第7話 辺境伯の娘、落ち込む
私は肩を落とし、とぼとぼと自室に戻る。
覚えていないって言われた。
たくさんお話をしたのに、リクハルド様にとっては大したことのない出来事だったんだ。記憶に留めておく価値もないほど。
妃候補になったのは、あのときのことがリクハルド様の中に残っているからかもしれない、なんてちょっぴり期待していたのに。
ぜんぜん違った。
必要ないのなら、ここにいても仕方がない。毎日毎日叱られて、筋肉痛になって、つらいことばっかり。
お父様の嘘つき。王族は冷たい人しかいないよ。
もう帰りたい。サーラスティに帰ろうかな。
私は枕に顔を埋めて、泣きながら眠りについた。
「おはようございます。どうなさったのです」
いつものように朝食前にやってきたレイヤ先生は、私の顔を見て驚いた声を上げた。
まあ、びっくりするよね。泣きながら寝ちゃったせいで、瞼が腫れあがっているからね。
視界もめっちゃ悪いよ。先生の顔、ちゃんと見えないもん。
ヴァルマが貴重な氷を厨房から分けてもらってきてくれて、タオルでくるんで冷やしたけど、効果はない。
別に良い。どうせ誰にも会わないんだから。
食欲がなくてスープだけで朝食を終え、いつものように妃教育が始まる。
さすがに笑顔の練習はなしになった。腫れた瞼ではダメだと思ってくれたんだろう。
助かった。笑顔になんてなれる気持ちじゃないもの。
歴史書を読む。今日は頭に入らないなあ。だってどうでもいいんだもん。歴史なんて勉強して何になるの? 王族なんて雲の上の人だから、私には理解できないよ。
「クリスタ様、30回目です」
「何がですか?」
レイヤ先生は何を数えているんだろうね。
「クリスタ様のため息の数です」
「ため息? そんなつまらないものを数えるなんて、レイヤ先生も暇ですね」
嫌な言い方しちゃった。もういいよ。妃教育なんて必要ないから。
「今日の勉強は中止にいたしましょう」
そうしよう。やったって無駄だもん。
レイヤ先生は私が読んでいた歴史書をさっと取り上げた。
「クリスタ様は、庭はお好きですか?」
「庭?」
「よく外を眺めておられると、ヴァルマから聞いておりますが」
「好きですよ。たくさんお花が咲いてて、きれいだから。土に触れるのも好き。サーラスティじゃ自分の畑と花壇をもらってました」
「では気晴らしにお散歩でもいたしましょう」
「いいんですか!?」
レイヤ先生は厳しい人だと思っていたから、優しいのが意外すぎてびっくりする。
外に出られるのはとても嬉しい。太陽の光を浴びたい。サーラスティと比べると陽光は柔らかくて物足りなさそうだけど、ずっと部屋にいるのは息が詰まる。
先生のあとをついていく。嬉しくて速足になってしまう。道、覚えておこう。
長い階段を二階分降り、階段の裏にある木の扉を開くと、緑の絨毯が見えた。
「外だ!」
飛び出した直後に太陽の光を全身に浴びる。体がぽかぽかして気持ちが良い。
風が私の周囲を一周して流れていく。石でできた武骨な建物と防御壁の間に緑が溢れている。
久しぶりに触れた自然が心地良くて、私は走り出した。靴なんて途中で脱ぎ捨てて。
自分の足につまずいてこけたら、ごろごろと転がった。体が汚れたら拭けばいい。服が汚れたら、たらいにお水を張ってごしごし洗えばいい。私は自分でできるんだから。
大の字に寝転んで、空を見つめる。
青が広がっている。澄んだ青が遠くまで。ときおり小さな雲が、風に流されてぷかぷかと運ばれてくる。
気持ちが良い。とても、とても、
「気持ち良いー!」
大声で気持ちを叫ぶと、胸に暗く淀んでいた黒いものが飛び出て、風に流されていった。
「すっきりしましたか?」
影が差し、レイヤ先生が覗き込んできた。
私は体を起こす。
レイヤ先生の手が伸びてきて、私の髪に付いた草を取ってくれた。
「私は田舎者です。王都に住んでいる人には礼儀がなっていないように見えるかもしれません。だけど、これが私なんです。花が好き、土が好き。食器の音しかしない食事は寂しいし、会いたい人に会えたら笑顔になりたいです」
