力が...変わってきている」悠斗は手のひらの光を見詰めながら言った。「最初は青い光だったのに」


「禁断の錬金術の副作用よ。感情が力に影響を与えている」ミラが近づいてきた。「憎しみが強くなればなるほど、力も危険になっていく」


「でも、この力がなければ復讐は」


「本当に復讐がしたいの?」ミラの問いかけに、悠斗は答えられなかった。


「あなたが今日、私を助けてくれた時」ミラは続けた。「リアに止められても助けに来てくれた。それは復讐心からじゃないでしょう?」


 悠斗の胸に温かいものが広がった。確かに、あの時は何も考えずに体が動いていた。誰かを助けたいという気持ちだけで。


「人の心は複雑なのよ」ミラが夜空を見上げた。「憎しみと優しさ、復讐心と正義感。相反する感情が同時に存在することもある」


「どうすればいいんだ?」


「まずは自分の心と向き合うこと」ミラが振り返った。「力に飲まれる前に」


 翌朝、三人は迷宮の上層を目指して歩き始めた。悠斗の歩き方が、前日より少し軽やかになっているのにリアは気づいた。


「気分が良さそうね」リアが隣に並んで歩きながら言った。


「まだよくわからない」悠斗は正直に答えた。「でも、少しだけ見えてきたものがある」


「何が?」


「俺が本当に求めているもの」悠斗は立ち止まり、二人を見詰めた。「復讐も確かにしたい。カインの裏切りは許せない。でも...」


 悠斗は言葉を探した。


「でも、それだけじゃないんだ。俺は...俺は誰かを守れる人間になりたい。君たちのように、本当に大切な人を」


 リアの頬が薄く赤く染まった。ミラは小さく微笑んだ。


「その気持ちを忘れないで」ミラが言った。「きっと、その気持ちがあなたを正しい道に導いてくれる」


 迷宮の出口が見えてきた。光が差し込んでいる。


 悠斗は深く息を吸った。復讐心はまだ心に残っている。しかし、それだけではない何かも確かに芽生えていた。


 この迷宮で得たもの。それは力だけではなかった。リアの優しさ、ミラの知恵、そして自分自身と向き合う勇気。


「行こう」悠斗が言った。「俺たちの戦いは、これからが本番だ」


 三人は光に向かって歩いて行った。奈落の迷宮を後にして、新しい冒険へと歩みを進めながら。


 悠斗の瞳には、もはや冷たい憎しみだけではなく、温かい決意の光が宿っていた。復讐の道のりは険しいが、もう一人では歩まない。大切な仲間と共に、自分自身の答えを見つけ出すために。

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