第9話 【テセウスのオマジナイ】
「助けたいかい? 美良崎こがれを」
ァル子さんは横に立ち、俺にイジワルな笑みを見せた。
きっと、あの時みたいに提案したいんだろうな。
まほろが死んだ夜みたいに。
真っ暗な灯台の根元。
荒れる波は防波堤にぶつかり、飛沫が頬をかすめる。
吹きすさぶ潮風は生温い。
受けているだけで、肌が汚されるような気色の悪さを感じた。
海を照らす灯台の光はささやかで、少し頼りなく感じた。
こんなんじゃ、見つかるものも見つからない。
光のか細さは、美良崎が帰ってこない不安感を余計あおった。
美良崎が失踪して一日。
時間が経てばひょっこり顔を見せると思ってた。
けど、そんな希望的観測は否定すべきだ。
俺が黙ったまま水平線を見てると、
ぐい。
ァル子さんは俺のアゴを掴み、ムリヤリ目を合わさせる。
互いに息がかかるほどの距離。
キスでもするような角度で、ァル子さんは俺の顔を固定した。
黙ったままこちらを見つめるァル子さん。
瞳は空の雲のようにどろどろしていた。
視線はまとわりつくように俺に注がれる。
まさか、色仕掛けで……?
「今、口臭ケアしてないけど大丈夫そ?」
「いや、なに、キミの背後に【直視しちゃいけないモノ】がいてね」
「紛らわし~!」
すると、俺の背後から何かのうめき声が響いた。
「大丈夫だよ、ミトル。アレは別に、今回の一件には関係無いモブだから」
「何だよ、そのネタバレは」
「ま、キミの言う事件も、ボクにとっては事件ですらないけどね」
ニコリ。
ァル子さんは微笑みながら、俺の背後に回した手を軽く動かす。
瞬間──
ぐちゃり。
後ろで、粘度のある何かが落ちる音が聞こえた。
「どうするの? ミトル」
ァル子さんは俺の耳元に口を近づけ、優しくささやく。
彼女の言葉は頭の奥を静かに揺らし、すぐさま多幸感が押し寄せた。
ァル子さんを頼れば全部無かったコトにできる。
そんな現実味を帯びた予感が、俺の脳内を埋め尽くす。
頼りて~!
そんでもって、ただただ平和な毎日をダラダラ過ごして~!
きっと、ァル子さんにはそれを叶えるチカラがある。
けど──
【ゼッコーアプリ】に殺されかけた夜、コイツは言った、
「命の価値が分からない」と。
そんなヤツを信じて、何もかも依存するワケにはいかねェよな。
「お前を頼れば、美良崎が消える前まで戻れるかもな。でもさ──」
俺はァル子さんを見つめる、強い決意とともに。
「限界まで自力で調査するよ。だって、美良崎の安否はまだ分からない。俺一人の力で解決できるかもしれないだろ? お前に泣きつくのはその後でも遅くない」
そう断ったハズなのに、
俺の手はどうしてかァル子さんに触れようとしていた。
体が彼女に服従を示すように。
俺はこぶしを握りしめ、その欲求に抗う。
「カッコいい決意だね、流石ボクの彼氏だ」
ァル子さんはペットでもあやす口ぶりで俺を抱擁した。
「彼氏じゃねェ」
けれど、断った今になって別の感情がよぎる。
本当に断って良かったのか? ァル子さんの誘いを。
もし既に、美良崎がこの世にいなかったら?
俺の力が至らなくて、救うのが間に合わなかったら?
押し寄せる疑念が俺の脳裏で渦巻く。
ぽつり。
降り出した雨が二人を濡らす。
肌を伝うしずくは、俺を責め立てるように冷ややかだ。
今の考えを見透かしたように。
するとァル子さんは抱擁を解き、「ぱちり」指を鳴らした。
不意に静止する雨粒。そして、
ァル子さんは斜めに飛び上がり、しずくの上に着地した。
腰にワイヤーでもついてるかのように、軽やかな身のこなしだ。
「だからこそ、台無しにしたくなった」
刹那──
空から真っ黒などろどろが降り注ぐ。
「キミが助けを求めたら断ってやろうと思ってた。けど、ボクを頼らないなら、逆に【改変】してやりやくなったよ」
それはコップに注がれるように辺りを埋め尽くし、
俺の意識ごと全てを飲み込んだ。
視界に差す真っ白な光。
また、戻るのか。
一度断りはしたけど、せっかく掴んだチャンスだ。
今度こそ美良崎を助ける!
