第10話 想い描けば、何でも……

「ねぇ、お腹すかないー?」

 力がふにゃっと抜けるような言葉を背後から投げかけられて、振り返った柚月は、ルピカの姿を認めてその場にとどまった。

「あなた、何なのよ」

「何って? わたしは、ルピカだよ」

 柚月に追いついたルピカは、もう一度、丁寧に自己紹介をした。

「そうじゃなくて……。もういい。私が夢を見て呪いを振りまく、危険な女だって言いふらせばいいわ。藤也さんもきっと、それがお望みなんでしょう? 私を追い出したいんでしょう? だから、あなたをここに寄越した!」

 目をつりあげて、柚月は泣き叫ぶ。

「落ち着いて、柚月さん。あのね、藤也さんはあなたが夢を見ているって知らないよ。ただ、呪いを祓って欲しいってわたしたちに依頼してきたの」

「呪い? 何の話よ」

 柚月は涙を目にいっぱいためたままで、にらみ返してくる。突然夢の中に他人が現れ、しかも追いかけまわされてしまった柚月は、気が動転しているようだったし、ルピカの話をまともに聞いてもらえそうにもなかった。

 ルピカは困って、辺りを見回した。柚月の心に近づける何かが見つけられないかと、星空の夢の世界をじっと見つめた。

 そして、ふと思い出した。

「ねえ、あなたの夢なんだけれど。わたし、どこかで見たことがある気がする」

 ルピカは口元に手を当てて思い出そうとする。

 ぼんやりと見覚えのある景色。

 ルピカは長月家からほとんど出たことがなかった。けれども、この夢の世界はルピカの記憶にもあるような気がした。

 獅乃の部屋。壁一面が本で埋まっている。呪術の本から、物語まで。本棚の一番下、右下の一画が、ルピカのお気に入りだった。何度も読み返されたであろう古い本。

 それは、絵本だった。

 金色の野原に、星空の海。西華国の少女が、見たことのないお菓子やお茶を並べている光景。誰も知らない、ここではない世界に行ける扉があるような気がして、夢中で読んだ本。

「そうだ」

 ふと、眠っている柚月の姿が鮮明に思い出された。

 眠っていた柚月の手には、見覚えのある本が握られていた。赤い靴の少女の表紙。

「星海のリリー!」

 ルピカの大好きな絵本だった。

 赤色のテカテカ光る異国の靴を履いたリリーは、星を映した海の上に小舟を浮かべ、そこで一人お茶会を開くという物語だった。色鮮やかな挿し絵と、自由に海を漂うリリーの姿に、幼いルピカは夢中になって憧れたものだった。

「どうして、知っているの? 異国の絵本なのに」

「あたしの前の主人は、本が好きだったの」

 獅乃の本棚には、琥東国の本に紛れて異国の本が数冊あったように思う。あの本はどこで手に入れたのだろうか、とルピカは今更ながら不思議に思った。

「わたしは本が好き。特に本を開く瞬間が、たまらなく好き。冒険に出発するみたいでわくわくするもの。柚月さんも、本が好き?」

「……ええ」

「だから柚月さんの夢の世界は美しいのね!」

 美しいという言葉に、柚月は驚いて頬をぽっと赤く染めた。

「星海のリリーは、特に好きよ」

 戸惑いながらも柚月は言った。

「わたしも! リリーがお茶会をする場面が一番好き」

「わかるわ。あの場面は挿し絵の色が鮮やかで──」

 そこで柚月は言葉をきった。異国の絵本の話が出来る相手が現れ、思わず気を許してしまったことに気がついて、気まずさを覚えたようだった。

「ねえ、絵本みたいに、お茶会をしてみない?」

「ここで?」

「そう。星に囲まれながら、お菓子を食べたり、お茶を飲んだりするの。すてきじゃない?」

 言うなり、ルピカは白色の机と椅子を夜空の上に呼び出した。流加が取り寄せたという、西華国の机と椅子は瀬乃の家にあったので、難なく創造することが出来た。

「ほら、やっぱり。だって空も飛べるんだもの。夢の世界で想い描けば、何でも出来るのよ」

「想い描けば……何でも……」

 柚月は、浮かれた様子で椅子に腰かけたルピカを見つめる。

 夜空の真ん中に机と椅子が浮かんでいた。上も下も、右も左も、星に包まれて、現実では出来ないことをしている。

「絵本の中では、お煎餅みたいなものを食べていたわね」

「それは、きっとクッキーよ」

 柚月が机に手をかざすと、真っ白なお皿に山盛りにのったクッキーが現れた。

「わあ! 夢みたい!」

 ルピカは言ってから、柚月と目を合わせた。どちらからともなく笑い声があがった。

「それからあの絵本には、紅茶が登場するのよ」

「こうちゃ」

「西華国で定番のお茶よ」

 柚月は白くて丸い急須を呼び出す。それは、ポットと呼ばれるもので、中には紅色で、花のような香りのお茶が入っていた。

 柚月がティーカップに紅茶を注いでいる時、瀬乃と白珠が到着した。

「あなたたちは?」

 再び緊張をはらんだ柚月に、瀬乃は挨拶をする。

「はじめまして。僕は長月瀬乃。こちらは妻の白珠とルピカです」

「ちょっと待って……」

 柚月は額を押さえる。どこからつっこんでいいかわからない様子で、苦悶の表情を浮かべている。

「長月瀬乃。噂の呪医の?」

「噂かわかりませんが、呪医をしている長月瀬乃です」

「ということは、さっき言っていた呪いというのは本当なのね」

 驚いた柚月が立ち上がる。

「私は、誰かを呪ったりなんかしていないわ」

「はい、もちろんです。どちらかというと、柚月さんが呪いにかけられています」

「私が?」

 柚月の顔色が真っ白に変わっていく。自分が呪いにかかっていることを知らないようだった。

「ええ、あなたはもう二日も眠りについています」

「二日も? 一体、誰が私に呪いをかけたの?」

「あなたです」

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