ルートⅠ 真中 玖喜の手⑩

 好きな男の子が僕の胸の中で泣いてくれた。


 そしてしばらく泣いて疲れたのか、眠ってしまって今は僕の膝の上で可愛い寝顔を見せてくれている。


 更に付け足すと、僕の膝の上で眠る好きな男の子は僕と付き合っている。


 それを全て合わせて考えると……


「無防備に眠る松原まつはらくんが悪いね」


 僕はそう言って、人前では出来ないようなことはさすがにやめて頬をつつく。


「今度は松原くんのお部屋で寝てる松原くんを……いやいや、それにはまず光留みるちゃんをどうにかしないとか」


 光留ちゃんは何か勘違いしているようで、僕は松原くんのことか大好きだけど、だからって松原くんに変なことをしようなんて考えてない。


 ただちょっとほっぺたをつついたり、そのつつく指が唇になったり、近づいたついでに松原くんのベッドに潜り込み、寝ぼけたフリをしてスキンシップをするぐらいだ。


 ……キス以外は実際にしてるけど、健全だよ。


「そもそも松原くんが何もしないのが悪い。僕を惚れさせた罰として僕をもっと構ってくれてもいいのに……」


 危なかった。


 あんまり松原くんの寝顔が可愛いから外なのに何かしそうになってしまった。


 ……周りに誰もいない?


