【最終章.『9』】
【第二十五話.『1』(或いは全てのはじまり)】
晶子は自室のあるアパートに戻る。四人もの生徒と、一人の教員の自殺を受けて、学校は休校の延長を決定。再開の目途すら立っていない。
(疲れた……とても)
ふうう。
晶子は深く、とても深く息を吐いた。
何気なく──本当に何気なく、いつもの習慣で──ポストを覗く。
と、白い封筒が入っているのを発見する。
『久我晶子くん江』
晶子はハッとする。この古臭い日本語の使い方、癖のある角ばった字。
裏面を見る。
『椿れい』
差出人には、昨日消えた親友の名前が、間違いなくそこに書いてあった。
消印は、昨日の日付が押印してある。……電話の後、出したのだろうか。
ともかく晶子は、自宅に駆け込むと、テーブルに着いて急いで封筒を開封した。
◇
久我晶子くん。
きみがこの手紙を読んでいるということは、私に何かが起きたあとというわけだね。
独りでさぞ心細い思いをしていることだろうと思う。
まことに申し訳ない。
だが、きみは犯人に至る、決定的な証拠を、既に手にしている。
あとはそれに気づくかどうか、さ。
きみ自身の手で、なんとしても犯人を捕まえるんだ。
それが、愛理ちゃんの死を自ら克服するためにも、必要なことだ。
だからここでは、『1番目』について言及するのは、あえて避けることにした。
きみの健闘を祈っている。
大丈夫、きみならできるさ。
そうそう。
事務所にかるびが一匹で腹を空かせていると思う。
この手紙を見たのなら、申し訳ないが事務所まで行ってエサをあげてくれないだろうか。
エサは事務所の台所の下の棚に缶詰がおいてある。
ひとつ、開けてあげてやってくれ。
いいかい、『台所』だよ。
必ずそこに行くんだ。
いいね?
では、よろしく頼む。
椿れい。
◇
大事な内容なんだか、どうでもいい内容なんだか、よくわからない手紙に晶子は困惑した。まあ、彼女らしいと言えば彼女らしい。
けれど、気になった。
『台所』に二重線が、わざわざ赤ペンで引かれていることに。
気が付くと、晶子は手紙をハンドバッグに入れ、家を飛び出していた。
◇
八丁畷駅まで歩いて、普通浦賀行きに乗る。
しばらく乗って十駅行くと横浜だ。京急線のホームから、地下のみなとみらい線の各停、元町・中華街駅行きに乗る。
終点まで乗ったら、地上に出て、中華街の中にひっそりと建つ椿れいの事務所を目指した。
普段なら、旧友に会える気持ちでわくわくしただろう。
しかし今は違う。
家を出てすぐから、事務所に入るその瞬間まで。
──凍て刺すような殺意を、ずっとその背中に受けているのを、感じていたからだ。
◇
埃を分厚く被った、今はもう動くのかすら怪しい、古くて赤いミニが停まっているビルに着いた。ここが、晶子の親友『だった』、椿れいの住んでいるビルだ。『故障中』と書かれたエレベーターの前に立つと、上の方から猫の鳴き声が聞こえてきた。
「うにゃにゃにゃにゃ……」
瞬く間に漆黒の毛皮を身に纏った『かるび』が、階段に積んである古本の間を軽やかに降りてきた。
「ごろにゃあ!」
一階に着くなり、ひときわ大きくてかわいい鳴き声で客人をもてなした。
「かるび、かわいいね、かるび……よしよし……」
晶子は、まるで一年ぶりに会ったかのように、優しくわしゃわしゃとその艶のある毛を撫でた。
「かるび……お前のご主人様は一体どこに行ってしまったの?」
「うにゃん!」
──それなら知ってるよ。
まるでそうとでも言うかのように、階段を三段上ると、振り返ってにゃあともう一度鳴いた。
「お前、れいがどこにいるか知っているの?」
「にゃん!」
ぴょんぴょんと古本の山を跨いで進む黒猫について行くと、三階の事務所に着いた。
え? 本当に事務所にれいがいるの?
