真夏の仮面舞踏会

ムスカリウサギ

第一幕 仮面に取り憑かれる夏

八月一日 ナオとリョータとコデックス

(一)


「……え……、なに、これ……?」


 夏休み。

 家でいつまでもゴロゴロしてたいという気持ちをおして登校し、部室の扉を開けたあたしの目に飛び込んできたのは、世にも奇妙な一冊の本だった。


 “世にも奇妙な“なんて、自分でも、大層な枕詞まくらことばだと思う。


 けれど、そう言いたくなるくらいには、そいつは見るからに奇抜でヘンテコで妙ちくりんな逸品で。

 あたしの視線は、完全にそれに囚われていた。


「おう、七搦ななからげ。おはよう」


 だからそんなおおよそ独り言のつもりだったつぶやきに答えが返ってきて。

 あたしこと、七搦ななからげナオは、ちょっとばかしビックリして顔を上げた。


「パイセン、居たんすか」

「居たよ、お前が来る前から」


 そこに居たのは、あたしが所属する演劇部の先輩にして部長である、一寸木ますぎリョータさんだった。


「んで、それな。転校生が書いた台本なんだよ。昨日、先生ヤチセンが預かったらしい」

「あっ! これ、あの時の……っ! ……っすか……」


 転校生が書いた台本、という言葉に、ぴくりと反応しつつも。

 ちょっぴり強めの引力を感じてしまって、あたしはそっと手を伸ばした。


 テーブルの上にポイと置かれていたそれは、見るからに手作り感に溢れていた。

 背表紙がなくて、赤い糸でリングノートみたいな綴じ方の本。


 見開きしやすそうだな、ってのが、第三印象。

 台本っぽくなくない? ってのが第二印象だ。


「……いや、なんかの“呪いの書“の間違いじゃないんすか?」


 んで、第一印象がこれだ。

 見れば見るほど、あたしの小首は角度を増していっていた。


「……やめろよ、本人がそのドアのすぐ裏とかに居たら、どうすんだよ」


 先輩の声のトーンがちょっとだけ落ちたのを受けて、あたしははたと閉じた口にぴとっと人差し指を当てた。

 思わず後ろを、部室のドアを振り返るけど……勿論、そこには誰も居ない。


「……勘弁っすよ」

「悪ぃ悪ぃ」


 じろりとリョータ先輩を睨みつつ、もう一回、その台本をじっくりと見つめる。


 まず表紙。

 表紙らしくやや厚手の紙ではあるんだけど、その色がなんと紫だった。それも割と濃ゆい色。


 こんな色の紙を台本の表紙にしようという発想そのものがなかなかファンキーだなぁと思うのだけれど、それに加えて更に拍車をかけたのが、そこに記されていたタイトルだ。


「……えぇと、まず、何語っすかね、これ……?」


 そう続けてしまったのも、むべなるかな。


 明らかに、見慣れたアルファベットじゃない。

 “っぽい“んだけど、ちょっと違うというか。

 丸っこくて綺麗な線で書かれていて、あちこちに謎の『・』がついてたり違う線が伸びてたりして。なんというか、『み』と思ったら『ゐ』だったとか、『C』が『℃』になってるみたいな、そんな違和感がある文字。


