第3話 美男美女、「紙吹雪」君


 俺としては中々珍しいことに、普段よりも一時間とは言わないまでも、四・五十分は早く登校した。

 氷澤さんがいつも朝早くに登校していることは噂で知っていたので、周りに人が少ないときに昨日借りた折り畳み傘を返そうと思ったのだ。


 そして教室の前に辿り着くと、なぜが金田が教室の外でぼんやりとしていた。


「おはよう? どうした?」と話しかけると、失礼なことに金田は「うっわ、祐心?! いよいよ今日は雪かもしれん」と小声で叫んだ。


「まだ雪には早いだろ。つーかどうしたんだってば」


 再度尋ねると、金田は顎でしゃくるように教室の中を示した。

 どれどれとこっそり覗き込む。

 一瞬息がつまった。

 努めて何でもないことを装いながら会話を続ける。


「氷澤さんと……モモじゃん。何してんだアイツ」

「あー、祐心って桃原さん君と知り合いなんだっけ?」


 さん君って……。

 まぁ、そう呼びたい気持ちもわからんでもない。


「ああ。一応小学校からの腐れ縁」

「へぇ、ところでさ、口止めされてるとかなら答えなくていいんだけど、桃原って……ついてるの?」

「がっつりついてる」

「がっつりかー。ハハ、残念。おいそんな目で見んな」

「……はぁ、なんなら中学のときには彼女もいたよ」

「ほへー。あ、てことは今はフリーなん? ならやっぱアレは口説いてんのかね」


 やっぱそう見えるよな。

 それに、正直……。


「お似合い、だよな」と思わず漏らすと金田からも同意が返ってきた。


「それそれ。美男美女で、成績も学年一位と二位でしょ? 出来すぎだろ。しかもあの氷澤さんがあんなに話し込むなんて。あーあ、我らが氷姫にも遂に氷解雪解けスプリングが来たかー」


 胸が苦しくて何も話せなくなった俺の横で、金田は喋り続けていた。

 見ていられなくなった俺は踵を返す。


「どしたん? トイレ?」

「いや、図書室でも行って時間潰すわ。入りにくいし」


 自称進学校の我が校は図書室に併設された自習スペースがあるため、図書室自体も始業一時間前から開かれている、らしい。普段使わないので実態はなんとも。

 案外、鍵をかけることがないという杜撰な管理の可能性もなきにしもあらず。あの人が管理をしているわけだし……。


「いてらー。俺もトイレでも行こ。あ、教室戻るの遅れて遅刻するなよ」

「気をつける」

「しないと断言できないあたり流石だわ。後でモーニングコールしてやろうか?」

「うっせーよ」


 そうして金田と別れ、しばし無心で歩く。

 辿り着いた図書室に入ると、カウンターでは司書教諭の柳瀬やなせさんが凄い集中力で本を読んでいた。こんな時間から居るなんて大変だなとは思うものの、仕事をしているとも言い難いか。


 図書委員ということもあり、もちろん見知った仲ではあるので挨拶しようか迷うが……。相変わらずと言うべきか、ずいぶんとのめり込んでいるようで、目線はずっと本の上なのにハラハラしている感情が伝わってきた。たぶん小説を読んでいるっぽい。


 邪魔するのもなんなので、物音を立てないようにしながら自習スペースに向かう。

 誰もいなかったけれど、入口のドアから死角になる一番端の席に座り。机に突っ伏した。

 ずっと耐えていた、大きな息が漏れた。


「こんなにショックを受けていることが、逆にショックだわ……」


 どうせ叶いようのない望みなのに、どう見たって氷澤さんと俺とじゃ月とすっぽんなのに……。

 これほどにショックを受けるということは、ワンチャンあるとでも思っていたのだろうか。恥ずかしい。


 それでも。

 受験のときに出会って、助けられて、そのときから気になって。

 それから二人とも合格して、同じクラスになって、あの済まし顔と実際は結構騒がしい感情をしていることのギャップがクセになってきて。

 そして至極たまーに微笑んでいるところを見ると、ドキドキして止まらなくなっちまって。


「でも……モモなら、いいか。アイツはかけ値なしに良い奴だし」


 小学生のときの集会嘔吐事件。

 教師にすらドン引きされていた俺のことを唯一心配してくれて、そのあとも全く変わらぬ態度で友達いてくれたのはアイツだけだったのだ。


「モモじゃなかったら、諦めようとは思わなかったけど。その意味じゃすんなり諦めついてラッキーか。つーか眠い、寝よ」


 自分に言い聞かせるように眠いと呟きながら、俺はまぶたを下ろした。




「……きな……君。お……、遅……!」


 んんん、うるさいな……。


「へーえ、いい度胸ね。これをこうして……起きなさい!」


 痛っ……!


