第三話 歴史と絆の台帳
民主的で公平なことや、中央集権ではない合理的な個の尊重。これを手に入れるために、時に暴力を用いて、人類は長い時間をかけて血を流してきている。
社会が豊かになり、そのついでに多数決の利益にありつけない少数派の道理も、それなりに汲む余裕が生まれつつあった。だが、地球上の全ての人が、個であることを無条件に行使でき、豊かさを享受できているとは言いがたい。
人は社会を形成するために細かなルールを作り出せるが、その枠組みの中で忠実に動くことを旨とするには、偉大で余計な柔軟性がありすぎる。
ルールに対して明確な真偽を持ち、投入した問いに対し一意の解のみをもって振る舞う人間は、容易に社会から重宝され、最適化された個としての位置を与えられるだろう。
しかし、曖昧さや嘘や誤魔化しは、まだまだ世界に対して効果的で、時にはそれを駆使する人間が尊重されもする。
枠組みの小さな隙間を使いこなし、玉虫色の解を臨機応変かつ優柔不断に打ち出せたとしたならば、その人間は逸材故に最適とは言いがたくても個としての位置に居座るだろう。
個の集合体である社会においては、枠組みがために他者との交流を避けることはできず、一定の距離を保った互いとの位置関係の構築にルールが介入できるのは少しだけで、概ね個にそれは委ねられている。
自分以外が全て反対派であり敵である場合。敵からもたらされる命の危険を別にすれば、とても生きやすい。出会う者それぞれに対して、敵か味方かの判定をする必要が無いからだ。
自分以外が全て賛成派であり味方である場合。これもまた生きやすい。命の危険もない。出会う者すべてが賞賛を惜しみなくしてくるというのは、いささかくすぐったい気もする。
しかし世界はどちらでもない。人生の道を歩むたびに敵も味方も増えていき、またそれと同じかそれ以上に、無関心者も多くいることに気づかされる。社会はそもそも己に何の興味も向けてこないものだ。
無関心か、関心か。関心があるなら敵か、味方か。次々に二者択一の質問が並べたてられ、咄嗟の回答を積み重ねて、個がまるで最初からその形質であったかのように世界から認識されていく。そうしているうちに、個と個が寄ったり離れたりと、距離も確定していく。
無数の人間が抱く距離について、時にそれは絆と呼ばれたり、あるいは孤独と呼ばれたりしながら、瞬間瞬間がかつて存在した過去として固定され、連なっていく。
近い距離同士の多数派が首肯した過去は、歴史と呼ばれる。
遠い距離から少数派がそれを眺め、偽りと紛糾し、あるいは虚偽を混ぜ込もうとしても、難しい。
歴史を変えるために必要なのは、タイムマシンではない。変えるべき過去の状態を提示し、多数派がそれを正であると認識することだ。
曖昧さや嘘や誤魔化しで籠絡し、「あの時なんとなくそうだったかもしれない」から「確かにそうでした」へと確信的に言い変えさせることだ。
時に暴力を用いて、人類は長い時間をかけて血を流し、「そう」してきている。
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