柔道少女は恋も青春も一本背負い!~1年目・はじめての畳と涙~
五平
第1話:柔道場、私達だけの秘密基地!~ダイエットの夢と一本背負い?~
「Tシャツちゃんと着なさいよ!」
ましろの声が、誰もいないはずの柔道場に響き渡った。ひなたは汗で額に張り付いた前髪を気にすることもなく、だらんと着崩した柔道着の隙間から、ちらりと肌をのぞかせた。真夏の道場の熱気が、肌をべとりと汗ばませる。柔道着の裾を、涼しさを求めて無意識にパタパタと煽ると、風が肌をくすぐる。その拍子に、ふわりと香ったのは、ひなたが今朝使った甘いシャンプーの匂い。ましろはピクリと眉を寄せたが、ひなたはそんなことには気づかず、けらけらと笑いながら畳にごろりと寝転がる。熱気を帯びた畳が、背中にひんやりと心地よい。つばさはそんな二人を、おっとりとした笑顔で見守っている。その視線は、ひなたの白い首筋に落ちた汗の粒を、そっと追っているようにも見えた。
「え~、女ばっかりだしいいじゃん? 暑いし、柔道着って意外と風通し悪いんだよね~!」
ひなたはけらけらと笑いながら、畳にごろりと寝転がる。
「そういう問題じゃないわよ。顧問の先生がいなくても、礼儀は守らないと」ましろは汗を拭きながらも、きっちりとした姿勢を崩さない。真面目な部長気質は、このだらしない柔道部では浮きまくっている。
「だーいじょうぶだって! この柔道場、私たちが独り占めしてるんだから! 先生も来ないし、誰にも見られないって!」ひなたは立ち上がり、大きく伸びをする。その拍子に、ぶかぶかの柔道着の胸元がさらに緩む。首元からは、白い肌が惜しげもなく見える。
「あ…」つばさが小さく声を上げた。
ひなたが首を傾げる。「ん? どうしたの、つばさ?」
つばさは顔を赤くして、ひなたの胸元を指差す。
「あ、これ……ぶら?」
ひなたは自分の胸元を見て、途端に「きゃあああああ!」と叫び声を上げた。慌てて柔道着の襟元を掴んで引き寄せる。熱くなった顔に、畳の冷たさが恋しい。
「つ、つばさああああ! なんでそんなこと言うのぉおお!」
「ご、ごめんなさい! 見えちゃったから…」つばさはわたわたと手を振る。
ましろは深い溜め息をついた。「だから言ったでしょ。ちゃんと着なさいって」
顔を真っ赤にしてうずくまるひなたと、オロオロするつばさ、そして冷静なましろ。柔道場には、女子高生たちの賑やかな笑い声と、汗の匂いが混じり合って広がっていった。
ここは、私たち一年生だけの柔道部。部員は私、桜木ひなたと、クールでしっかり者の青葉ましろ、そしてふわふわ癒し系の白石つばさのたった三人。元々廃部寸前だったこの部活に、顧問の先生も来ないから、この広~い柔道場は私たちの貸し切り状態なのだ。
柔道経験? 全くありません! 入部理由は、運動不足解消と、あわよくば夏までに体重をちょっとでも減らして、可愛い水着を着て、運命のイケメンと出会うため! つまり、ダイエット目的である。
「でもさ、柔道着って、なんか動きやすくていいよね! なんか、強くなった気分になれるし!」
ひなたは得意げに、ぶかぶかの柔道着をはためかせる。ましろは腕を組み、冷静に言う。
「それで強くなった気になれるなら、誰も苦労しないわよ。柔道はそんなに甘くない」
畳野幽(たたみねゆう)が、ひなたの頭の上でゆらゆらと揺れた。半透明の小さな体が、道場の埃っぽい空気の中で光を透かしている。
「ふむ、柔道はのう、礼に始まり礼に終わる武道じゃ。ダイエットのついでにするようなものではないぞ」