「あ……。すんません、おはようございます」

「おはよう、入倉君。寝るなら教室で寝なさい。私の仕事を増やさないで」


 マジ寝してた……。

 突っ伏していた頭を上げると、司書教諭の柳瀬さんが立っていた。

 どうやら手に持った丸めた雑誌で叩かれた様子。雑誌に貸し出し用バーコードがついてないので、たぶん私物。


「……ちょっと待ってて」


 俺の顔をよくよく見た柳瀬さんの感情が、途端に怒りから心配へと変化した。

 あ。そうか……。

 恥ずかしいところを見られてしまった……。

 戻ってきた柳瀬さんはウェットティッシュの袋を持っており、そこから雑に三枚も抜きとる。


「使いなさい。ええと、よだれが酷いから、顔全体をよく拭いておくといいわ」


 困った顔で差し出されたウェットティッシュをありがたく受け取って、ゴシゴシと目の周りをよく拭いた。

 まーじで恥ずかしい。


「担任には私から連絡しておくから、少し休んでいく? なにぶん男手が欲しい仕事ならいくらでもあるから」

「ありがとうございます。でも大丈夫です」

「そう。なら早く教室に行きなさい。遅刻になるわよ」


 時計を見るとまだ朝のショートホームルームより十分前だった。普段よりもまだずいぶん余裕がある。

 冗談を言えるくらい元気ですの気持ちを込めながらそれを口にすると、呆れられてしまった。


「生徒指導の竹内先生から噂は聞いていたけど……。全く、余裕を持って登校しなさい。早起きは三文の徳とも言うでしょう? 今日みたいに早くに図書室ここに来たっていいのよ。大体開いてるから」

「いやー、仕事手伝われそうなんで遠慮しておきます」

「アハハ。バレちゃった」


 行きなさいと促され、立ち上がる。


「その、ありがとうございました」

「なんでもないわ。ほら、さっさと行った行った!」


 再び丸めた雑誌でペシと背中を叩かれ、ずいぶんと軽くなった心持ちで図書室を後にする。

 もうすっかり騒がしくなった廊下を歩き教室にたどり着く。

 一度だけ小さく深呼吸をしてから教室に入ると――ほとんど教室中から視線を向けられた。奇妙なことに、やたらと生暖かい感情の波にさらされて鳥肌が立つ。


「お、モーニングコールはいらなかったか」とは教室の入口横に席がある金田。

 ツッコミすら出来ずに「何か空気おかしくね? つーか妙に見られてる気がすんだけど……」と質問を返す。


「あー、それは……」

「げっ、嘘だ祐心もう来た!?」


 男子としては少し高いよく通る声で叫んだのは、俺の小学校からの悪友、桃原進之介しんのすけ

「アイツのせい?」と聞くと、金田はニヤニヤと「どう思う? 『東小ひがししょうの紙吹雪』君?」と答えた。


 うん。それは小学生低学年のときのクソダサ二つ名だな。

 ドッジボールで避けることだけは上手かったことから来ているらしい。

 なお名付け親は桃原あのバカである。


 ……まさかずっと昔話をしてやがったのか!?


「モモスケ、てんめぇぇえ!」

「あはは……。その呼び方ひっさしぶりだぁ……」


 教室中からクスクスという笑い声が沸き立った。

 たくさんの視線を浴びていることは辛いが、比較的好意的なものばかりのためまだ耐えることはできた。

 ……たぶん、おもしろおかしいエピソードを話しただけではあるのだろう。だが許さん。


 席に向かって大股で歩く。

 皆笑っていることが恥ずかしくてたまらない。あ、氷澤さんも笑顔だ(当人比)。思わず見とれて、目まで合ってしまう。


 ――あれ?


 何があったのか、氷澤さんが固まってしまった。口を薄っすら開き呆然とした表情をしており、不思議でたまらないことに、目を見開いて感情も消えている。


 どうしたんだろう?


 そのとき、ツンツンと、脇腹をつつかれた。そうだ、まだ自席に辿り着く前だった。

 たまたま立ち止まった横に席があった福本ふくもとさんが「桃原君行っちゃったよ?」と言う。見ると確かに俺の席はもぬけの殻。しまった。

 福本さんには「ありがとう」と返し、大人しく席につく。氷澤さんは意識が戻ったようであったが、顔を背けるかのように窓の方を向いていた。

 そのままで「おはよう」と呟く氷澤さん。


「おはよう」


 自然になるよう精一杯努めて、なんとか挨拶を返した。

 朝のホームルーム中すらも、氷澤さんは何故かそっぽを向いていた。……なんで?


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