第17話 「嫉妬します」
足を大きく振り上げて立ち上がると、踊るような足取りで葵は階段を降りて来る。
「逃げた先で同じことが起きたら? アイツが追ってきたら? 根本を叩き潰さないと、安心なんて出来ませんよ。人生なんて、そんなもんです」
葵は朔の前まで来ると、腰を折って朔の顔をのぞきこんだ。
「私はね、お金さえもらえれば何でもしますよ。お金は信じられますからね。瀬乃のように依頼を渋ったりしません。綺麗事だけで現状は変えられませんよ。今までだってそうだったでしょう? だから、あなたは呪いたいと思った。ちがいますか? アイツさえいなければ、あなたの人生は全て上手くいきますよ」
さあ、と葵はニヤリと口角をあげる。
「私に任せませんか? 呪い殺すのは簡単です。今この瞬間も、のうのうと生きているアイツに復讐してやりましょう」
「おれ……」
朔が白珠を押しのけて、葵に向かい合う。
「朔さん、いけません。誰かを呪うなんて」
白珠が朔を引き留める。
「おやあ、白珠さん。あなたがそんな台詞を言える立場にあるんですか? むしろ、あなたはこう声をかけるべきだ。呪いをかけるのは一瞬。すぐに楽になれるってね。しかも、呪術師に任せるのですから、自分は手を下す必要はありません。すやすやと眠っている間に、全てが終わっているのですよ」
葵は朔の耳元でささやく。
「逃げ続けるなんて馬鹿げている。自由になりたいだろ? 憎いアイツが苦しむ姿を見て、ざまあみろって思いたいだろ?」
「だめ! 耳をかさないで!」
白珠が朔の両耳をふさいで、葵をにらみつける。葵も不適な笑みを浮かべながら白珠を見つめ返す。
「じゃあ、わたしが。わたしが呪ってあげるよ!」
ルピカが挙手し、声を張り上げた。
「ルピカ、何を言っているの?」
よろよろと立ち上がった白珠は、ルピカの肩を掴んだ。
「呪いの術は獅乃様の隣でよく見てきたから。大丈夫、大丈夫! 出来ると思う」
「だめよ、そんなこと」
白珠は叫んだが、かまわずルピカは両手を合わせて手印を結び始める。葵はそれを何も言わずに眺めていた。
「ルピカ、だめよ。呪い殺すだなんて!」
白珠が悲鳴をあげた時、ルピカの指先から青白い光がほとばしった。雷のように周囲の空気をふるわせながら轟音とともにその光は、朔の元へと降り注いだ。
「──え? おれ?」
光の膜に包まれた朔は、茫然と自身の両手を見つめている。やがて光は朔の体に吸いこまれていった。
「なんてこと……」
恐怖で白珠の体がふるえている。ルピカは無表情のまま、朔を真っ直ぐに指差した。
「朔に呪いをかけたよ」
「なんでだよ……。なんで、おれなんだよ。おれ……死ぬの?」
絶望した表情で、朔はルピカに顔を向ける。葵がおかしそうに声をあげて笑っている。
「朔にかけた呪いはね、普通じゃなくなる呪いだよ」
「なんだって?」
「朔は死なない。けど、普通じゃない人生を送る呪いをかけた」
「なんだよ、それ」
「普通って、何? みんなが言う普通って何?」
柚月の時もそうだった。いい子でいて、自分の声を抑えることが普通なのだろうか。
「逃げ続ける? ちがう、これはただ逃げるんじゃない。朔は今いる場所から居場所を変えるのよ。ただそれだけ。自分が居心地の良い場所を、自分で選んで生きていくこと。例え、誰になんと言われようとも。そういう呪い」
ルピカは笑って、威張るように腰に手を当てた。
「アイツを呪い殺す? そんな普通のことしないでよ。一番の復讐はね、朔がめちゃくちゃに、幸せに生きていることを見せつけてやることだよ」
そうでしょ、とルピカは白珠に向かって片目をつむってみせた。
「おれ、父さんや母さんを、失望させないかな? だって、父さんはぼくが普通であることを望んでるもん」
