第9話:交渉開始

 日支間の交渉が始まったのは翌月であった。如何に圧倒的優勢であったとしても敵の首級を取って相手の領土を占領して交渉すらしないというのは近代国家としてはあり得ない暴挙であり、たとえ圧倒的優勢で交渉の余地がなかったとしても近代国家ならば講和条約というものが存在する。後に「博多条約」と称されるそれは、如何にそれまでの支那政府並びにその国民というものが欺瞞に満ちていたかを証明するが如き内容であった。何せ、一番目の文言からして「支那政府は、便衣兵を使わず国民軍のみを以て軍事行動を執るものとする」なのである、詳しい文言は省略するが、それは外交的常識を意識が古代の、即ち畜生同然である支那人に教育するためのものであった。


 外務省のある詰め所にて、外交官達は黄昏れていた。何せ、石井菊次郎が外務大臣になってから急激に仕事の量が増えたのである。彼らの紫煙の量が多くなるのも無理はなかった。

「福沢翁が聞いたらさぞかしお嘆きになるだろうな……」

 慶應義塾大学出身のある外交官が呟く。今回の博多条約に関して、彼も思うところがあったらしい。

「どういう意味だ」

 それに対して同じく私立大学出の外交官が返答する。彼らは東大出身でないが故に僻地に飛ばされることも多かったが、却ってその経験により本土のエリートどもより卓見すべき意見も多かった。

「脱亜論は知ってるだろ?わざわざ支那なんかを占領する必要なんて無かったんだよ」

 現地の軍人が聞いたら殺されそうな発言を平気で行う外交官達。

戦前というとテンプレ的な軍政支配をイメージする脳みそが貧困な輩は多いが、戦前とは軍人が軍政によって国家を支配する一方で、それを笑い飛ばせるだけの独特の空気が存在した。そもそも、テンプレ的な軍政支配自体が、GHQのWGIPによる占領軍史観なのだが、それを語るのは今はよそう。

「まあ、本来ならば、な。地政学上やむを得まい」

我々の世界で地政学を知らないのは、先程書いたGHQのWGIPの所為なのだが、私は幸運にしてGHQのWGIPをかいくぐって戦後の洗脳教育に騙されずに生きてきたのだが、恥ずかしながら地政学という存在自体をつい最近まで知らなかった。羞じるばかりである。

「それは、そうなんだが……」

「それはそうと、支那の分裂工作は上手くいっているか?」

「ああ、それならば問題ない。上の思惑通りには進んでいるさ、今のところはな」

 現在、現場ではまず万里の長城までの分割を完了していた。敵の根拠地は巴蜀の地となるはずであったが、皆ご存じの通り蒋介石や毛沢東を早期にさらし首にできたことによって、それは頓挫していた。

「はは、ならばよい。かの大陸国家は古代で意識が止まっているからな」

「全く、いつまで三国志や水滸伝の意識でいるのやら……」

「いやいや、案外西遊記レベルかもしれんぞ」

「はは、違いない」

 そして引き続き談笑する外交官達。我々の世界の戦後の盆暗共とは違い、戦前の外交官は本質をきちんと把握していた。その、本質は言うまでも無いだろう。


 ……「大陸は分割して統治せよ」。地政学の基本である。

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