第2話

第四章:最後の夜


「正直、ホッとしてる」


誠也の本音だった。6年間、蜜美に対して申し訳ない気持ちを抱き続けていた。真理子への想いを隠しきれず、蜜美を中途半端に愛していた自分が嫌だった。


「君は本当にいい人だから、きっと素敵な人と出会える」


蜜美は「ほんとにそう思っているの?」と笑った。

その笑顔があまりにも美しくて、誠也は胸が締め付けられた。彼は蜜美を愛していなかったわけではない。ただ、真理子への想いが常に勝っていただけだ。


「最後に、キスして」


誠也は戸惑った。でも、断る理由もなかった。

蜜美の唇は、いつものように柔らかく、温かかった。


そのとき、蜜美の舌が深く、深く、彼の口の中に入ってきた。


「み、蜜美…?」


誠也は驚き、でも身体は蜜美を拒まなかった。


そして、それは起きた。

蜜美の舌が、根元から千切れる感覚。

鋭い痛みと共に、血の味が口の中に広がる。


誠也の目が恐怖で見開かれた。

蜜美の千切れた舌が、彼の喉を通り、食道へと這い下りていく。


「なに…これ…?!」


誠也は苦しそうに身体をよじらせた。

蜜美は出血しながらも彼を抱きしめ、耳元でささやいた。


「一緒に…死のう…」


でも、その言葉を口にした瞬間、蜜美の中で何かが覚醒した。

母の記憶。そして、選択。


「思い出した…そう、私が選ぶのは…」


第五章:フラッシュバック


舌が千切れる瞬間、蜜美の中に6年間の記憶が駆け巡った。


初めて出会った雨の日。傘を差し出してくれた誠也の優しい手。

初めてのデート。映画館で、彼の横顔をそっと見つめた幸せ。

初めて手を繋いだ夜。

指先に伝わる温もりに、涙が出そうになった。

一緒に料理を作った休日。

彼の笑い声が部屋に響いて、これが永遠に続けばいいと思った。

風邪をひいた私を看病してくれた夜。額に手を当ててくれる優しさ。

ささいな喧嘩をして、仲直りのキス。

誕生日に贈ってくれた指輪。「結婚指輪じゃないけど」と照れ笑いした彼。

一緒に見た朝日。「君といると、毎日が新鮮だ」と言ってくれた。


全部、嘘じゃなかった。

全部、本当だった。

ただ、彼の心の奥に、私以外の人がいただけ。


それでも、愛していた。

今も、愛している。


そして、蜜美は選択した。

死に誘うのではなく、生かすことを。

真の愛は、相手を縛ることではなく、自由にすること。

でも同時に、自分の一部を残すことも。


そのとき、12歳の日の記憶が鮮明に蘇った。


第六章:封印された記憶


蜜美が12歳の時のこと。


あの夜、母・恵子は「蜜美、大切な話がある」と言った。まだ幼い蜜美は、母の深刻な表情に不安を覚えた。


「お母さんは、お父さんじゃない人を愛してしまった」


恵子は涙を流しながら、蜜美に真実を語った。


蜜美が生まれたのは、恵子がまだ22歳の時。

恵子は当時、出版社で働いていた。そこで出会ったのが編集長の田村修一だった。既婚者だった田村に、恵子は深い愛を抱いた。


二人が結ばれた時、恵子の舌の秘密が発覚した。けれど、田村は死ななかった。恵子は舌を取り戻す方法を見つけたのだ。

そして、その過程で、田村のDNAが恵子の体内に取り込まれた。


それがやがて蜜美となった。


「私たち一族の女性には、特別な舌がある」と恵子は説明した。「深く愛した人の内側に入り込み、その人のDNAを取り込むことができる。

でも、それが命を奪うか、新しい命を生み出すかは、私たち自身の選択によるの」


蜜美が3歳の時、恵子は勝也と出会った。勝也は真実を知りながらも、恵子と蜜美を愛し、家族として迎え入れた。


しかし恵子の心は、いつまでも田村への想いを手放せなかった。


蜜美が12歳のあの夜。

恵子は田村に最後の電話をした。「一度だけ、会ってください」と。


田村は断ったが、恵子は「これで最後にします」と懇願した。


二人が会ったのは、静かなホテルのラウンジ。

「あなたを忘れられない」

恵子の告白に、田村は困惑した。


「恵子さん、僕にも家族がいる」

「分かってる。でも…一度だけ」


その夜、恵子は田村を愛した。

そして舌を深く入れた時、舌が千切れた。


田村の内臓を這い回る舌。

恵子はそれを取り戻す方法を知っていたが、同時に、自分の命を差し出す覚悟も決めていた。


舌が戻ってきた時、それはすでに田村のDNAを取り込み、恵子の体内で新しい命を形成し始めていた。


田村は、ステージ3の癌に侵されていた。

それを知って、恵子は「会いたい」と申し出たのだ。

癌細胞をしたが食いつくすために。


10日後、恵子は舌から新しい命を産んだ。真っ黒い塊、750グラムのそれは、全身癌細胞の塊だった。

もしかしたら、蜜美の妹になるはずだった悲しき塊だった。


出産の代償として、恵子は命を落とした。


「お母さんは…一人で死んだんじゃない」

蜜美は12歳の記憶を封印していたが、今すべてを思い出した。


基本一族は舌を切り離し、相手を殺し、自分も死ぬ以外にはないのだ。

しかし、母は今までの一族に無い舌の使い方をした。

⚫️内臓のガンを舌にとらせた

⚫️一度ちぎれた舌をもどした

⚫️舌から出産した


そして蜜美も、今、選択の瀬戸際に立っていた。


第七章:舌の解放


「み...つ...み...」


誠也の声が、蜜美の意識を現実に引き戻した。彼の顔は青ざめ、苦痛に歪んでいる。千切れた舌が彼の内臓を這い回り、血の花を咲かせている。


蜜美の中で、怒りと愛が交錯した。

これは復讐なのか? それとも愛なのか?


蜜美は深く自分の心と向き合った。

復讐心から始まったことは確かだった。誠也の裏切りへの怒り、6年間の虚しさへの憤り。でも今、彼が苦しむ姿を見て、愛が勝っていた。


「私の舌は...あなたの子を宿すことができる...」


蜜美は母の日記の最後のページを思い出した。

『私たちの舌は、愛を運ぶ器。選べば、命を生み出すことも、奪うこともできる』


迷いなく、蜜美は決断した。


「誠也、死なないで!愛している!」

蜜美は無い舌で絶叫した。


蜜美は誠也の口に自分の唇を重ね、人工呼吸の要領で、必死に吸い上げた。舌を取り戻す—それが唯一の救いだった。


口の中に血の味が広がる。それは誠也の命の味だった。舌が戻ってくる感覚。誠也の内臓から這い上がり、食道を通り、喉を上がってくる。


二人の口の間で、千切れた舌が再び蜜美のものとなった。

だが、それはもはや同じ舌ではなかった。誠也のDNAを取り込み、変質していた。


蜜美の体内で、新しい命が形成され始めた。

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