「さすがに松原くんが怒るか。そういえば可愛い松原くんで忘れようとしたけど、さっき松原くん僕のこと昔みたいに呼んだよね?」


 松原くんが眠る前に僕のことを『くきちゃん』と呼んだ。


 その呼び方は僕と松原くんが一緒に遊んでた頃に呼んでいた呼び方。


「思い出してくれたのかな。それなら僕も千景ちかげくんって呼んでいいのかな。それとも昔みたいに……」


 なんだか言ってて自分の醜さが出てる気がして嫌になってきた。


 ちか……松原くんが忘れたくて忘れた記憶を僕の自分勝手な都合で思い出させて、それで泣かせて、それなのに僕は名前で呼ばれて嬉しいなんて。


「あの日、僕が間違えなければこんな思いしなくて済んだのかな。ごめんね、ちかくんが一番辛い時に何も出来ないで、今になってまた辛い思いをさせて……」


 やらないで後悔するぐらいならやって後悔した方がいいとよく言われるけど、大切な人を一人にする選択を選んでまで後悔した方のが正しいと言うのか。


 そんなの絶対に違う。


「なんて、そんなの僕の責任逃れだけどね」


 そんなことを一人つぶやきながら思い出す。


 僕がちかくんを本当の意味で好きになった日のことを──




「ねぇ、ちかくん」


「なに?」


「ちかくんって僕のこと変だと思う?」


「変? くきちゃんが変なら一緒に居る俺も……俺は変か」


 そういうことを聞きたかったわけじゃなかったけど、そもそも優しいちかくんが僕のことを変なんて言うわけが無かった。


「ちかくんは変じゃないよ。えっとね、僕って自分を呼ぶ時『僕』って言うでしょ? それがね変だって」


「くきちゃんが『僕』って言うの慣れてるから変とか思わないし、逆に『僕』って言わないくきちゃんの方が変だと思いそう」


「じゃあ僕がいきなり『私』とか言い出したら嫌いになる?」


「なんで? いきなりだとびっくりはするかもだけど、くきちゃんのことを嫌いになることは無いよ?」


 ほんとにちかくんは駄目。


 こういうことをいつもの感じで言うから胸がポカポカしちゃう。


 正直『僕』と言い出したのはちかくんともう一人、小学校にあがる前に引っ越してしまった男の子が仲良く遊んでいて、拗ねて僕も男の子になれば一緒に遊べると思ったからだ。


 そんなことをしなくてもちかくんは優しいから遊んでくれたけど、今更変えるのも変だからずっと『僕』のままでいる。


「ちなみにそれを言ったのって誰?」


「教えたらちかくんどうするの?」


「くきちゃんを嫌な気持ちにさせたんだから同じ思いをしてもらう?」


「だーめ」


 何をするかは分からないけど、ちかくんは人の為なら何でもする。


 幼稚園で僕にいじわるする男の子がいたけど、ある日を境に僕に近づかなくなった。


 多分それはちかくんが何かした。


 だってそれからちかくんは今まで以上に僕と一緒に居てくれるようになったから。


「僕はちかくんが居てくれればいいの。いや……?」


「……くきちゃんってずるいよね」


「ずるいの?」


「ずるいの。とにかく俺はくきちゃんが嫌な気持ちになるのは嫌なの。だから教えて」


「だからだーめ」


 ほんとにちかくんは変わらない。


 僕に限らずだけど、相手のことにまっすぐ向き合って、相手が困ってたら何でもする。


 だから僕を困らせるようなことは絶対にしない。


 たとえ僕が一方的にちかくんから離れたとしても、それを僕が選んでやったことなら。


 僕にはずっと後悔していることがある。


 学校に着いて僕は自分の教室に向かった。


 その時はちかくんと違うクラスだったから隣にちかくんは居なかった。


 別に突然とか初めてでは無いけど、僕は幼稚園生の時からいじめ、とは言わないかもだけど、からかわれることがあった。


 一人称のこともだけど、僕にはちかくん以外の友達がいなくて、ずっとちかくんとだけ一緒に居るから付き合ってるみたいなことでからかわれていた。


 別に無視すれば相手が飽きてその日は終わるからいい。


 だけどその頻度が増えてきて、しつこくなってきた。


 正直ちかくんのことは好きだから付き合ってるとか言われるのは嫌ではないから気にならなかったけど、それも毎日苦手な人達から言われる、話しかけられるのは嫌になってきていた。


 それでも僕は無視を続けていた。


 だからなんだろうね。


 ずっと無視を続ける僕に理不尽にイライラして、机の上にあった筆箱を床にわざと落とした。


 そんなことをしてまで人の興味を惹きたいのかと、逆に落ち着いている自分がいた。


 まあ、そんなのを見て落ち着けない素敵な人がいるのを僕は知っていたけど。


 ほんとにたまたま、その日だけちかくんが僕の教室の前をちょうど通って中を見てしまった。


 ちかくんの優しさは僕が一番知っている。


 そんな僕が初めてちかくんを『怖い』って思った。思ってしまった。


 多分それはちかくんにも気づかれて、ちかくんは一言「ごめん」とだけ言って教室を出て行った。


 そこで僕は選択を間違えた。


 追いかけるべきだった。


 ちかくんは僕の為に怒ってくれたんだから。


 なのに僕は動けなかった。


 怖かったからとか、そういう理由では無かったと思う。


 ちかくんに謝らせた僕なんかがちかくんを追いかけて本当にいいのかと、馬鹿みたいなことを考えたせいだ。


 本当はちかくんを追いかけて謝らなければいけないのは僕なのに。


 それからちかくんは呼び出されて、全部ちかくんが悪いことにされた。


 当事者の僕の話なんて全部無視。


 自分のやってたことをそのまま返される形となり、僕はちかくんに守られてるくせにちかくんの為に何も出来ない。


 だからちかくんの隣にいる権利なんて無いと思ってしまった。


 それからちかくんと一緒に行動することは無くなった。


 ちかくんのご両親が亡くなった時、僕はちかくんの隣にすら居なかった。


 ちかくんはご両親との記憶を無くすぐらいに傷ついていたのに、僕はちかくんに助けられてるだけでちかくんを助けることが出来ない。


 未練がましくちかくんと同じ高校を受けて、ずっと見てきた。


 隣には居れないけど、ちかくんが困ったら絶対に助ける為に。


 ちかくんを好きだと自覚したのはちかくんと一緒に行動しなくなってすぐだった。


 ずっと一緒に居た時は気づかなかったけど、ちかくんを考えれば考えるだけ心が痛む。


 だからやっぱり僕はちかくんの隣で今度こそちかくんを守れる存在になりたかった。


 それでお手紙を書いて告白する準備をしたけど、その場所には四人の女の子が来て、みんなで告白をした。


 ちかくんは素敵な人だから色んな人に好かれるのは当然で、五人の中から僕が選ばれるなんて思わなかった。


 僕のことを認知してくれてるだけで満足で、選ばれた時は……罪悪感でいっぱいになった。


 だけど今度こそ、僕はちかくんを守れる存在になると決めた。


 光留ちゃんには「贖罪のつもり? 自分が救われる為に千景ちかげを使うのやめてくれない?」と言われてしまったけど。


 その通りだ。


 僕は罪悪感を消したいからちかくんに告白して、それで勝手に守るとか言っている。


 ちかくんのことを考えるなら近づかないのが正解なのに。


 だからこんな楽しい関係は終わり。


 僕のことを思い出したちかくんは、きっと僕のことを嫌いになる。


 それで終わり。


 僕の初恋も、楽しい時間も、ちかくんとの思い出も──




「やっと言える。ごめんねちかくん。一人にしてごめん、守ってくれたのに守れなくてごめん、僕の自己満足に付き合わせてごめん、思い出したくない記憶を思い出させてごめん。本当に、大好きでした。好きになって……ごめん」