そう決意した。
なのに、
「どうして俺はここに立っている……?」
俺は雨に打たれながら、灯台の前に立ち尽くす。
何度も繰り返した。けど、
美良崎を助けられない……!
あの時点で何もかも決定してるみたいに、
翌日になれば美良崎は失踪してしまう。
まさかァル子さん、また俺を苦しませるためにこんなことを……?
なら、こんなのただの茶番だ。
それから俺はァル子さんを頼らず調査を続け、
数日が過ぎた。
ここは島だ。
けど、美良崎らしき女の子が船に乗った情報も無い。
絶対に島の中にいるハズなんだ。
考えながら校舎を歩いてると、俺はまたあの場所に来てしまっていた。
一階の渡り廊下、掲示板の前だ。
相変わらず、張り紙も掲示されたままだ。
校内の不審人物、か。
失踪の原因が【不条理存在】なら、【ダレカさん】を探した方が簡単かもな。
その時、見覚えのある背中が視界のスミを横切った。
髪の短い、スポーティな見た目の女の子だ。
確か、美良崎と話した時にも見かけた──
そうだ……!
まだ、この子には訊いてねェじゃん、美良崎のこと!
俺は廊下を駆け、その子の肩を叩いた。
「ちょっと聞きたいことあるんだけど……!」
振り向く少女。
朱色のボブカットをした、青いジャージの女の子だ。
鼻の頭には絆創膏。
きっと、熱心な運動部の子なんだろな。
ジャージが青ってことは二年生──同い年か。
なんて思いつつも、少しの違和感を覚える。
どうしてこんな真夏にジャージ?
それに、前髪は伸び切って片目を隠してる。
活発そうなのに、どこか陰気な感じの子だな。
何て言うか、ふれあいコーナーの片隅で隠れてるウサギみたいな。
すると少女はビクリと肩を震わせ、一歩後ずさった。
何かを警戒するような表情だ。
俺の背後に、怖いモノでも見えてるかのように。
俺たちは見つめ合ったまま、無言の時間が過ぎていく。
ヘビに睨まれたカエルならぬ、キツネに睨まれたウサギだ。
互いの肌に浮かぶ、じっとりとした汗。
まるで彼女の心が流す涙だ。
彼女は一体、何に怯えてるんだ?
まさか【ゼッコーアプリ】からの【改変】で、俺に何か異常が……?
とにかく、警戒を解かないと……!
「あんたを害するつもりは無い。ただ、行方不明の後輩を助けたいんだ」
俺は精一杯の優しい声を絞り出し、彼女に笑いかける。
するとウサギ女は握った両手をゆっくりと開いた。
「何……?」
「ミントグリーンの髪したギャルなんだけどさ、先週の水曜日夜から失踪してるんだ。ほら、クラスでも先生からそういう話聞いただろ?」
「聞いてない」
控えめに、ウサギ女は首をふるふると動かす。
「水曜の昼、ここでお前とすれ違ってるんだけど、それも覚えてない?」
少女はピンと来ない顔でまた、首をふるふると動かした。
なんか、年の離れてる親せきと話してるみたいだ。
俺に対してずっと緊張してるって言うか。
にしても、ここまで情報ゼロか。
この子を見た時、何か起きそうな予感があったんだけどな。
勘違いだったか。
「じゃあ、【ダレカさん】のウワサって知ってる? 顔のおかしな人が学校に紛れてて、成り代わられた人は失踪するっていう──」
これが最後の質問……!
何か知っていてくれ!
俺は祈るように目をつむり、ゆっくりと開いた。
けれど──
「知らない」
少女は首を横に振った。
ダメ、だったか……。
俺は俯き、下唇を噛む。
こうなったらお手上げだ。
次は何を調査すれば……?
ァル子さんを頼るか?
いや、あんなアマノジャク、頼ってたまるか。
どうせ俺が嫌がることをやるに決まってる。
「けど──」
ミントが香り、俺は顔を上げる。
ウサギ女は眉をハの字にし、こちらに一歩近づいた。
「知ってるよ、【テセウスのオマジナイ】なら」
「何のおまじないだって?」
「テセウスチャンネルのオマジナイ。最近、動画サイトでよく見かけるヤツ」
ウサギ女はバキバキに割れたスマホを取り出す。
二世代くらい前のスマホだ。
そして突然動画を再生し始めた。
焦点の定まらない目だ。
何かに憑りつかれてるように。
「じゃあ、小顔になれるオマジナイ、やってくよ~♪」
現実の雰囲気とはうらはらに、動画からは明るい効果音が流れる。
何かの準備にいそしむ画面内の女性。
かわいらしいフリルの服に身を包んだ、十代くらいの女の人だ。
顔は目の下で見切れていて、よく見えない。
美容系のショート動画か……?
