第8話 刀が導く一歩目
翌日。
冒険者ギルドからそう遠くない場所に、立派な建物が目に入った。白い石造りの外壁に、大きな秤の紋章が掲げられている。出入り口には商人らしき人々が次々と出入りしていて、道具や布袋を担いだ者、帳簿を抱えた者の姿が絶えない。
(ここは……商業ギルド、か?)
『うん、その通り。商業ギルドは冒険者ギルドと同じくらい大きな組織で、街の経済を支えてるの。商品の流通管理、価格調整、商人の身分保証、そして税金の徴収まで……ほとんど全部!』
(ほう……そんなにでかい役割を担ってるのか)
『うん。だから、冒険者が討伐で得た素材を売るときも、ここを通すことになるの。そうすることで取引が公平に行われるし、偽造や不正も防げるんだよ』
なるほど。つまり俺がこれからモンスターを倒して素材を手に入れても、ここに持ち込めば金に換えてもらえるというわけだ。
『ただね、商業ギルドは冒険者向けというより、あくまで商人や職人たちの組織。武器や防具を作る鍛冶屋も、ここの傘下に入ってるんだよ』
(なるほどな……つまり、鍛冶屋に行くなら商業ギルドに属してる店を探すのが安心ってわけか)
『そうそう。だからお兄ちゃん、まずは信頼できる店を選ぶのが大事。……ふふ、初めての武器だし、失敗してほしくないからね』
花音に背中を押されるようにして、俺は商業ギルドに近づいた。受付に事情を話し、武器を扱う店を尋ねると、街でも評判の鍛冶屋を紹介してくれた。
ギルドの扉を出て教えられた道を進むと、遠くからでも槌音が響いてくる。
そして辿り着いたのが、先ほどの鍛冶屋だった。
鍛冶屋の扉を押し開けると、熱気と鉄の匂いが一気に押し寄せてきた。
炉から立ち上る火花、赤く焼けた鉄を打つ槌の音。店内はまるで別世界のように、緊張感と生命力に満ちている。
「おう、客か」
顔も体格も岩のような大男が、腕まくりをしながらこちらを見やった。腰には真っ黒に煤けた革の前掛け。まさに鍛冶屋そのものだ。
「武器を探してます。……俺に合うものを」
「ほう、冒険者か。なら見ていけ。剣に槍、斧に棍棒。ここに並んでるのは全部鍛えた俺の子どもたちだ」
視線を巡らせると、壁一面にずらりと武器が並んでいた。
剣は光を反射して鋭く、槍は穂先が美しく輝いている。斧やハンマーは見るだけで重みが伝わり、鎖鎌や短剣など、癖の強そうなものもあった。
そのどれもが一流の品だと分かる。だが、俺の心はなぜか満たされない。
(……違う。どれも立派だが、しっくりこない)
武器を一つひとつ手に取ってみる。剣を握ってみても、重心が妙に落ち着かない。槍は確かに扱いやすそうだが、距離がありすぎて自分の戦い方じゃない気がした。
鍛冶屋の男が笑みを浮かべる。
「どうだ? 気に入るもんはあったか?」
「……いや、まだ。なんかこう……もっとしっくり来るものがあるはずなんだ」
「贅沢なやつだな。だが、いい心がけだ。武器は自分の体の延長だ。馴染まないもんを振り回したって、命を落とすだけだからな」
その言葉に頷きつつ、視線を棚の奥に移したときだった。
一振りの刀が、静かに置かれていた。装飾も華美さもなく、ただ研ぎ澄まされた刃文だけが淡く光を放っている。
気づけば俺の足は自然とそこへ向かっていた。
「……これは」
柄に手をかけると、空気が変わった気がした。
握った瞬間、竹刀を持ったときと同じ感覚が手のひらに蘇る。体が勝手に半身になり、重心がすっと下がった。
花音が小さく笑う声が聞こえる。
『やっぱり、それだよ。お兄ちゃんが一番馴染むのは』
俺も笑った。まるで、最初から決まっていた答えにようやくたどり着いたような気持ちだった。
「へぇ……目が変わったな」
鍛冶屋が腕を組み、感心したように俺を見つめていた。
「そいつは刀って言う。扱うには癖があるが、抜き身の鋭さと斬れ味は群を抜いてる。並の剣士じゃ振り回せねえが……あんたには似合ってる気がするな」