 まだちかくんは目を覚ましていない。


 目が覚めてから言うのが怖いからって、またここでも自分可愛さに日和る。


「ほんと僕って醜い……」


真中まなかさんが醜かったらこの世は魑魅魍魎しかない世界だっての」


「ちか、松原くん、いつから起きて?」


 いつの間にか松原くんが目を開けて僕の方を見ていた。


「真中さんが俺の顔で遊んでる時?」


「最初っからじゃないですか!」


「真中さんの顔見てると落ち着くから」


「……なんでですか?」


「可愛いから」


 懐かしい。


 僕と松原くんが初めて会ったときもそんなことを言われた。


 正直、可愛いから落ち着くってどういう意味だよってなるけど、ちかくんは深く考えてないから仕方ない。


「好きな人の顔は落ち着くよ」


「もう大丈夫ですよ。松原くんは自由です。僕の自己満足に付き合う必要無いです」


「……それは何してもいいってこと?」


「はい。僕は松原くんに好いてもらえるような人間では──」


「じゃあキスするね」


 松原くんはそう言うと間を空けずに僕の唇に自分の……ひゃい!?


(なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!?)


 頭の整理が追いつかない。


 松原くんは僕のことを嫌いになったはずなのになんで?


 それと長い。


「さすがに外だからこれぐらいで」


「や、その、一分は長いかと……」


「だって好きにしていいって。嫌かどうかは聞かないよ? 玖喜くきはどうせ俺に罪悪感とか持ってるんでしょ? 俺はそれを利用して玖喜に好き勝手やるんだ」


 情報量が多すぎて頭がパンクしそうになる。


「あ、あの、松原くんは僕のこと恨んだりしてないんですか?」


「なぜに? あれは完全に自業自得でしょ。好きな人がいじめに遭ってるの見て自分を抑えられなくなったんだよね。言葉だけで済ませた俺は偉いと思うけど」


 あの後僕に構っていた男の子は僕を見る度に怯えるようになっていたけど、それは別にどうでもいい。


「え、えと、名前は?」


「付き合ってるのに名字で呼ぶの変じゃない? 昔は名前で呼んでたんだし」


「そ、それじゃあ、ぼ、僕を、その……」


「ずっと好きだったよ? 多分一目惚れ」


 ついに頭がパンクした。


 駄目だ、こんなこと思ったら駄目なのに、嬉しすぎて仕方ない。


「玖喜はなんか色々考えすぎなんだよ。男なんて単純なんだから好きな人に避けられたって好きなままだから。ましてやそれが自分の為とかなら嫌いになる理由が無い」


「で、でも、僕は……」


「うるさい。玖喜は俺に逆らえないんだからこれから一生隣に居ればいい。今度は絶対に離さないから」


 松原くんはそう言って僕の指に自分の指を絡ませて恋人繋ぎみたいに手を握る。


 そして今度は触れるようなキスをする。


「……駄目、ですか?」


「……そこで不安になるところも好き。僕だってずっとちかくんのこと好き。今もどんどん好きになってる。僕を一生ちかくんの隣に置いてください」


「うん。好きだよ、玖喜」


「僕も、好きです、ちかくん」


 それから僕の涙か止まるまでちかくんの胸を貸してもらった。


 さっきとは逆になったけど、僕とちかくんはこれで本当の意味で恋人同士になった。


 もう二度とちかくんの隣を離れない。


 たとえ何があっても。


 義理の妹からのやっかみや、学校での「他所でやれ」みたいな視線なんかで僕は止まらない。


 ちかくんの隣は僕だけのもの。


 止まらないとは言ったけど、ちかくんに「お風呂とかはまだ恥ずかしいのでもう少し待ってください」と、顔を赤らめて言われた時はさすがにベッドに押し倒してから言うことを聞いたけど。


 何もしてないよ?


 今はね。

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