ひなたは首を傾げた。「あれ? なんか、今、畳がしゃべった気がする…?」
「気のせいよ。早く練習しなさい」ましろはひなたの気のせいに一蹴した。
畳野幽はフンと鼻を鳴らした。「やはり見えぬか、人間どもは。我は畳の精霊、畳野幽じゃ! この道場の魂を守る者よ!」
「畳の精霊…?」ひなたの頭の中に、奇妙な声が響く。声は聞こえるが姿は見えない。
「ひなた、ぼーっとしてないで、打ち込みの練習するわよ!」ましろの声がひなたを現実に引き戻した。
「はーい!」
ひなたは気を取り直し、柔道着の袖をまくり上げる。畳野幽が「打ち込みとはのう、相手を仮想して技を繰り出す練習じゃ。何度も繰り返すことで、体が技を覚えるのじゃ」と、ひなたの頭の中に解説する。
「へぇ~! じゃあ、これ一本背負い! えいっ!」ひなたは適当な掛け声とともに、宙に向かって腕を振り回した。ぶかぶかの柔道着がひらりと舞う。
「違うわよ、ひなた! もっと腰を入れて!」ましろがため息をつきながらひなたの姿勢を直した。「この柔道部、本当に大丈夫かしら…」
つばさはひなたとましろのやり取りを、ふんわりとした笑顔で見つめている。柔道着の袖を引っ張ってみるが、やはりぶかぶかだ。
「この柔道場は、昔は強かったらしいんだけどね」ひなたが昔の優勝旗を指差した。「なんか、埃だらけだし、寂しいよね」
畳野幽の姿が、一瞬だけ、悲しげに揺らいだ気がした。
「ふむ…この道場にも、かつては熱い魂が宿っておったのじゃが…」畳野幽のつぶやきは、ひなたの耳には届かず、道場の奥へと消えていった。
部活が終わり、三人が汗だくの柔道着を抱え、部室から出ようとした時だった。
「おや、まだ残っていたのかね、柔道部の皆さん」
冷たい声が、背後から聞こえた。三人が振り返ると、そこに立っていたのは、田中事務員だった。眼鏡の奥の目が、ゾッとするほど冷たく光っている。
田中事務員は、柔道着を抱えたひなたたちを一瞥し、フンと鼻で笑った。
「あなたたち、柔道部でしょう? 部員は、たったの三人?」
ひなたの胸に、嫌な予感が走る。ましろの表情も、少しだけ硬くなった。
「この柔道部は、長年活動実績がない。ぶっちゃけ、運動部の数合わせで残してあっただけだ」
田中事務員の言葉は、ひなたたちの胸に、鉛の塊のように突き刺さった。
「まさか、まだ部員を増やす気もなく、こんな遊びみたいなことを続けているとはね。理事長も、もう見限っているよ」
柔道着を抱えた腕が、震えた。楽しいはずの放課後が、一瞬にして凍りついた。
田中事務員はそれだけ言い残すと、背を向けて立ち去っていった。ひなたたちは、言葉もなく、ただ立ち尽くすしかなかった。夕焼けが、柔道場の床に赤く伸びていく。
「…廃部…?」ひなたの小さなつぶやきが、広い柔道場に虚しく響いた。
【柔道部日誌:ひなた】
〇月?日
今日から柔道部! 柔道着ってなんか動きやすくて、これだけで痩せそう! ま、まさか、つばさにブラが見えるなんてハプニングもあったけど、これも青春だよね! 女子ばっかりだしいっか!
畳野幽って、なんだか面白い声がするんだよね~。ひなたにしか聞こえないらしいけど、きっと気のせいだよね!
ダイエット、頑張るぞ~! まずは、柔道場でごろごろから始めようかな!
…でも、田中事務員が怖いこと言ってた。柔道部、廃部になっちゃうの…? 嫌だ! この場所、なくしたくない!
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