歩きスマホ

透明 透子

歩きスマホ


俺の世界は、二重だった。


現実と、スマートフォンの画面の中。


俺は、常に後者に生きていた。


SNSで悪意を吐きながらの


歩きスマホは、現実の苦しみから身を守る鎧だった。




夏の終わり。駅からの帰り道。


いつものようにタイムラインを追いながら歩いていると、視界の端に、見慣れた後ろ姿が映った。


俺と全く同じシャツ。同じカバン。


俺が立ち止まると、そいつも立ち止まる。


俺が歩き出すと、そいつも歩き出す。


数メートル先を歩く、もう一人の「俺」


幻覚かと思った。


だが、そいつは、翌日も、その次の日も現れた。


俺が歩きスマホを始めるとき、必ず。


そいつは、トラブルメーカーだった。


横断歩道で老婆にぶつかっていく。


睨まれるのは俺だ。


路地裏で屈強な男の肩にぶつかる。


胸ぐらを掴まれるのは俺だ。


そいつは俺の苛立ちを代行し、罰だけを俺に押し付けてきた。


俺は一度、歩きスマホをやめた。そいつは現れない。


だが、顔を上げて見る現実は、退屈で、孤独で、耐え難かった。


俺は、数日で、再びスマホの画面に逃げ込んだ。


もう、慣れるしかなかった。


そいつが何をしようと、俺はただ、俯いて画面に没入する。


ある晩、深夜の商店街。


人通りはまばら。


数メートル先では、もう一人の俺が、同じように歩いている。


路地裏の暗がりから、一台のバイクが、音もなく滑り出してきた。


ヘッドライトは消えている。


暗闇だけをまとって、まっすぐ、前の「俺」に向かってくる。


「危ない!」


声は出なかった。


バイクは、前の「俺」に吸い込まれるように突っ込んでいった。


ドンッ。


鈍い音。


その、はねられる寸前。


前の「俺」が、初めて、ゆっくりとこちらを振り返った。


俺の顔。


だが、その口元は、にたりと、三日月のように歪んでいた。


瞳は、純粋な愉悦で、爛々と輝いていた。


笑っていた。


その笑顔を見た瞬間、前の「俺」の体は、宙を舞い、アスファルトの上に叩きつけられた。


俺は、凍りついた。


バイクは、風のように闇に消えた。


周囲には、誰もいない。


倒れているはずの場所に、「俺」の姿はなかった。


血の痕跡もない。


何も、起こらなかったかのように。


安堵した、その瞬間。


体に、ありえないほどの激痛が走った。


「ぐっ…ぁああああああああ!」


痛みで、その場に崩れ落ちる。


ポケットのスマホが、アスファルトに滑り落ちた。


画面には、蜘蛛の巣状のヒビが入っていた。


俺は、理解した。


あれは、俺から生まれた、俺自身の悪意だ。


痛みを感じないそいつは、俺を壊すために、自ら事故を誘発したのだ。


激痛で、遠のいていく意識の中。


頭の中で響く、甲高い、嘲笑う声。


殺される。


俺は。


俺の悪意に……


殺される……

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