第13話 情報悲壮体(ラキタス)
ハルトはしばし沈黙し、その場に立ち尽くしていた。
『情報悲壮体ラキタス』。
人ではない存在。情報と因果を喰らうもの。
そして、その本体がこの都市の心臓部に封じられているというのなら。
「行くしかない、か……」
立ち上がるハルトの背には、再び6枚の光の翼が宿っていた。
それは世界の運命を背負い、受け入れた者への証にみえた。
ハルトは都市の最下層、誰も知らない『心臓』へと向けて、静かに歩き始めた。
その足音が、沈黙する都市に、確かな意志を刻みつけていく。
そして……、その先にある門の扉を押し開けた。
『知識の心臓』へと至る道は、封じられた記録領域の先にあった。
この場所は、地上のどの書物にも記されていない、隠された場所。
存在そのものが抹消された”神の座”。全ての因果の交差点。
光なき回廊を歩むハルトの前方、天井も床もなくなったかのような空間が広がる。
そこは、建物でも石造でもなく、まるで”何かの内部”のような柔らかさと鼓動が感じられた。
「ここが……、”心臓”か」
直感で理解できた。
ここには目に見えるもの以上の、膨大な情報や歴史、感情や欲求の流れ、それらの存在の痕跡。
この都市そのものの”意志”がここに集約されているのだ。
そして、その中央にある、浮遊する黒水晶のような球体の物質。
その表面には、幾千もの光の刻印が刻まれ、流れ、脈動していた。
それを中心に、周囲の空間がわずかに歪曲している。
物理法則すらも無視した、”神の力”なのか。
すると、そこから発せられた
「やっと来たか、人の子よ」
響く声は、音ではなかった。
脳に直接、思想の構造ごと流し込まれてくるような存在の語り。
それは『情報悲壮体ラキタス』。この世界の因果を織り成す”神の外殻”。
「ゼルはお前に希望を託したようだが、それは過ちだ。
我が本体に接触するということは、”選択”を迫られるということだ」
ハルトは(コアブレード)を構え、剣を振るった。
だがその刃先は、何も斬ることができない。
『ラキタス』は、斬撃の届く存在ではなかった。
それは、存在と非存在の間に揺らめく、構造そのものだった。
「この世界は、有限の秩序によって、縛られ苦しんでいる。
ゆえに、我が提案するのは、無限の”再定義”。つまり、あらゆる苦悩からの”解放”だ」
球体が輝き、周囲の空間に異なる時間の断片が投影される。
失われた家族、崩壊した村々、焼け落ちた未来都市。
ハルトが歩んできた無数の”別の可能性”。
「選べ、人の子よ。汝が願う世界を与えよう。
力も、平和も、失われた命さえも、我が因果律で全てを再構成させるだろう」
その囁きは、実に甘美だった。
だがそれと同時に、それは全てを”偽り”にする声だった。
ハルトは、ふと右手の剣に目を落とした。
そこに宿るは、光だけではない。
戦い、出会い、傷つき、歩んできた”現実”そのもの。
「やめておくよ。たとえどれほど過酷でも、俺は自分で歩いてきた道を否定したりしない」
『ラキタス』が静かに揺らめく。
「ならば、最後の問いだ。”人類の定義”とはナンダ?」
この問いに答えられなければ、世界の再起動は強制される。
それが『神ラキタス』との接触条件だった。
ハルトは、答えた。
「選び続けること。間違えても、傷ついても、後悔しても。
それでも、誰かのために、何かを守るために、自分で選ぶ。それが人間だ」
沈黙………。
だが、それは拒絶ではなかった。
次の瞬間、『ラキタス』の本体が崩壊し、無数の光粒子となって空間に溶けていった。
神は、答えを認めたのだ。
同時に、都市の心臓部から解き放たれた光が、上部全域に広がっていく。
都市の機能が、自動的に”正常化”を始めたのだ。
魔力の暴走は止まり、意志のない支配から、静かな再生の時代が始まろうとしていた。
ハルトは剣を納め、そっと目を閉じた。
ゼルの声が、どこかでわずかに聞こえた気がした。
「ありがとう……。」
都市の奥底で、長い沈黙が終わり、新しい光が差し込んだ。
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