第1話その1 迷子と世界樹

錆びの目立ってきた自転車にまたがり、内海啓樹は校門を出た。

木漏れ日の坂道を下り、真夏の蒸し暑い風を受けながら街を走る。

坂道を下ると街の商店街に出た。安全のため自転車を降り、ゆっくりと商店街を通る。

ここには地元に根差した様々な食品や工芸品を売る店が軒を連ねており、地元住民で互いに支え合いながら商業を発展させてきた。

啓樹の前を野良猫が悠々と通り過ぎる。以前は見慣れなかったを口にくわえていた。

猫がやってきたであろう方向に目を向けると、大量の”見慣れないもの”を両腕に抱えて嬉しそうにこっちを見ている人物がいた。

「買いません?アンノーン。今なら安くしときますよ」

ニッコリ。じっとその人物を見つめるが、啓樹には”アンノーン”を買う理由がなかった。

さっと視線を外し、サヨナラの意味合いを込めて手を振りながら答えた。

「あいにく。俺んちには大量にあるんです」

「え?ほんと?!」

その人物が目を輝かせて啓樹にアンノーンのありかを問うた。

啓樹は、またその人物に視線を戻した。

「世界樹生えてるの、俺んちの庭ですよ」

商店街の屋根の上には、今も天を衝く世界樹が空を覆っている。


「ねえねえケイジュ、この子知ってる?」

家に帰ると緑髪の少女が手をちょいちょいとやって啓樹を呼び止めた。

彼女の名はミナナ。世界樹をこの街に召喚した張本人だ。世界樹召喚の際に思いきり世界樹の幹に押しのけられて1/4が崩壊した我が家の一室で暮らしている。

ミナナのそばにはおびえたようにミナナの服の袖をつかんで涙目になっている男の子。見た目は5~6歳程度で、まだ誰かに寄りかかっていないと自分を保てない年齢。

「いや、知らないな。...どうかしたの?」

啓樹はしゃがみこんでその男の子の目線に合わせ、問うた。

「ままがいなくなっちゃった...」

ああ、と察した。迷子。

啓樹は少し頭を掻いて、再びその男の子に質問した。なるべく柔和な表情を心掛けて。

「君の、お名前教えてくれるかな?」

「...ぬのおり、あお」

ぬのおり、あお。おそらく苗字のほうの漢字は布織。あおは候補がありすぎるから、いったん考えないようにした。

「世界樹の上から見てもらったんだけど、やっぱり屋外にはお母さんいないっぽいね...」

ミナナは力になれなかったことを申し訳なさそうにうつむいた。

「うーん、そうか...」

しばらく考え込む啓樹。ミナナがあおに話しかける。

「お母さんって、どんな人?」

「優しい...でも、僕のこと嫌い」

「え、そうなの...?」

啓樹はその会話を聞いて、うろうろと動かしていた足を止めた。

あおに近づき、先ほどよりも優しい声色で問いかけた。

「何か、あったの?」

「けんかしちゃった、僕、ままに嫌いって言っちゃって、それではぐれちゃって...」

あおの言葉を遮って啓樹はあおの頭をくしゃくしゃと撫でた。

「心配しなくていい、俺が絶対あおの母親見つけるから」

暗く沈んでいたあおの瞳は、朝日を受けた草木のように輝いたように見えた。それが涙によるものなのか、陽の光によるものなのかまでは、啓樹には見当がつかなかった。

啓樹はミナナを呼びつける。

「あおはおそらく母親を見つけるために走り回ってるから、おそらく疲れている。お前の魔法であおを運べるか?背中にしょっていくのは俺もミナナもきついだろ」

「もちろん、いけるよ。そんくらいの魔力は残ってる」

そういうとミナナはしばし目を閉じて祈りの所作のように手を組んだ。

するとミナナの立つ地面の周囲50cmほどが翠色に輝き出し、ミナナの髪の毛や服が重力に逆らうように、または世界樹の葉へと向かっていくようにわずかに逆立った。その瞬間あおの体は浮き上がり、しゃがまずとも啓樹と同じくらいの目線になるまでの高さまで浮上した。