値段を聞いて思わず息をのむ。決して安くはない。だが、この武器以上に自分に合うものはないと、体が告げていた。
「……買います」
「いい目をしてる。大事にしてやれよ」
金を支払い、刀を腰に下げた瞬間、不思議な感覚に包まれた。
ようやく自分の居場所を見つけたような安心感。剣道で流した汗や悔し涙が、この刃につながっている気がしてならない。
(やっぱりか……俺の武器は、最初からこれしかなかったんだな)
◇ ◇ ◇
街道から少し外れた林の中で、低い唸り声が耳に届いた。灰色の毛並みをした狼のような魔物が、一匹、こちらを睨みつけている。背中の毛を逆立て、牙を剥き出しにして……完全に獲物を見る目だ。
俺は思わず喉を鳴らした。ギルドで「Fランク相当、初心者向け」と聞いていたはずなのに、実際に対峙すると圧迫感が違う。地面に吸い付くように動けない。
(……落ち着け。相手はただの魔物だ。剣道の試合のときだって、最初は怖かっただろ。それと同じだ、同じ──)
自分に言い聞かせながら、鞘から刀を引き抜いた。金属の擦れる高い音がやけに耳につく。竹刀を構えるのと違い、刀はずっしりと重く、その冷たさが掌に食い込む。
狼が一歩踏み出す。低い姿勢から鋭く飛びかかってくる気配に、俺は思わず身をすくめた。次の瞬間、灰色の影が弾丸のように迫る。
「っ──!」
慌てて横に飛び退いたが、完全には避けきれず肩に爪がかすった。浅い傷でも、熱い痛みが体を走る。胸が一気に冷えて、刀を持つ手が汗ばむ。
『お兄ちゃん! もっと落ち着いて! 肩に力入りすぎだよ!』
花音の声が頭に響く。分かってる、でも体が言うことを聞かない。焦りで刀を振り回すが、大振りすぎて空を切り、逆に隙を晒してしまう。
狼はそれを見逃さず、唸り声と共に横へ素早く回り込み、尻尾を振って挑発するように動いた。鋭い目が「次は仕留める」と告げている気がして、背筋がぞわりとした。
(やばい……完全に俺、下手くそだ……!)
狼が再び飛び込んでくる。俺は無我夢中で刀を突き出したが、刃先はかすめただけで、逆に狼の爪が腕に引っかかった。小さな傷でも視界が揺れるほど緊張して、呼吸が浅くなる。
『違う! 剣道のときの動きを思い出して! 竹刀のときと同じ、相手の動きをよく見て、間合いを取って!』
花音の声に、俺は一瞬、冷静さを取り戻した。そうだ、無理に振り回すんじゃない。いつもの素振りの延長線上でいい。
俺は刀を水平に構え直し、腰を落とす。視線は狼の肩と足に。小さく息を吐いた瞬間、狼が地を蹴った。
「来いっ……!」
牙が目の前に迫る。俺は右足で強く踏み込み、半歩だけ横にずれながら刀を横に払った。手応え。鋼の刃が毛皮を裂き、赤い血が飛び散る。狼が呻き声を上げ、動きが鈍った。
ここだ。俺はさらに一歩踏み込み、渾身の力で刀を振り下ろした。刃が骨を断つ鈍い感触。狼の体が地面に崩れ落ち、痙攣のあと静かになった。
「……っはぁ……っ……」
呼吸が荒い。全身が汗で濡れ、刀を握る手が小刻みに震えている。倒したはずなのに、胸の奥ではまだ恐怖が渦巻いていた。
『……やっぱり、刀が一番似合ってるよ。動きはぎこちなかったけど、最後はちゃんと決められたじゃん』
花音の声に、張り詰めていた気持ちがふっと和らぐ。恐怖よりも、少しだけ達成感が勝った気がした。
「……ああ。下手だったけど、なんとか倒せたな」
そう呟き、俺は血のついた刀を軽く払った。
そんな俺に、花音が弾んだ声で続けてくる。
『ねえ、次は……ダンジョンに挑んでみない?』
「は? いきなり何言ってんだよ」
『だって、遺跡の中ならもっと強くなれると思うんだ。それに……きっとわたしが“そこに”いる理由も……』
花音の言葉に、俺は無意識に刀の柄を握り締めていた。
ダンジョン。未知の恐怖と、同時に確かに惹かれる何かがそこにある気がする……
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