第5話「恋はカレーで掴め(前編)」

放課後、教室。


ヒナと森本さんが、いつものようにおしゃべりしている。


「ねえヒナ、晩ごはん何が食べたい?」


「うーん……カレーかな。たまに無性に食べたくなるんだよね〜、あの、甘口でちょっととろっとした感じの……」


「わかる〜!ていうかヒナってほんと、カレー好きだよね」


(……カレー、か)


その会話を、俺は聞き逃さなかった。


すると──


「ふっふっふ……来たね、ついに運命の献立が」


机の下から、ぬっ……と顔を出すルル。


「やめろやめろ!怖えよ!」


「今日のために用意してたんだよっ!」


バンッ!


ルルが机の上に「恋が加速する!勝負カレー読本」と書かれたやたら派手な小冊子を置いた。


しかも、ヒナの席から絶妙にチラ見えする角度で。


「ちょっ、おま……!恋が加速するって……」


「自然に!自然に置くの!……ほら、ヒナちゃん見た!」


ヒナがちらっと視線を向け、不思議そうに目を細めた。


(見てた……見てたぞ……!)


「これ絶対、あの子カレーに釣られる流れだよー!帰りに捕まえて美味しいカレー作ってやるって言っちゃって!」


ルルの言葉に絶対の信頼はおけないが、そんなに好きな食べ物なら話題作りにはいいかもしれない……。そんな気がしていた。


──その日の帰り道。ヒナが一人で歩いている。


俺は、気づかれないように静かに距離を詰めていく。


(チャンスだ。言うなら今しかない。でも俺、こんな時……)


何度か口を開きかけ、けど声にならず──

ああ、また言えないのか……と思った瞬間。


後ろからルルが無言で俺の背中を押した。


「うわっ!」


バランスを崩しかけ、危うくヒナに体当たりしそうになる。


「えっ、大丈夫?」


「えっと、あの、ヒナさん?」


「うん?」


「……カレー、好きなんだって?」


「えっ、あ……うん。なんで知って──」


「俺さ……カレーだけは、ちょっと得意で。よかったら今度、作って、持ってこようかなって……」


一瞬、ヒナの目が見開いた。


「ええっ!?……ホントに!? 嬉しい!ありがとうね、めっちゃ楽しみ!」


俺のためか、カレーのためか……

わからないけど、ヒナはとびきりキラキラした笑顔を見せてくれた。


その瞬間──


「ヒナ→カナメ、95.1 → 105.6 にアップ!!もう友達レベルだよ!」


ルルがどこからともなく現れて、パチンと手を叩く。

サングラスがきらんと光った。


「よーし、カレールート突入だね☆」


家に帰ってからも、ヒナの笑顔が頭から離れず、俺はボーっとしていた。その日の我が家の食卓も母親が作ったカレーだったが、あまり味がわからないほどだった。


「こらっ、カナメくん!いつまでボーっとしてんの?せっかくだから、お母さんのカレーのいいとこ盗まなきゃ!」


ルルが俺の肩を軽く叩いた。


「あぁ、そうだな」

俺は頷いて、母親に聞いた。


「母さん。今日のカレーのこだわりは?」


母親はちょっと驚いたように目を丸くしてから、ふふっと笑った。


「珍しいわね、そんなこと聞いてくるなんて。えっとね、今日は……隠し味にリンゴジャムを入れてるのよ。コクと自然な甘みが出るの」


「……へぇ、リンゴジャムか。メモしとこ」


すると、ルルが後ろでそっとメモを取っていた。しかも手帳のタイトルは「恋愛強化スパイス帳」。


「勝負にも甘さとスパイスのマリアージュが必要なのよ。……カレーも、恋も、最後はマリアージュが大事よね☆」


「お前、マリアージュ言いたいだけだろそれ……良くいるんだよそういう奴」


「ええーっ!?ちょっと何それ、ルルちゃんは真剣なのにぃ!」


「はいはい、マリアージュだよな、マリアージュ……」


「だって語感いいじゃん!マリアージュ!他にもオマージュ、コラージュ、モンタージュ……」


「やっぱり、ジュージュー言いたいだけじゃん!マリアージュの、ゲシュタルト崩壊が酷い!」


「カナメどうしたの?」

母親に聞こえたらしく気まずかった。


「独り言」


「まぁ……」

母親は、どこか心配と軽蔑が入り混じった表情でそう言うと、空いてる皿を片付け始めた。


死ぬほど気まずい。でも、ちょっとだけ思った。

ヒナが“甘口でちょっととろっとした”って言ってたの、もしかしたらこういうカレーのことかもな、って。


———


食後。部屋に戻った俺は、机の上にノートとペンを用意していた。


「……さて、始めるか。カレー会議」


「うむ、よくぞ言ったカナメくん。これはもう、“恋の出汁取り”みたいなもんだからね!」


「出汁?……カレーだぞ?お前よく分かってないだろ」


ルルは得意げに、あの「恋愛強化スパイス帳」をバンと広げた。


「今回のミッションは、“ヒナの記憶に残るカレー”を作ること!だからまず──」


ルルが指を立てる。


「【1】味は“甘口でとろっとした”が絶対条件」


「甘口ルーに母さんのリンゴジャム方式のビーフカレーが正解っぽいな」


「【2】見た目も大事!ヒナちゃんって、おしゃれなもの好きそうだったよね?」


「じゃあ、ちょっとだけ彩り意識して……ゆで卵乗せたりとか黄色いご飯とかにしてみるか?」


「サフランライスね!?いいじゃん!彩りはときめきの入口だし!まず視覚で“キュン”。次に香りで“グッ”。一口で“ズキュン”!──恋って、五感で落とすものだからね!」


「そして、【3】渡すタイミングは“さりげなく”!」


「……弁当箱とかで?」


「そうそう!でも冷めてるとダメ。レンチンして食べてもらわないと……あっ!学校の給湯室の電子レンジ、あれ使える?」


「生徒はダメだったような……」


「じゃあ、私が使うよ!見えないから平気でしょ?」


「カレーが飛んでるって話題にならないといいがな……」


「カレーも恋も、お化け屋敷も仕込みが命なの☆」


「わかったよ、お化けちゃん」


「ルルちゃんって呼んでよ!!」


──でも、本気で誰かのために料理を考えるって、悪くなかった。


「……よし、週末。カレー、作ってみるか」


「やったー!!ルルちゃん、買い出しメモ作ってくるっ!早く食べたい!」


「ヒナのためだぞ!」


「えー?ちょっとくらいいいじゃん、ケチ〜」


ルルはぴょんと飛び跳ねて、サングラスがずり落ちた。


俺はそっとそれを戻してやった。


(ヒナが美味しいって言ってくれるといいな)


その夜は、布団に入っても、カレーのこととヒナの笑顔ばかりが頭をぐるぐるしていた。

でも、床の方から、ルルの寝言が聞こえた。


「…んん〜、ボンボヤージュ……」


……どこに旅立ってるんだよ。

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