屋号を継ぐ者たちと、記録に抗う詠唱師

凪野ユウト

プロローグ


この世界では、《信念》が《言葉》になる。


それは誰かに届いたとき初めて《記録》される。


けれど僕の名前はどこにも残っていなかった。


この制服にも。

この学園にも。

名簿にも、時間割にも、座席表にも。


誰かがわざと消したわけじゃない。

最初から、そこになかったように《記録(レコード)》から“外れて”いた。

でもそれでも僕はここにいる。

誰に忘れられたわけでもない。

存在が霞んでいるわけでもない。

ただ、名前も、異能も、なにもかもが“定着しない”だけだ。

(…それでも、緋月さんは)


僕の隣に立ち手を伸ばしてくれた。

「名前がないなら、私が記録する」

そう言って、《継承試練》の補欠申請をしてくれた。

理由なんてわからなかった。

彼女が何を見て、何を信じて、そんなことを言ってくれたのか。

けれどその時初めて思ったんだ。

(もしも僕が、誰かの“言葉”になれたなら)

(この存在も、どこかに、刻まれるんじゃないかって)

だから僕は出ることにした。《継承試練(けいしょうしれん)》に。

詠唱師(えいしょうし)になって、自分の意志で、言葉にするために。そうすれば僕も記録されると思うから



試練の日、風が静かに流れていた。

午前の陽射しの中庭に名だたる《屋号》の継承者たちが集う。

ひとり、またひとりと呼ばれていく。

名を告げられた瞬間光が走る。

それがこの世界で《名を持つ者》つまり《記録される者》の証だ。

僕の名は、呼ばれない。

けれど、隣に立つ少女の名が告げられる。


「《赫陽(かくよう)》緋月ひより」


眩しいほどの光が彼女の周囲に走りその名を刻む。そして彼女は静かに言った。

「補欠申請によって、もうひとり、記録されるべき人がいます」

静寂が走る。審査官が眉をひそめる。

「記録されていない存在を、どう登録するつもりだ?」

「彼の名前が記録に残らないなら私の名前で記録します」

「彼は、私が選んだ“チームメイト”です。責任は、私が引き受けます」

僕は一歩踏み出す。

“神代時雨”という名はあってもそれはどこにも記されていない。

記録上はまだ“名前のない存在”のままただ、そこに立つ。

その時、何かが確かに始まった気がした。

目に見えないまま、けれど確かに存在する“何か”が。

記録にも、映像にも、データにも残らないかもしれないけど。

それでも、誰かの心に残る“何か”が。

もし、それが《詠唱》なんだとしたら。

僕もいつか。

言葉にならなかった想いを言葉にできる日が来るのなら。

信じたいんだ。

記録に残らなくても、この胸にある想いを。

誰かの隣に立ちたいと願った、あの日の気持ちを。

それが僕の詠唱になる気がしていた。












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