七月十二日 マユとモルぴと、ナナナにお願い

(二)


九重谷ここのえだにマユで〜す♡ よろよろ〜!」


 その転校生がぶちかました、媚び媚びなキャラを作った自己紹介に、あたし、七搦ななからげナオだけじゃなく、クラス全体が騒然となった。


「趣味は〜、お顔盛ることっ♡ それと、妄・想っ♡ みたいな?♪ 妄想を形にするみたいに、ナチュラルに詐欺るのがコツな♡」


 その“盛られた“ピンクの頬っぺたに人差し指をちょんと当てつつ、転校生はあざとく笑っていて。


 男に媚びてるようで女に媚びてるようで。

 実際のとこ、どっちにも喧嘩を売ってるようなその“盛り“っぷりに、あたしは割と本気で唖然としてしまっていた。


「……あれ、作ってんだよな……キャラ……?」

「え? 可愛くね?」

「あざとすぎやろ。単純過ぎ〜」


 周りから聞こえてくる声は、賛否両論。


「……なにあれ?」


 そんであたしのすぐ後ろからぼそりと聴こえてきたのは、そんな否定の声だったわけで。


「なんか、変な子が来たっすねー」


 あたしは後ろを振り返りながら、同じくらいのぼそぼそとした声で後ろの席……シモウラさんに言葉を返した。


「変、で片付けられるナオち、マジ神」

「そ、そこまで言うっすか……っ」


 妙に冷たい乾いた声に、慌てた素振りであたしも返したけれど。

 ……まぁ、そうっすよね、と正直な感想。


 あたしは、やっちゃってるなぁ、というくらいだったけど。

 でもそれだけじゃ済まない子もいるよね、そりゃ……って感じ。


 だからそういうくらいには、そういう顔をするくらいには。

 よっぽどシモウラさん的には、“ナシ“、だったんだろう。


 なんとなく返す言葉を失って。

 その、すっごく不快そうな憮然とした顔に愛想笑いだけを残して、あたしはまた前を振り返った。


 そしたら、そのやたらギャルギャルしいと言うかメスガキっぽいと言うべきか。

 そんな彼女と、目が合った。


 たぶん、たまたまに。

 なのに。


「アタシ、興味持ったら“とことん“……だから♡ ……よろしくねぇ?♡」


 どこかふざけたような、媚びとガチと茶目っ気がぜになった陽気な笑顔に吸い込まれるように、囚われるように、あたしはその笑顔から目を逸らせなくなって。


 そうやって、じっと見つめるあたしの視線の先で。

 彼女の唇が、動いた気がして。


 ――その瞬間。

 あたしの呼吸は、停止した。



 やがて、ぱらぱらとまばらな拍手が巻き起こり。

 彼女があざとく片目をつぶるウインクすると、まるでなんでも無かったように、あたしの体は活動を再開したのだけれど。



 ――つんつん。


 多分何秒か意識を失ってたあたしの背中が感じ取ったのは、そんなつつかれたような感触。


 はっと意識を取り戻して、あたしがこわごわと後ろを振り返ると、そこには、ひょろんと伸ばされた人差し指と、どこか他人事な冷たい笑い。


「……なんか今あいつ、ナオちの事見てなかった?」

「……まさかぁ」


 適当に答えて、もう一度前を向く。

 そこには彼女の姿はもう無くて。

 きょろ、とその姿を追うように視線をさまよわせると、あたしとは少し離れた席に座ろうとしているところが確認できた。


(……なんだったんだ、あれ……?)


 どこかほっとしながら、そっくりと表情が抜け落ちたように、あたしは乾いた無表情で考える。


 さっき彼女の唇が形作ったのは。

 

 ――見ぃつけた――


 そんな言葉だった、気が、したんだ。



 ――――。



 そんな衝撃的な朝のホームルームの時間があっという間に過ぎ去ってすぐの事。


七搦ななからげさぁん♪」


 九重谷ここのえだにさんが、視界の端からこっちに近づいてきてるのが見えた時、一瞬、かひゅっ……って変な声を出してしまった。


 い、いや、気のせい、たまたまこっちになんか用事があるんすよ、なんて言い聞かせてみたんだけど、明らか彼女の視線の先はあたしだってわかって。

 逃げようかどうしようかと悩んでいる内に声をかけられた時には、すでに口の中がカラッカラだった。


「な、なんすか、こ、九重谷ここのえだにさん……?」

「やぁ〜ん、なんで震えてんのよ♡ メッチャ可愛いんですけどぉ♡」

「ヒェッ……」


 冷静に考えたら、あたし、なんでこんなに怯えてるんだろう、とか思うんだけど。

 陰の者は陽の者に逆らえない、みたいな世界の摂理が働いてるんだと思う、きっと。


「でさぁ、♡」

「な、なからん??」

「うん♡ ななからげ、だから、なからんっ♡♡」


 え、あ、苗字を略したんっすね……。


「さっきアタシとぉ、……目が、合ったよねぇ?♡ 気付いてたぁ?☆」


 ……なんて油断したらいけないって、さっき思ったばかりなのに。あたしは一瞬気を抜いてしまって。


「……そ、そうだったっすか、ね……?」

「うんっ☆ アタシ、目には自信ある♡」


 そう言って、ずずいと顔を近づけてきたから、思わずあたしの体は、びくっと震えてしまう。


「……パッチリお目目♡ すげぇっしょ♪ アタシの本気ガチ、ここに詰まってんだからぁ♡ この目が見逃すはずない♡♡」


 ……やばいって、身体が先に察知したんだと思う。

 陰キャには、わかるんだ。

 このままだと、良いように言いくるめられる……! って。


「……だからさ☆ アタシと、おトモダチになろ? 的な♡ お願いに来た次第♡」


 お、お願いって言葉の意味、きちんと調べた方が良いと思うっすよ!