「わあ...!」

あおがその瞳をさらに輝かせる。先ほどまでの暗い表情はすっかりどこかへと消えて、初めて身を持って体験する魔法に興奮しているようだった。

「お姉ちゃん、すごい!イセカイの人なの?」

「えへん、その通り。私は君たちが異世界と呼ぶ偉大なる大陸からやってきた奇跡の精霊...」

「はいはい、わかったから」

啓樹は、一筋縄ではいかなかった内海家の今までを思い返して遠い空を見上げた。青空と、それを遮るように世界樹の葉がどこまでも広がっているが、啓樹の見つめる先に青い輝きも緑色のさざめきもなかった。あるのはただ、暗い過去に冷たい空気の残る...

「ケイジュどしたの、かっこつけちゃって。...あ、中二病ってやつでしょ!思春期なんだから~はやくいくよ!」

ミナナの目には、急に空を見上げてたそがれるかっこつけた男が映っていたのだろう。ミナナは続けてあおに言った。明らかにっこちらを馬鹿にするような口調で。

「あおくん、あの人はね、かっこつけたい年ごろなんだよ。いずれ眼帯とか付けだすよ。」

「がんたい?」

「そう、眼帯。ケイジュが闇の力を覚醒させるときに封印が目覚めて世界は深淵に...!」

啓樹がミナナのほうを無表情にただただ見つめる。

「ミナナ、俺をおちょくるのは勝手だが、君が世界樹の召喚を失敗した挙句に怒られるのが嫌だからずっとこの街に隠れてること、君の世界の偉い人に言ってもいいんだぜ」

「...ケイジュさま、わたくしめにできることがあれば何なりとお申し付けください。世界樹の精霊たるわたくしがその願いに尽力しますゆえ」

「そっか、じゃあ世界樹をどけて、家を修理してくれ」

「ご、ごめんよぉ、もう馬鹿にしないから...あと家の修理はエヴァンズさんに依頼してるから...」

エヴァンズさん。世界樹の誤召喚によって開かれた異世界→日本の転移ゲートからやってきた異世界人で、魔法大工をやっている。商店街で店を構えているため、流れ込んできた異世界人、そして啓樹のような地元民両方の依頼を受け付けている、おおらかでガタイのいい人物だ。

「まあ、行こうぜ。多分向かう先に、答えに限りなく近い手掛かりがある」

啓樹は、痛いところを突かれておとなしくなったミナナをほっといて、浮き上がっているあおとともに歩き出した。

道を歩く。太陽は激しくアスファルトを照り付け、3人はその猛暑にくらみそうになってしまう...などということはなく、頭上1km付近で壮大に葉を広げている世界樹に遮られることで例年の夏よりもなんと平均5~6℃も気温が下がっているのだ。UVカットの機能もあるらしく、それによりこの街は世界樹の町から、少しずつ避暑地として知られるようにもなった。

木漏れ日の下でミナナは啓樹に問うた。

「ねえ、手掛かりって何なの?私まだ何にも分かってないんだけど...」

啓樹は隣で翠色の光をまとわせるミナナに説明を始めた。

「俺は布織という苗字に聞き覚えがあってな。というか、昔はよく行ってたんだ」

「行ってた?それって、どういう...」

啓樹はかつて幼かったころの記憶を思い出していた。

「布織クリーニング。俺が幼いころ、よく母親と一緒に行ってたクリーニング屋だよ。」

手をつないで歩く二人の影。夕暮れに照らされるその親子は、歩幅をそろえて共に歩む。何を話しているか、どういう表情をしているかまでは逆光でよくわからない。

いや、どういう表情をしていたかはわからずとも、今ならその母親の心情はわかる。


疲れてたんだろう、子供に、──いや、俺に。


手掛かりどころかほとんど答えのようなものにたどり着いたはずなのに顔が無表情のままな啓樹を見て、ミナナは首を傾げた。





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