でも、一体これが何だって言うんだ?
話半分でその様子を眺める。
すると──
動画の女性はハサミで何人もの写真を切り刻む。
そしてそれを、自分の顔と思われる写真に貼り付けた。
慣れた手つきでいくつかの工程をこなす女性。
気付けば女性の顔は、
コラージュしたものとウリ二つになっていた。
二重の大きな目も、高い鼻筋も、シャープな輪郭も──
全て、別人のモノを寄せ集めてできた顔だ。
「ウソだろ」
俺はツバを飲み込み、瞬きをした。
すると──
「あれ?」
画面の女性は、元の顔に戻っていた。
見間違いか?
いや、
そもそも「元の顔」って何だ?
女性の顔は、カメラから見切れてたよな?
なのに俺は、どうして「元の顔だ」なんて思ったんだ?
ぞわり。
自分の脳に手を突っ込まれたような、気味の悪い感覚。
吐き気をこらえているうちに、動画は別のものに切り替わっていた。
「ちょっと、さっきのもう一度見せてくれないか?」
けれど、ウサギ女は首をふるふると横に動かした。
彼女は素早い操作で履歴を開く。
けれど、そこにさっきのショート動画は無い。
「【オマジナイ】はね、観てもらう人を選んでる。だから、今は観れない」
「何だよ、それ……」
明らかに、【不条理存在】だ。
【ゼッコーアプリ】が関係性の【改変】なら、これは肉体の【改変】か?
きっとこれが、学校に現れる【ダレカさん】の正体だ。
美良崎は不条理存在【テセウスのオマジナイ】に成り代わられた。
そして、消滅させられたんだ……!
「じゃ、そろそろ行くね。ここがウチの教室だから」
ウサギ女は元気無さげに断って、保健室に入っていく。
「ありがとうね! めちゃくちゃ助かった!」
俺は彼女の背中に、声をかけた。
よし……!
次は、どうにかして【テセウスのオマジナイ】を倒すんだ。
そのためには、【ゼッコーアプリ】の時みたいに、ルールを調べて──
考えながら歩いてると、渡り廊下を歩くまほろばを見かけた。
このこと、まほろにも教えとくか。
俺は意気揚々と彼女に近づく。
すると、そこに割り込むように一人の女の子が走ってきた。
「一体、何なんだよ……!」
俺はよろけながら、乱入者の方を見る。
「あ、みぃくんじゃん! この子、まほろの新しい友達なんだ!
屈託無い笑顔で、まほろは隣の乱入者を示した。
真っ白な制服を身にまとった、小柄な少女だ。
そして、
髪は朱色でボブカット。前髪は伸び切って片目を隠していた。
「お前、さっきの……!」
「え、わたし知らないです。何のことですか?」
キョトンとした顔で俺を見つめ返すウサギ女──改め才波。
けれど、
態度はさっきとまるで違う。
彼女は堂々とした態度で新型のスマホをイジっていた。
怯えた様子なんて無く、むしろ俺に対して少し挑戦的な視線すら感じる。
鼻の頭に絆創膏も無い。
剝がしたと言われればそれまでだ。
けど、まだ決定的な違和感がある。
コイツが走ってきた方向は保健室とは真逆なんだ。
俺とすれ違わずに回り込むなんてできるワケが無い。
どういうことだ?
「お前、数分前までジャージ着てたよな? 着替える暇なんて無かったハズだ」
「いえ、ずっと制服でしたよ?」
「そうだよ、みぃくん! さっきまでまほろと一緒にご飯食べてたもん!」
「はァ? いや、俺はさっきコイツと……」
いや、本当にさっき一緒にいたのはコイツなのか?
【テセウスのオマジナイ】とかいう動画を見せられてから、体調が悪い。
頭にモヤがかかったみたいだ。
どこからどこまでが現実なんだ?
一気に血の気が引く。
俺は冷や汗を拭い、すぐさま走り出した。
「ちょっと待ってろ!」
才波は数分前、保健室に入っていった。
さっき見たものが現実なら、まだ保健室の中にいるハズだ……!
俺は廊下を戻り、保健室のドアを開いた。
ベッドの並ぶ、真っ白な空間。
体重計や身長測定器など、いくつか物は置いてあるが雑然とした印象は無い。
静かで落ち着ける空間だ。
俺はカーテンを開け、ベッド一台ずつ確認する。
けれど、そこには誰もいない。
俺が見た才波粋は、保健室に存在しなかった。
「どこまでが真実なんだ……?」
俺は頭を抱えながら、胸のお守りを握りしめた。
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