第2話 オムライス
日曜の昼。今日は、藤崎さんが料理を振る舞うために俺のアパートまで来る約束の日だ。
俺は久しぶりに部屋の掃除をしながら、彼女を待っていた。換気をしようと窓を開けると、一片の白い鳥の羽が入ってきた。とりあえず窓枠に置いておく。
ピンポーン
約束した時間ぴったりだ。俺は慌てて掃除機を壁に立てかけ、浮き足立って玄関へ迎えに行く。
「お邪魔しま〜す」
「どうぞ、狭いところだけど」
藤崎さんは薄手の白いリネンシャツに、コーヒー色のワイドパンツを履いていた。私服姿を見るのはこれが初めてだ。
彼女は丁寧に、履いていたスニーカーの踵を合わせ、玄関に並べる。髪は、後頭部でひとつにまとめていた。おだんごは彼女が動くたび揺れて、ところどころ後れ毛は頬にかかっている。職場で見るキチッとした服装と違うカジュアルさに胸が高鳴った。おこがましいことだけど、なんだか気が許されているような気さえした。
「それじゃあ、ちょっと失礼しますね」
藤崎さんは買い物袋をキッチンの床に置くと、冷蔵庫を開けた。キッチンと言っても、ほとんど廊下だし、冷蔵庫と言っても、冷凍庫も無い小さなものだ。
「わ!ほぼ空っぽじゃない!」
そうなのだ。普段自炊を全くしないが故、食材という食材は入っていない。現在冷蔵庫に入っているのは、いつのか分からない飲みかけのペットボトルと、納豆のパックだけだった。
こんなんじゃダメだよなとは分かっていたから、俺は事前に、藤崎さんに用意しておくものがあるか聞いた。しかし、彼女が全部持って来てくれると言うので甘えてしまったのだ。
「ここまでとは思わなかったわ……」
呆れた様子で、半分笑いながらそうこぼされてしまった。空いた口が塞がらないという様子だ。無理もない。自炊ができる彼女からしてみたら、信じられない光景なのだろう。
「本当、すみません……」
俺は自分が情けなくなって、利き手で後頭部をただ搔くことしかできなかった。
「念の為、調味料も持ってきておいて良かった……よし、後は任せて!山田くんはあっちでゆっくりしてていいから」
「で、でも」
「いーから!」
結構俺は、押し切られてリビングのソファにすわった。しかし、料理してくれてる藤崎さんの手前、ダラダラとスマホを見るのも罪悪感がある。
でも、俺みたいなのが手伝ったら邪魔なのかもしれない。昔、母さんのお手伝い役に立候補したら、「忙しいから!」と断られたのを思い出した。俺なんかが手を出したら迷惑になる。なんてったって俺は、カントリーマアムを電子レンジでチンしてみたら、火災警報器が鳴ってしまい大パニックに陥ったことがある。
うじうじしながら、ソファを立ったり座ったりしていると、視線を感じた。キッチンの方を見ると、訝しげな彼女と目が合う。俺は途端に恥ずかしくなった。
「あ、アイス。食後のアイス買って来ます。何がいいですか?」
咄嗟にそんな言葉が口をついて出た。特に何も考えずに発した言葉だったが、この気まずい状況を脱するにはちょうどいい。俺は好きなアイスを教えてもらうと、買い物袋と財布を持って、走るように家を出た。
店内はクーラーが効いていて涼しかった。
彼女は、練乳の入ったカップアイスが好きらしい。種類は特に指定されていなかったので、イチゴが沢山乗っているものを選ぶ。
俺はお得意な優柔不断を発動。途中でお菓子を買いたくなった。でも、アイスを買ってくると言った手前それは如何なものかと思うなどしつつ、店内をぐるぐるする。
結局、チョコモナカジャンボをカゴに入れた。
「ただいま……帰りました」
自分家なのに、他の人が待っているというのは、久しぶりの経験だ。下手すりゃ大学生ぶりかもしれない。少しぎごちなくなってしまった。
「お!いいところに帰ってきたねぇ。ちょうど今できたところだよ」
玉ねぎの焼けた芳しい匂いと、甘いバターの香りが鼻をくすぐる。
「うそ!もうできたんですか?」
思わず語尾が跳ねる。
「そんなに手間のかかる料理じゃないからね」
俺は急いで靴を脱ぎ、靴下で土間に上がった。藤崎さんは、俺の買い物袋を流れるように受け取り、中身を取り出すと冷蔵庫の中に入れる。手招きされるままにリビングまでついていくと、美味しそうな黄色がふたつ、ローテーブルに並んでいた。
「ささ、座って座って」
ここは俺の家なのに、まるで彼女が家主のような振る舞いだ。ただ、ここで言うべき文句は無い。俺がテーブル前のソファに座ると、藤崎さんも隣に腰掛けた。
白いプレートのうえには、トロトロの卵。その上には、しめじの入ったデミグラスソースがかかっている。パセリの粉末まで乗っていて、まるでお店のオムライスだ。小皿にサラダもあって、栄養バランスもバッチリだ。
梅干しのことを考えてる時くらい、ヨダレが出た。いてもたってもいられなくて、「いただきます」は俺史上過去最速だった。
「召し上がれ!」
彼女はそう言って微笑んだ。
スプーンを口に運んだ瞬間、ふわふわの卵が口の中でとろける。デミグラスソースの芳醇な香りが広がる。濃厚なデミグラスソースは、キノコの旨味と見事に調和していて、しめじの食感が良いアクセントだ。チキンライスは、デミグラスソースとの相性を考え、少しあっさりとした味付けにしているようだ。卵で包まれたチキンライスは、デミグラスソースと絡み合い、絶妙なハーモニーを奏でている。
「美味しい……!今まで食べたオムライスで1番美味しい!」
「嬉しいなぁ」
俺は藤崎さんそっちのけで食べ進め、彼女よりはるかに早く食べ終わった。
彼女が食べ終わるのを待ちつつ、自分の皿を洗っていると、大事なことを思い出した。
「あの、お金出します!」
食材は全て藤崎さんに買ってきてもらった。料理も全部任せて、俺ただ本格的なオムライスを食べさせてもらっただけだ。さすがにお金を払わなければいけない。彼女は、「え〜、いいよ別に」と遠慮したけれど、引き下がれる訳もない。
「いいよ。今度、お金以外のもので返して」
押し問答の後、藤崎さんは折衷案としてそう言った。これ以上説得しても折れてくれそうになかったので、受け入れることにした。今度、高島屋で良さげなお菓子でも買うか……。
オムライスを食べ終わって、冷蔵庫を開けると、アイスはすこし溶けてしまっていた。チョコモナカジャンボは皮がしんなりしている。
彼女はアイスを食べると、「また来ます」と言って帰っていった。
それから、藤崎さんが俺の家に来て料理を振舞ってくれたり、作ってくれたお惣菜をタッパーに入れて俺にくれたりすることが度々あった。
ある日、また彼女が家に来て、ふたりで夕食を食べながら話していた。俺は気になっていたことを、雑談の狭間にふと聞いてみた。
「……なんでこんなにしてくれるの?」
彼女は、なんでもないと言うように答える。
「好きだからね」
「えっ」
驚いて、思わず小さな声が漏れた。
「料理するのが。……あと、山田くんとっても美味しそうに食べてくれるし」
うん、まあそうだろうな。決して、俺のことだと思ったわけじゃない。決してそうじゃないけど、彼女はとんでもなく思わせぶりな人に違いない。
「いつも作ってもらってるから……俺も、いつかお返しに何か作るよ」
「うん、待ってる」
藤崎はそう言って、小さな口でトンカツを頬張った。
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