運命の紐

奈良まさや

第1話

第一話:羨望の日常


「また今日も、世の中は不公平だ」


辰己秀昭は、コンビニのレジ越しに会社員たちを見送りながら、心の中で毒づいた。


スーツを着こなし、焦点の定まった目でスマホを確認し、疲労感の奥に充実の色を浮かべる顔つき――。


その全てが、彼には妬ましくてたまらなかった。


辰己秀昭、36歳。和歌山の実業家の息子。五人兄弟の四男。月30万円の仕送りで暮らす、川崎の1Kアパート住まい。その男が、運命に触れる物語。


「辰己くん、閉店、頼んだよ」


「はーい」


店長の言葉にぞんざいに返事を返しながら、秀昭は心の奥でほくそ笑む。どうせこのバイトも長くは続ける気がない。何があろうと、和歌山の親父は毎月30万を振り込んでくれる。


ただ、最近少し体調が優れない。背中に鈍い痛みを感じることがあった。


深夜、アパートのベッドに寝転がりながら、スマホを取り出す。

「さて……今日も戦場に出ますか」

マッチングアプリを起動する。そこには、まるで別人のようなプロフィール。


名前:辰己秀昭

年齢:32歳

職業:IT企業経営者

趣味:旅行、読書、投資


虚構の人格で女性を釣り、束の間の優越感を味わう。それが秀昭の「日常」だった。


第二話:散々な出会い


「今日の待ち合わせ、楽しみにしてます♪」

「こちらこそ。渋谷のカフェで7時ですね」


LINEのやり取りを終え、渋谷のカフェで待つ秀昭。待ち時間の間、また背中がずきりと痛んだ。


やがて現れたのは、プロフィール写真よりも10歳は老けて見える女性だった。


(写真詐欺かよ…)


だが、彼女も同じように秀昭をまじまじと見つめている。


「プロフィールには32歳って…」

「あー、誤字です。36歳ですよ」

「IT企業の…?」

「まあまあ、細かいことは気にしないでくださいよ」


会話はまるで歯車の噛み合わない機械のようだった。


やがて彼女は、ナプキンに軽く手を当てながら言った。


「今日はありがとうございました。でも、私たち……合わないと思います」


「……そう、ですか」


秀昭の胸に、じくじくとした怒りと羞恥が渦を巻いた。立ち上がる時、軽いめまいを感じた。


第三話:奇妙な発見


怒りと苛立ちを抱えながら、帰りのホームに立つ秀昭。顔色は少し青白い。


(なんで俺だけが、こんな目に……)


その瞬間だった。視界の端に、妙なものが映った。


(あれは……紐?)


スーツ姿の男の足元に、綱引きのロープのような太い紐が伸びている。他の乗客の足元にも、同じような紐が。


だが、誰一人それに気づく様子はない。どうやら、秀昭にしか見えていないようだった。


(これは……なんなんだ?)


気まぐれに、近くの男の紐に手を伸ばしてみる。引いた瞬間、頭の中に映像が飛び込んできた。


第四話:恐るべき能力


映像の中、男はオフィスで堂々とプレゼンをしていた。周囲からは拍手。上司の頷き。会議室に充満する称賛の空気。


(明日のプレゼン、みんなに認められるチャンス……楽しみだ……)


その思考が、秀昭の脳内に響き渡る。


(他人の考えが……見える?)


さらに紐を引くと、映像が急激に変わる。資料が炎上し、ネットで叩かれる彼。同僚たちの冷たい視線、上司の失望の表情。


(これは……面白い)


電車のアナウンスが聞こえても、秀昭は紐を引き続けた。引けば引くほど、男の自信は失われ、顔色が悪くなっていく。


(人の運命を、こうやって引きずり下ろせるんだ……!)


初めて、世界が自分の足元にひれ伏したような感覚がした。

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