その期待を胸に階段を上るが、すぐに晶子は落胆した。
事務所は相変わらずひどい散らかりようで、古本の臭いなのかカビの臭いなのかわからなくなるほどだった。とても人の気配があるようには思えなかった。
と、台所の──これまた埃まみれの──シンクの上で、かるびが鳴いた。
「そっか、お腹減ったよね」
晶子はふふと笑うと、よいしょとしゃがんで、シンク下の棚を開けると。
「あった、あった。ほら、ごはんだよ」
ところが、どんなに辺りを見渡しても、猫用の──というか人間用のも含めて、お皿が一枚もない。仕方ないので、開けた猫缶をそのままあげることにした。
「ほら、食べな。……おいしいよ」
が、すんすんと匂いこそ嗅いだものの、食べようとしない。
「あれ、お腹減ってない? ほれ、ほれ」
缶詰を手に口元に近づけても、いやいやとそっぽを向くだけ。しまいにはシンクから降りてしまった。
「おっかしーなー……。って、あ、だめだめ!」
かるびは、床に置いた晶子のハンドバッグを漁ると、夢で見つけた森川詩絵涙から愛理宛ての手紙を咥えて、逃げ出した。
「あっ、こら! かるび! それはだめっ!」
黒猫は追いかけられると、『台所の』小さな窓の前で止まった。
晶子はハッとする。
──いいかい、『台所』だよ。
必ずそこに行くんだ。
いいね?
「お前、なにか私に伝えたいの?」
「にゃ」
そう一声鳴くと、手紙を窓際に置いた。
──だが、きみは犯人に至る、決定的な証拠を、既に手にしている。
あとはそれに気づくかどうか、さ。
(この手紙に、犯人のヒントが隠されているっていうの?)
窓には昼下がりの光が差し込んで、室内の埃に反射してきらきらと輝いている。
晶子は、手紙を封筒から取り出した。
◇
──愛理へ。
今日はびっくりだったよね。まさかゆまちゃんがあんなことになるなんて。
……。
ああ、愛しい愛理にあんなにかわいい仔猫が来るなんて! わたし、幸せだわ。ずっとずっと幸せにしてあげてね、約束だよ。
……。
◇
手紙はあれから何度も目を通した。シリアルキラーに繋がるものはない。ここにはない。
「にゃあ」
しかし、手紙を仕舞おうとすると、かるびが鳴く。そして、晶子の手から手紙を奪うと、また窓際に置くのだ。
(んー?)
晶子が不思議がっていると、いっしゅん、手紙の上に何かが『見えた』。
(これって……まさか……!)
手紙を窓に付け透かして見る。そして初めて、『手紙の紙に、なにか文字が転写されている』という事実に気が付いた。
晶子はハンドバッグまで走り、化粧ポーチからアイブロウペンシルを取り出した。
「愛理、ごめん!」
小さくそう叫ぶと、その手紙をアイブロウで塗りつぶしてみた。
すると、とある文字が浮かびあがった。
「……そう」
──晶子は、遂にシリアルキラーが誰かの特定に、成功した。
「あなただったの」
彼女はそこに書かれた字を、じいっと見つめていた。
◇
椿れいの事務所を出てすぐ、また強烈な殺意のこもった視線を背中に受けた。
晶子は構わず、元町・中華街駅を目指した。
どこにいても、刺し殺されそうなほどの狂気を帯びた視線。
(まってなさい。今ではないわ。もう少し、もう少しよ)
横浜で京急線に乗り換えて、またしばらく耐えた。
それから八丁畷駅に降り立って、二番線ホームのベンチに腰かけた。
そして、自分の横のスペースを、とんとんと二回叩いた。
◇
「少しだけ、お話しましょ。森川詩絵涙さん……いえ、シリアルキラーさん」
◇
晶子の手には黒く塗りつぶされた手紙が握られている。
『私は悪い母親でした。詩絵涙ごめんなさい。あの子のため天国へ行きます。1』
『1』の文字が転写された手紙を、晶子は握りしめている。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます