第22話「黒猫の行方を追って」

 柚子は窓の外を眺めながら、大きなため息をついた。

 空にはすでに満月が浮かんでおり、星々の動く音が聞こえそうなほど静かだ。

 寝台ベッドの上で本を開いてはいるものの、まったく集中できていない。

 その理由は分かりきっていた。


(今日も黒猫、来なかったわ)


 一夜をともにしたが、柚子が起きてすぐに外へと飛び出して行ってしまったのだ。

 あれだけ美味しそうにタルト・オ・ショコラを食べていたのだからと、柚子はまたくるだろうと思っていた。

 しかし、あの日から一週間経ったが、その後、一度も来てはくれなかった。


(やっぱり猫にチョコは駄目だったのよ。どこかで苦しんで死んでしまったとしたら……私のせいだわ)


 じわりと目頭が熱くなる。

 ぽたりと落ちた涙が本の文字を滲ませ、柚子は慌てて本を閉じた。

 指を引っ張られ、柚子は我に返る。

 視線を落とせば、本に添えられた指を体全体で掴むトロールが目に入った。

 心配そうに見上げるトロールに、柚子は苦い笑いを返す。


「あの猫ちゃん、元気だと思う?」


 トロールはもちろんと大きく頷き、親指を立てた。

 大丈夫だと確信しているような仕草に、柚子はほんの僅かに肩の力を抜く。


「そうよね。トロールが言うなら間違いないわ」


 トロールを手のひらに乗せ、潰さないよう優しく顔を寄せる。すると柚子を慰めるようにすり寄ってきた。

 もじゃもじゃの毛並みが温かく、心地良い。

 思わず弱音が口から漏れそうになり、唇を噛み締めた。

 トロールが不思議そうな顔で首を傾げながら、手のひらから窓枠へと飛び移る。

 無邪気なそれに柚子は弱々しい笑みで応え、ため息をともに言葉を吐き出す。


「こんなに弱くなかったんだけどなぁ。アラン様が来てから、私、おかしい」


 足を抱え、身を縮める。膝に頭を乗せると長い黒髪がさらりと流れる。

 トロールは柚子を元気づけようと踊っているが、それでも心は晴れない。

 目を閉じると、アランとの日々が瞼の裏に浮かんでしまう。

 考えないようにすればするほど、それは鮮明に思い出される。

 脳裏に浮かぶ記憶の数々を振り払い、柚子はまた大きなため息をついた。

 同時に外から怒号がつんざく。


「おいこら待ちやがれ!!!」


 聞き覚えのある声に肩を大きく揺らした柚子は窓の外を覗き込んだ。

 金色の髪を短く刈り込んだ頭が見える。

 間違えるはずがない、ケリーだ。

 目をつり上げた形相は、手に持った拳銃の引き金を引いてしまいそうな勢いがあった。


(ケリーが追っているってことは、吸血鬼?)


 いまだに世間を騒がせる吸血鬼は捕まっていない。

 被害者の数は両手両足をはるかに超え、数えるためには三人は必要だろう。

 そんな吸血鬼の尻尾をようやく掴んだのであれば、ケリーの気迫にも納得がいく。


(いったいどんな吸血鬼だったのかしら)


 興味本位でケリーの視線の先へと目を滑らせ、柚子は息を呑む。

 夜の闇の中でも迷いなく逃げるそれは――黒猫だ。


「……なんで」


 生きていたことへの喜びと同時に、疑問が湧き上がる。

 柚子に捜索を頼むほどの愛玩動物ペットに、なぜ拳銃を向けているのか。

 いくら自身の愛玩動物ペットだとしてもやり過ぎだ。

 タルト・オ・ショコラを美味しそうに平らげた黒猫を思い出し、柚子はいても立ってもいられなくなってしまう。

 寝台ベッドから降りると、湧き上がる怒りのまま羽織をひっつかんで部屋を飛び出した。

 羽織に手を通しながら駆け足で階段を降りる。

 その際に父から吸血鬼対策にと送られていたものを全て袖の中へと放り込んでいき、準備を整えた。

 呼び鈴をけたたましく鳴らしながら店を飛び出し、辺りを見渡す。

 しかしすでにケリー達の姿はない。


(どこに……)


 窓から見えた場所へと足を進める。

 地面に手を着いて力を使えば、一人と一匹が駆けていく記憶を見ることができた。

 黒猫探しに関してなら、飼い主のケリーよりも柚子に分があるはずだ。

 しかし、見失う度に力を使いながら進んでいくが、一向に追いつけない。

 心の臓が嫌な音を立てて軋むのに釣られ、次第に探す歩みも早くなっていく。

 住宅街ではなく、商店街へ向かったはずのケリー達はなかなか見つからない。

 満月の光のお陰で路地裏まで探しやすいものの、成果は得られないかった。

 手がかりはないかと耳を澄ましてみるも、足音どころか、声も、鳴き声も聞こえない。

 唯一、耳に入ったのは自身の荒い吐息だけだ。

 また力を使い、手がかりを掴む。途端、ぐらりと体のバランスが崩れた。

 あ、と思った時にはすでに遅く、地面に倒れた後だった。

 突き出した手が刺すように痛い。

 見れば皮がめくれ盛大に血が溢れ出ていた。


(痛っ……。でも痛みでちょっと頭がすっきりしたわ)


 揺れていた視界は、痛みに気を取られたからか、落ち着いた。

 できるかぎり早足で捜索を再開する。

 これ以上力を使わないよう自身の足だけで探し始めた柚子が肩で息をし始めた頃、金属の弾けるような音が響いた。

 音のした方へと柚子は走り出す。

 今までで一番速く走れたのではないかと思うほどの速度で足を進める。

 角を曲がる寸前。また銃声が響く。

 曲がり角を飛び出した柚子の視界に飛び込んできたのは、目を疑うような光景だった。


「おいおい、吸血鬼さんよぉ。ちょっとぐらいは反撃しろよ」

「……断る。僕に争う意思はない」

「残念だな、こっちには争う意思があって」


 体のあちこちから血を流すアランと、銀の銃を構えたケリーが互いを睨み合うように立っていた。

 息を呑んだ柚子の目はアランの指先から滴る血と足下の血溜まりに釘付けとなってしまう。

 柚子が我に返るのと、ケリーが引き金を引いたのは同時だった。

 制止する間もなく、闇夜を切り裂くように、銃声は重く鳴った。

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