第2話:柔道部に刺客!?~クールな転校生(女子)と廃部の危機~
朝の教室は、新学期特有のざわめきに満ちていた。窓から差し込む朝日は、まだ慣れない新しいクラスの空気までもキラキラと照らし出す。ひなたは、そんな眩しい光とは裏腹に、寝癖の残る茶髪を揺らし、机に突っ伏していた。全身を襲う鉛のような筋肉痛が、昨日の柔道場での「特訓ごっこ」を鮮明に思い出させる。特に、ましろに無理やりさせられた受け身の練習が、背中から腰にかけて、ねっとりと張り付くような痛みを残していた。普段の生活では使わない筋肉が、悲鳴を上げているかのようだった。
「ひなた、朝練で疲れるのはわかるけど、もう少しシャキッとしなさいよ。新学期早々、これじゃあ、女子高生の鑑にはほど遠いわ」
隣の席のましろが、呆れたようにため息をついた。その声には、いつも通りの冷静さと、僅かな苛立ちが混じっている。ましろの制服は、新品のようにピシッとシワ一つなく、ひなたのぐったりとした姿とは対照的だった。ましろの整頓された机の上には、すでに今日の授業の予習ノートが綺麗に開かれている。その完璧さに、ひなたは思わず「ましろはAIなのかな…」と、心の中で呟いてしまう。
「ん~…ましろは体力あるからいいよね~。ひなたはまだぷにぷにだから、筋肉痛が、全身にね~っとり絡みついて離れないの…」
ひなたは机に顔を埋めたまま、もごもごと不満を漏らす。ぷにぷにの二の腕を指でつついてみても、柔道着を着る前と大して変わらない感触に、早くもダイエットの道が険しいことを悟り始めていた。昨日、畳の上で転がった時に感じた、あのひんやりとした感触だけが、唯一の救いだった。
その時だった。ガラリと教室の扉が開く音が、ひときわ大きく響き渡った。
教室中の視線が、一斉にそちらに集まる。新学期の教室に、場違いなほど静かで、それでいて強烈な存在感を放つ女子生徒が、ゆっくりと入ってきたのだ。その生徒の登場は、まるで、それまで流れていたBGMが突然止まり、スポットライトが彼女だけに当たったかのような、劇的なものだった。背筋はピンと伸び、まるで一本の刀のように真っ直ぐ。腰まで届く流れるような黒髪のストレートは、歩くたびにサラリと揺れ、その動きすら計算されているかのようだった。その瞳は、教室の喧騒にも動じず、どこか遠くの一点を見据えている。感情を一切表に出さない、クールな表情。誰もが息をのむ美少女だった。まるで、モノクロの漫画の世界から、突然カラーで飛び出してきたような、そんな非現実的な美しさに、ひなたは思わず、ごしごしと目をこすった。まだ夢の中にいるのかと思った。
「え…なに、あの人。漫画から飛び出してきたヒロイン…?」
隣の席のツムギが、ガタッと椅子を鳴らして身を乗り出した。その興奮した声が、ひなたの耳には妙にクリアに聞こえる。はなも「きゃあ、可愛い~!」と目を輝かせ、小さく手を組んだ。教室の空気が、その少女の登場によって、一瞬で張り詰めたような、それでいて期待に満ちたものに変わった。ひなたの胸には、形容しがたい「わくわく」が膨らんでいく。
新しく来た生徒は、教師の紹介で「黒木リナです。よろしくお願いします」と、涼やかな声で挨拶した。その声には感情があまりこもっていなかったが、そのクールさが逆にひなたの心を掴んだ。「柔道着が、きっと似合うだろうな…」ひなたの頭に、昨日の柔道場の畳が浮かんだ。この広い柔道場に、もう一人、柔道ガールズが増えるかもしれない。そんな淡い期待が、ひなたの胸に小さな光を灯した。彼女の存在は、ひなたの「ダイエット」という個人的な動機と、「柔道部存続」という漠然とした目標を結びつける、最初の「イベント」になるかもしれない。
放課後、柔道部。
三人でのんびりと準備運動をしていた。ひなたはぶかぶかの柔道着の袖をまくり上げ、畳の上でごろごろと転がる。畳のひんやりとした感触が、筋肉痛の体に心地よい。つばさは隅で、柔道着の紐の結び方を図鑑で確認している。その真剣な眼差しは、まるで難解な古文書を読み解く学者のようだった。ましろは黙々と腕立て伏せをこなしていた。その腕の筋肉が、わずかに隆起するのを見て、ひなたは「ましろ、本当に女子高生?」と、またも心の中で呟いた。
その時、畳野幽(たたみねゆう)が、ひなたの頭の上でゆらゆらと揺れた。半透明の体が、道場の埃っぽい空気の中で、夕焼けの光を透かしてきらめいている。その姿は、まるで古いフィルム映画の粒子のように、ノイズ混じりにひなたの意識に映し出される。
「ひなたよ、お主の運命の相手が、先ほど教室におったな」
「えっ、畳野幽、誰のこと!?」ひなたは思わず声を出してしまい、ましろに「ひなた、また独り言? 疲れているの?」と冷たい視線を向けられる。ましろの言葉は、まるで精密な検査機器が発する診断結果のようだった。ひなたは慌てて「なんでもないよ!」と手を振った。しかし、畳野幽の言葉が、ひなたの脳内で奇妙な残響を残す。運命の相手? まさか、あの黒木リナのこと?
