第2話「ばれなきゃ平気!」
最高のプレゼント
しおりの誕生日、当日。
俺たちは、少しお洒落なレストランでディナーの約束をしていた。待ち合わせ場所の駅前広場。先に着いた俺は、ベンチに腰掛け、スマホで当たり障りのないニュースサイトを眺めていた。だが、その実、神経は背後から近づいてくる全ての足音に集中していた。…獲物を待ち構える、獣のように。
「拓也、お待たせ!」
振り返ると、いつもより少しだけドレスアップしたしおりが立っていた。白いワンピースが、夜の街灯に柔らかく映えている。…その無垢な白が、今はただ、嘲笑の色に見える。
「ごめん、遅れちゃった」
「いや、俺も今来たとこだよ。行こうか」
俺は立ち上がり、自然な動作で彼女の隣に並ぶ。その瞬間、ふわりと知らない香水の匂いがした。甘く、しかしどこかスパイシーな、俺の知らない男の香り。…今日も、抱かれてきたのか。
ああ、そうか。今日も、別の男と会ってきたのか。
込み上げてくる吐き気を、深呼吸で無理やり飲み込む。大丈夫だ。もう、全て終わる。この女が他の男の匂いをまとって俺の前に現れるのも、今日で最後なのだから。…今日で、終わらせてやる。
「わあ、素敵なお店!」
レストランに着くと、しおりは子供のようにはしゃいだ。予約席に案内され、向かい合って座る。テーブルの上にはキャンドルが揺らめき、ロマンチックな雰囲気を演出している。彼女の嘘で塗り固められた関係の、最後の晩餐にはおあつらえ向きの舞台だった。…地獄への片道切符を、プレゼントしてやる。
食事中、しおりは上機嫌で喋り続けた。職場の同僚の愚痴、最近見た映画の感想、次の休みの計画。俺は適当な相槌を打ちながら、その言葉のほとんどを聞き流していた。彼女の声は、もはや意味を持たないただのノイズだ。俺の頭の中では、別の音が鳴り響いている。…復讐の交響曲が、高らかに。
カチッ、カチッ、カチッ…
それは、これから始まるカウントダウンの予行演習。…破滅への秒針が、刻一刻と迫ってくる。
「それでね、聞いてる? 拓也?」
「あ、ああ、聞いてるよ」
俺は我に返り、用意していた紙袋をテーブルの下から取り出した。ネイビーの包装紙に、シルバーのリボン。あの日、俺が部屋で一人、丁寧にラッピングしたものだ。…愛情を込めて、地獄への手土産を。
「しおり、誕生日おめでとう」
そう言って差し出すと、彼女は少し警戒したように目を細めた。最近の俺の態度の変化を、感じ取っていたのだろう。…だが、もう遅い。
「わー! ありがとう…重いね、これ。何が入ってるの?」
彼女は嬉しそうに箱を揺する。その笑顔は、少しぎこちない。何かを隠しているようにも見える。…罪悪感か?
「開けてもいい?」
「だめ」
俺は人差し指を立てて、彼女の言葉を遮った。原作通りの、お決まりのセリフ。だが、演じている役者が違うだけで、その響きは全く別の意味を持つ。…これは、お前への、最後の通告だ。
「開けるのは、お家に帰ってから。一人っきりでね。いい? 約束、できる?」
俺はできる限り優しく、そして有無を言わせぬ響きを込めて言った。しおりは明らかに戸惑った顔をした。何かを言いかけ、そして、諦めたように小さく頷いた。…観念したか。
「…わかったわ。約束する。家に帰るまで、ぜーったい開けない」
彼女は小指を立てて見せる。俺はその指に、自分の小指を絡めた。ひんやりとした彼女の指先の感触が、なぜかやけにリアルだった。…お前との、永遠の決別だ。
「よし、約束な」
俺は笑みを返した。これで、全ての準備は整った。…あとは、引き金を引くだけだ。
ディナーを終え、店を出る。夜風が少し肌寒い。…まるで、死神の吐息のように。
駅の改札で別れる時、俺は「じゃあな」とだけ言って、背を向けた。一度も振り返らない。いつもなら、彼女の姿が見えなくなるまで見送るのに。…もう二度と、お前の顔を見たくない。
背後で、しおりが「…拓也、最近、なんか変だよ」と呟く声が聞こえた気がしたが、構わず人混みの中へと歩を進めた。…お前の悲鳴を聞くのは、今夜が最後だ。
さあ、ショータイムの始まりだ。
自室に戻った俺は、窓の外を眺めていた。しおりのアパートは、ここから電車で三十分ほどの距離。そろそろ部屋に着く頃だろうか。…絶望の淵へ、ようこそ。
俺はポケットからスマホを取り出し、あるアプリを起動した。画面には、簡素なデザインのタイマーが表示されている。赤いデジタル数字が、無慈悲に時を刻んでいた。…死へのカウントダウン。
『00:10:00』
あと、十分。…十分後には、お前は、この世にはいない。
俺はソファに深く身を沈め、目を閉じた。脳裏に浮かぶのは、あの日のしおりの電話の声。…お前の言葉が、俺の心を蝕み続ける。
『大丈夫だって!(笑)わかるわけないから(笑)』
ああ、大丈夫だよ、しおり。
お前の言う通り、誰にもわかりっこないさ。
お前が、お前の愛した男からのプレゼントで、木っ端微塵になるなんてこと。…お前が犯した罪への、当然の報いだ。
カチッ、カチッ、カチッ…
スマホの画面の中で、秒針が着実にゼロへと向かっていく。それはまるで、穢れた恋の終わりを告げる、祝祭の鐘の音のように聞こえた。…そして、俺の復讐劇の、華々しいフィナーレを飾る、爆音となるだろう。
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