第6話
義父が死んでからのボクは、前よりも毎日が楽しくて堪らなく感じていた。
稼ぎに出るのも全然苦痛には感じなかったし、それどころか少しでも多く稼せいでマーの笑顔を見たいと思った。
でもそんな日々もやっぱり長く続きはしなかった――。
アイツが死んでちょうどひと月が経った頃、ボクは一日の稼ぎを終えて家へと向かっていた。
「今日はいっぱいだったね」
シェリー姉さんはニコニコとしながら嬉しそうに顔を寄せてきた。
ボクは姉さんの肩に掴まり、ピョン、ピョンと石を避けながら、下を向いたまま「うん」と相槌を打った。
今日はいつものホテルに、団体客が到着したこともあって、たくさんの日本人客で溢れかえっていた。
しかもその団体客のほとんどがフィリピンは初めてだったらしく、皆がボクたちにすんなりと憐みを向けた。
お蔭で今日は仕事を早々に切り上げることができた。
仕事場のホテルを北へ一キロほどの道のりは、全く舗装もされていない。赤茶けた道には、結構な大きさの石が転がっている。
時折、トライシクル(バイクタクシー)に客を乗せたドライバーが、ボクたちのすぐ横をかなりのスピードで通り過ぎていった。その度に一瞬、前が見えなくなるほどの土煙が舞い上がった。
「今日は、稼ぎが良かったから、たぶんマーがコーラを買ってくれるよ」
ボクはタオルで口元と鼻を覆いながら、続けた。
「やっぱり、ペプシじゃなくて、コークがいいよね」
贅沢を言いながらシェリー姉さんに顔を向けると、にっこりとほほ笑み返してくれた。
「だと、いいね」
ボクはシェリー姉さんが大好きだ。
「あっ、だめ!」
咄嗟にシェリー姉さんの肩を強く掴んだ。
「え? どうしたのリュウ」
「ほら、あそこの木の陰に犬が……犬がいる」
十五メートルほど前でゴミかなにかを漁っている痩せこけた茶色の犬を指差した。シェリー姉さんはくすっと笑ってから、パンッと手を鳴らして、その犬を追い払ってくれた。
「ほら、もう大丈夫よ。いこ」
少し恥ずかしくなって俯いた。
「うん、ごめんね」
ボクはなぜか昔から犬が苦手で、小さな仔犬でさえどうしても好きにはなれなかった。
錆びたトタン屋根の家が建ち並ぶ通りに辿り着くと、やはりいつものように働かない大人の男たちが軒先でサンミゲル(ビール)を呷っていた。
みんな目だけはギョロギョロとさせて、ボクたちを見ていた。
「おい、リュウ! まだウチん中、入んねえほうがいいぞ。お前のママがもう新しいオトコを連れ込んでるんだからよ。ギャハハハ」
男たちの一人が、いやらしく嗤いながらそう叫んだ。つられて他の男たちも、口々に何か言葉を浴びせてきたが、ボクにはもう聞き取れなかった。
「リュウ、ウチに来てたらいいよ」
シェリー姉さんはそう言うと、ボクの頭をぎゅうっと抱き寄せて、耳を塞いでくれた。
ほんのりと優しい香りがして涙が出そうになるのを抑えてくれた。
――シェリー姉さん以外はみんな、みんな死ねば、いいのに……。
――マリア様……お願いします。
ボクはシェリー姉さんの家で、ペプシを貰った。
シェリー姉さんの家は、病気がちのマミーとまだ三歳にもならない弟と三人で暮らしている。ダディはマミーが病気になった途端に姿を消してしまった。
「リュウ、コークじゃなくてごめんね」
姉さんは、弟を膝に乗せながら、少し寂しそうな表情をした。
ボクは何度も首を横に振った。
やがて、表の通りから聞こえるトライシクルの通り過ぎる音と、男たちの馬鹿騒ぎする笑い声に混じって、薄い隣の壁から、マーのケダモノのような汚い声が聞こえてきた。
「ちょっと待ってね」
シェリー姉さんは弟を抱いたまま立ち上がると、部屋の隅に置いてあった古いラジカセのスイッチを入れ、ボリュームをいっぱいまであげた。
音割れのひどいスピーカーからはどこか物悲しさを感じる『ホテル・カリフォルニア』が響き渡り、ボクの聞きたくなかった音を掻き消した。
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