「呪いにかけられたことを言い訳すればいいじゃない。きっと納得するに決まってる」
顔を覆って、朔はしゃがみこむ。
「いいのかな。これで、いいのかな」
朔の声は細くて不安気で、けれども、どこか期待しているように聞こえた。
「朔の人生は、朔のものだよ。自分が心地良いと思う方に進んだらいい」
「……うん。おれ、今気がついた。アイツのこと大嫌いだけれど、本当は呪いなんてかけたくなかったんだ」
石階段が崩れていく。大きな音を立てて、組み合わさっていた石の塊が解けていく。石は砕けて、小石となり、砂となって宙を舞う。
「おれが本当にして欲しかったことは、助けてって声を誰かに聞いてもらうことだったんだ」
風が吹いていた。背中を押してくれるような、やさしい風が。砂粒を巻き上げ、遠くの光差す方へ連れて行く。
その様子を見上げたまま、白珠はつぶやいた。
「世界が、変わっていく」
息がつまるような夢の世界が、解けて消えて、新しい世界へと変わっていく。
「ルピカ、ありがとう。あなたのお陰だわ」
目を見開いて、ルピカは少しだけ背筋を伸ばした。白珠とようやく心が通じ合ったような気がした。
「白珠のお陰だよ」
ルピカは白珠に寄り添った。くすぐったくて、温かい気持ちが胸の中に満ちていた。
最後の砂粒が行ってしまうと、あたりには何もなくなっていた。早朝の空のように澄んだ空間に、四人は立っていた。
「違和感」
葵がぽつりと口にした。
「白珠さんに会った時の違和感は、あなたでしたか。納得、納得」
ルピカに近づいて、葵は赤い瞳を見開く。その眼光の鋭さにルピカは動けなくなってしまう。
「これが長月家の禁術」
ゆっくりと葵は人差し指を持ち上げる。そのままルピカの額に当てると、ツンと弾いた。
「獅乃さんが知ったら、どうなるでしょうね? 夢を渡る白珠さんと、禁術を使って生き延びたかつての下女」
くるりと葵は踵を返すと、手を振った。
「じゃあ、私は帰ります。白珠さんを見張り続けるのも限界みたいですし」
そう言うと葵は姿を消した。
*
「ルピカ!」
朔の夢を抜けて目を覚ますと、心配した表情の瀬乃がいた。起きあがろうとしたルピカを瀬乃が抱きしめる。
「よかった、無事で」
「どうしたの?」
「葵さんですよ」
瀬乃が小さな紙切れを差し出した。それはすぐに瀬乃の術によって、燃やされてしまう。
「今のは?」
「式鬼です。おそらく初めに会った時に、体につけられたのだと思います」
見張っている、と葵が言っていたのはそういう訳かとルピカは納得する。式鬼が体についていたから、葵は夢に入ってくることが出来たのだ。
「僕抜きで、誰かの夢に入るのはやめてください」
瀬乃は怒っているようだった。確かに、雨月葵にルピカの正体をさらしてしまった。瀬乃がいれば、葵の介入を防げただろうに。
「ごめんなさい」
「嫉妬します」
「え?」
ルピカは目をぱちくりさせた。
「僕だって、嫉妬くらいします!」
そう言った瀬乃の耳が赤かった。ルピカは吹き出してしまう。
「なんだか、恋人みたい」
「恋人ではありません。夫婦です」
「そうでした」
ルピカは心がくすぐったかった。
瀬乃に触れてみたいと思った。手を伸ばして、髪に触れてみる。指先の神経が研ぎ澄まされているようだった。瀬乃に触れたところから、喜びが体中に伝わって、温かい陽の光を浴びたようにとろけていく。
「あっ」と思った時には、唇が重なっていた。やわらかい感触。少しだけ冷たい境目。
「にゃ」
「にゃ?」
瀬乃が首を傾げる。恥ずかしさでルピカは口をパクパクさせた。上手く言葉が出てこない。
「ああ。もしかして、初めてでしたか?」
うれしそうに言った瀬乃の頭を、間髪入れずにルピカは小突いた。
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