自然に触れたせいか、私はレイヤ先生に思いのたけを伝えていた。理解されるとは思っていないし、してもうおうとも思っていない。ただ私がどう思っているかを伝えたかっただけ。
「これじゃ、淑女になんてなれないですね。だけど大人の女性に憧れてはいるんですよ。信じてもらえないかもですけど」
レイヤ先生は私の隣に座る。広げたハンカチの上に。
「クリスタ様は14歳でしたね。もっと小さな頃から教育を受けていれば、振る舞いが自然と身に付いていたでしょう」
「遅いってことですか?」
「努力次第というお話です」
そうだよね。わかってる。努力しなきゃ身につかないってことは。
「クリスタ様が今勉強をなさっていることは、誰のために必要だと考えますか?」
「え? 妃教育は王族に恥をかかせないためですよね」
王族の一員になったとき、私がちゃんと振る舞わないとあんな王族と笑われてしまうからだと思ってきた。
「王族のためだと思っているなら、どれだけ努力をしても身につきませんよ」
「違うんですね。それじゃあリクハルド様のためですか?」
「半分はそうですね。パートナーにも返ってきますから」
んー、と考える。実家? とも考えたけど、きっと違う。
「私のため、っていうことですか?」
「そのとおりです。淑女でなくても生きていくことはできます。ですけれど、きちんとした振る舞いができれば、あなた様の価値を高めることができますよ。ステキだと思いませんか?」
「人から良く思われるために、自分が自分でなくなるのは、イヤです」
「それは違いますよ。人からの価値ではなく、あなた様が思うご自身の価値です。何に怒り、何に悲しみ、何に喜びを感じるのか、今はクリスタ様の核になるものを形成している最中なのです。たくさんのことを勉強していれば、さまざまな角度から知り、考え、答えを導き出すことができます。自身を抑えて表面だけを取り繕うのが淑女ではないのです」
「注意を受ける理由がわかりました。私は表面だけで淑女になろうとしているんですね」
「ご実家に帰られますか?」
さっきまで帰りたいと思っていたのに、レイヤ先生とお話をして頑張る理由ができた気がする。
それに一週間で泣いて帰るなんて、悔しい!
マリールイス様とリーズベット様が笑っている姿が想像できた。
「私、帰りません!」
握りこぶしを作って宣言する。
「立派な淑女になって、リクハルド様を振り向かせてみせます!」
「クリスタ様の根幹はそこだったのですね」
「四年目にリクハルド様とパーティでお会いしたんです。たくさんお話したのに、覚えてないって仰ったんですよ。本当に忘れているなら、思い出してもらいます」
私はどうして落ちこんでいたのかな。忘れられているなら、またお話して思い出してもらえばいいんだ。
「私は、私のために、お妃教育を頑張ります!」
そうだよ。そのために来たんだから。あやうく目的を見失うところだった。
「お陰でわたくしは職を失わずにすみます」
レイヤ先生は立ち上がり、ハンカチを払った。
私も立ち上がった。お尻をぽんぽんとはたきながら訊ねる。
「私が辞めたら、次の候補者の家庭教師になるんじゃないんですか?」
「失敗した者を次の人の教育に雇うわけがございません。わたくしはあなただけの教育係です。ですけれど、わたくしのためではなく、ご自身のために励んでくださいませ」
「わかりました」
レイヤ先生はわたしだけの家庭教師。それじゃ、先生は後がないんだ。
先生のためじゃなくって言われたけど、私が頑張らないと先生の評価にも傷がつく。
私は実家だけじゃなくて、先生も背負ってたんだ。だったら、もっと頑張ろう。先生と二人三脚で。
次回⇒8話 辺境伯の娘、慌てる
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