 ちょうどギャル文字みたいな。

 あーうん、そうそう。

 レイめャル文字ルファベット。

 略してKGA。

 そんな文字。


 ついでにそれも、印刷ではなく、何かで手書きされていた。カラーマーカーみたいな感じのペンだと思う。

 しかも金色で。


 やけに装飾的な文字なのも相まって、古い時代のアンティークな本のようにも見えなくもなかった。


「何語でもないらしいぜ。七搦ななからげ、お前、『コデックス・セラフィニアヌス』って知ってる?」

「ミリしらっす」


 まるで聞き慣れない単語に、一ミリも知らないと即答する。


「……それなー。俺も全然知らんのだけど。なんか半世紀くらい昔に、イタリアの建築家? だかが書いた本なんだとさ。んで、それに使われてた文字を真似て書いたらしいぜ」


 あたしがそう答えることは、リョータさんもその反応は予想通りだったのだろう。

 彼はポリポリと頬を掻きながら言葉を続けた。


「ん? えと、つまりイタリア語って事すか?」

「いんや、聞いたら、その本を書いた作者の創作文字だとかなんとか」


 ニヤリ、と笑う部長。

 ……なんとなく、オチは読めてきたのだけど、それでもあたしは問うた。


「……つまり?」

「その文字列そのものに意味は無いらしい」

「……予想通りっすけど、ツッコんどくっす。……無いんかーい」


 そりゃ読めないはずっすわ、なんて呟きながら、とりあえず、ぺらと表紙をめくってみた。


「……中身は普通に台本なんすね」

「そりゃ台本として書かれてんだからな」


 セリフとかは普通に日本語で書かれていて、安心したような、拍子抜けしたような。


「あ、でもこれ、見開きしやすくて、めっちゃ読みやすいっす」


 背表紙がないその台本は、ぱらりとめくったページを完全に見開くことが出来て。

 なんならページごと背中合わせにできそうで、割と普通に便利そうだった。


「それな。そもそもこういう綴じ方をコデックスって言うらしいんだけどさ。変に本に折り目もつかないし、手に持って読みながら稽古するのにも良いよなー」

「意外な発見っすね」


 なんて話をしながら、パラパラとページをめくってみる。


「……ミステリー……? いや、どっちかってと、サスペンスホラーっすかね、これ?」


 そこで流し読みした範囲ではあるけれど。

 ちらほらとみえたのは、「お前をずっと見ていた」とか「ぎゃあああ」なんていう悲鳴めいたセリフ。

 他にも、震えるような声で、とか注釈がついてる行なんかもあって、それはすぐに察せられた。


「おう。夏にピッタリだろ?」

「まぁ、定番っすねー――」


 ホラーなら、呪いの書って表現、あながち間違いじゃなかったやん、とか思いつつ。


 パタンと。最後のページを閉じた。


 瞬間。


「――う、わっ……!!」

 

 閉じ終わって目に入った最後のページ……裏表紙に、あたしは我ながら変な声を上げてしまった。


 触れちゃいけない物に触れてしまった時のように。

 慌てて台本から手を離して、身体ごとその場所から距離を取った。


「はは、ビビるよなー、それ!」

「知ってたんなら、先に教えて欲しかったっす!」


 ぞわりと心が震えてた。

 それを必死に押し殺して、あたしはことさらに大きな声で不満を口にする。



 ――そこには、べしゃり、と、ぶちまけられたような、赤い絵の具の模様が走っていたんだ。


 まるで……血にまみれた手のひらでこすった跡のように――



「なんなんすか、これ……。いくらホラー系の話だからって、たかが台本にこんな演出いらんでしょうよ!」


 ついでにその部分だけ質感がヤケにリアルで。

 妙にぬる……っとした感覚が、まだ指に染み付いていた。

 

「脚本家のこだわりってやつなんじゃね? 知らんけど」

「適当か! やっぱり呪いの書っすよ、こんなもん!!」


 どっどっ、と、心臓が激しく動悸している。

 勿論、恋なんかではない胸の高鳴りにビビりながら、ゲラゲラ笑っている先輩にツッコミを入れた。


 まだ手に残る感触に、手のひら、指のはらを見てみるのだけど、当然、そこにはなにもない。あるのはあたしの指紋だけだ。


 ホント、どうやったらあんな質感作れるんだ?

 イタズラにも程があるぞ!


 ついでに鼻の奥に鉄錆のような臭いまで届いた気がして、すごく嫌な気分になった。勿論、臭いまでは気のせいだとは思うのだけど。


「……まーでも、なんかわかるっす……。なんかこういうの、やりそうっすもん、転校生あいつ……」

「それな」


 同意してもらえたのは嬉しいっすけど、一々「それな」って言うたび、その変なポーズ取るの、やめて欲しいっす、部長。

 まぁ、それは良いんすけども。


「…………で、これ、採用なんすか?」


 なんとなく、近づき難いその台本を遠巻きに見つめながらあたしは尋ねた。

 

「おう。俺ら三年生と、ヤチセン……八千古嶋やちこじま先生も加えて、全員一致で即採用。あの二塚につかも一発でOK出したんだぜ」

「……うわー。マジで副部長、黙らせたんすか、……」

「期待の新人、現る! ってやつだな」


 フミカ副部長……。

 演劇部ウチの台本は、全部私が作るんだーって、公言してたのに。

 なんの風の吹き回しか……なんて。


 ……たぶん、


 苦笑にも似た歪みを顔に浮かべる部長を視界の隅に収めつつも。

 あたしはこの台本を書いたという、転校生のことを思い返していた。



 あれは半月ほど前、夏休みに入る直前のこと。

 七月も半ばを迎えようとしていた頃に、彼女はこの学園にやってきた。


九重谷ここのえだにマユで〜す♡ よろよろ〜!』


 派手派手しく、騒々しく。

 クラスのみんなの前で、そんな自己紹介をかましていた、転校生のことを。

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