畳野幽はフンと鼻を鳴らした。「ふむ、柔道着を纏えば、さらに見事な一本となるであろう…」畳野幽は満足げに頷いている。その言葉は、ひなたの頭の中に、まるで耳元で囁かれているかのように鮮明に響く。ひなたの内部では、畳野幽の言葉が、まるでAIの内部ログ検索のように、過去の記憶と結びつき、新たな可能性を提示している。
そんな、いつも通りの「きゃっきゃうふふ」な部活風景を、ガラリと柔道場の扉が開く音が切り裂いた。
そこに立っていたのは、見慣れない男の先生だった。ジャージ姿で、顔には無精髭が生え、その目はどこか遠くを見ているようだった。気だるげな表情で道場を見渡し、大きなため息をついた。その溜め息は、この柔道場の埃っぽさ、そしてひなたたちの存在を、心底嫌悪しているかのようだった。彼の登場は、まるで、それまでの柔らかな空気を一瞬で凍らせる、冷たい風のようだった。
「今日からお前たちの顧問になった、山田だ」
山田先生は、柔道着を着崩して畳に寝転がっているひなたたちを一瞥し、眉をひそめた。その視線は、まるで柔道着についたシミでも見るかのようだった。彼の視線がひなたのぶかぶかの柔道着の胸元をかすめた時、ひなたは思わず身を縮めた。
「君たち、柔道部か? 部員は、たったの三人?」
田中事務員と同じような言葉に、ひなたの胸にまた嫌な予感が走る。ましろの表情も、少しだけ硬くなる。その硬さは、畳の硬さとよく似ていた。つばさは、山田先生の冷たい視線から逃れるように、柔道着の裾をぎゅっと握りしめた。
「柔道部は、この学園にとって、もはや活動実績のない、ただのスペースだ」山田先生の声には、一切の感情がなかった。それは、まるで録音された機械音声のようだった。彼の言葉は、ひなたの心に、まるで冷たい水が滴るように、じわじわと染み込んでいく。「運動部の数合わせで残してあっただけだ。君たちは柔道をする気があるのか?」
ひなたの喉が、ひゅっと鳴った。山田先生の視線が、まるで氷のように冷たい。彼の言葉は、ひなたたちの「きゃっきゃうふふ」な柔道に、鋭い刃のように突き刺さった。胸の奥に、微細な苛立ちが生まれた。柔道が好きで入ったわけじゃない。ただ、みんなと楽しく過ごしたかっただけなのに。この場所がなくなるかもしれないという漠然とした不安が、具体的な怒りへと膨らむ助走をつけていた。ひなたの内部では、感情の「沈殿型」プロセスが始まりかけていた。
「…顧問の先生…なのに…」ひなたは震える声でつぶやいた。その言葉は、山田先生の冷たい言葉とは対照的に、柔道場の埃っぽい空気に吸い込まれていく。
山田先生は、ひなたの言葉には答えず、道場の隅に飾られた古い優勝旗に目をやった。彼の表情に、一瞬だけ、微かな陰りがよぎったように見えた。その視線は、遠い過去を見つめているようでもあった。柔道への情熱を一時失った、彼の過去の“痛点”が、畳の奥底から滲み出ているかのようだった。その陰りは、まるで、かつての輝かしい記憶が、埃をかぶった優勝旗の向こう側で、ぼんやりと揺らめいているかのようだった。
「柔道は、遊びじゃない。部活存続のためには、ダイエットどころではない、本気の練習が必要だ」
その言葉は、ひなたたちの柔道への意識を根底から揺さぶった。山田先生の視線は、柔道着をだらしなく着たひなたの胸元を通り過ぎ、畳の上で適当に体を動かすつばさに向けられた。その時、つばさが、まるで凍り付いたように動きを止めた。その瞳に、得体の知れない「畏怖」のような感情が宿ったのを、ひなたは確かに見た。つばさの華奢な肩が、かすかに震えている。その震えは、まるで、つばさの内部で何らかの「エラー表示」が点滅しているかのようだった。つばさの顔から血の気が引き、唇が青ざめていく。ひなたは、つばさの異変に気づき、思わず「つばさ…?」と声をかけたが、つばさは答えない。ただ、山田先生の冷たい視線に、縫い付けられたように動かない。
「このままでは柔道部は廃部だ」
山田先生の言葉が、柔道場に重く響き渡った。柔道場の埃っぽい空気、畳の匂いが、急に冷たくなった気がした。ひなたの心臓が、トクンと大きく鳴った。この柔道場が、本当に、なくなるのかもしれない。その「違和感」が、ひなたの胸の奥で、猛烈な勢いで「恐怖」へと膨張していく。楽しいはずのこの場所が、一瞬にして檻のような閉鎖的な空間に変わっていくのを感じた。ひなたの脳裏に、田中事務員の冷たい笑みがフラッシュバックする。畳野幽の姿も、心なしか悲しげに揺らいでいるように見えた。ひなたの内部では、この「廃部」という危機が、彼女の「価値観」を揺さぶり始めていた。ダイエット目的で入った柔道部だが、この場所は、もう彼女にとって「楽しい仲間との居場所」になっていたのだ。この場所を守りたいという「思考」が、ひなたの心に芽生え始めていた。
【柔道部日誌:ましろ】
〇月△日
転校生、黒木リナ。柔道経験者…か。彼女が柔道部に入れば、廃部も免れるかもしれない。ひなたが浮かれているのはいつものことだけど、彼女を部に引き入れるのは、柔道部のためにも重要だ。
山田先生の言葉は重い。確かに、今のままではただの遊び場だ。私の目標は、この柔道場を守ること。そのためには、もっと真剣に、戦略的に動かないと。私の論理的思考が、この状況を打開するための最善策を探し始めている。感情に流される暇はない。山田先生の言葉は、私の内部の「最適化された知性」に、新たな「行動誘引」のトリガーを引いた。この状況を「フィルタリング型」で即座に判別し、対応しなければならない。
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