 だからそれにあらがおうとしたあたしの心の声は、けれど残念ながら文字通り、あたしの心の中にしか響き渡らなくって。

 リアルな口は、パクパクと鯉みたいに開いたり閉まったりするだけだった。


「え〜、なに、も〜、そのパクパク♡ なからん可愛かわよっ♡ あ、やっぱなからんヤメっ☆ 、可愛いすぎっ♡」


 ついにナナカラゲ ナオフルネーム、全部略されたらしい。


「いや、あの……ッ! 九重谷ここのえだにさん……!」

「やぁん♡ そんな他人行儀な呼び方じゃ、なくってさぁ……☆ マ・ユ……って、呼・ん・で♡」


 たたた、他人っす!

 あたしとあなたは、今会ったばっかりの、赤の他人っすよ!!


 ……なんて。

 そんな声が出せたら、まぁ、苦労なんてしないんすわ……。


「いや、だから……ま、マユさん……?」

「違ぁうぅ! さん付けとか要らないの! ほらほら、ってみ? マ・ユ♡」

「ま、マユ……」

「そうそう♡ でももっと言って♡」

「マユ!」

「……ん♡ もう、満点出ましたぁ♡♡」


 そこには清々しいほど満面の笑みと、ぱちぱちと激しい拍手の音が、振りまかれていたのだけれど。

 ……あたしは、と言えば。マジでどうしようも無くなってて、たぶんすごい顔してたんだと思う。


 どどど、どうしよう? あたし、どうしたら……っ?!


 そう思って、わざとらしく思いっ切り、がばっと顔を上げて周りを見渡した。


 ……一瞬で、みんな、あたしから目を逸らしやがった。


 今の今まで、みんな穴が開きそうなほどこっち見てたじゃん!

 わかってんだぞ、こんちくしょう! 


「……あはっ♡ ……正直、お近付きのシルシ、とかって思ってたんだけどぉ……☆ ナナナ、手ぇ出して♡」

「う、え……?」


 思考が追いつかなくなってて、つい反射的に言われたとおりに差し出したあたしの手のひらに。


「あげゆ♡ さっきのナナナ、すっごく良く出来てたからぁ、そのご褒美♡ 的な?」


 ポンッと乗せられたそれが、最初はなんなのかわからず、ぽかんとなった。


「え、……ぇ……? き、綺麗な、石……?」


 そんなあたしの反応に、ぷぷっと笑う九重谷ここのえだにさん。


「やだも〜、ウケる♡ ナナナ、さいこ〜♪ 綺麗っしょ〜。モルガナイトってゆーのよ、こ・れ♡」

「も、もるがないと……?」

「はぁっ?! モルガナイトって、ガチの宝石ジュエリーじゃん!!」


 訳がわからずにあたふたしていると、後ろの席から叫び声。

 ……シモウラさん、さっきは思いっ切り目を背けてた癖に、きちんと話聞いてんすね……。


「可愛いよね〜この色、アタシみたいでっ♡」


 すごくあっけらかんとした声で、ケラケラと笑っていた。


 のに。

 急に。


「……ナナナにあげた、んだからぁ……」


 ……次の瞬間、恐ろしいほど冷えきった声に変わって。

 

「ナナナ、“モルぴ“のこと、アタシと思って、大切にしてねっ♡」


 語尾は明るいのに。

 語尾が明るいから。


 ぞ……っ、と。

 クラス中から、空間から。

 熱ががくんと奪われたみたいに下がった気がした。


 ちらり、周りに視線を向けると。

 ……誰も、こっちを、見ていなかった。

 

「はい、ぎゅ〜〜♡」

「ぎゅ、ぎゅ〜〜?」


 薄桃色のその宝石を握らされ。

 更にそのあたしの手を、九重谷ここのえだにさんが両手で握りしめる。


「ん♡ これでアタシとナナナは、トモダチだかんねっ♡」

「え……。……え?!」


 驚いては見たけど。

 ……たぶん、最初にあの瞳に囚われた時から、あたしに逃げ場なんてなかったんだと思う。


「えへへぇ♡ そんじゃ、よろよろね〜♡」


 そう言い残して、嵐は去っていく。

 後に、きらり、瞳の輝きと。

 あたしの手の中で光る薄桃色モルガナイトを残して。


 ……いや、なんだよ、モルぴって!?

 陽キャの言語センス、わかんねぇっすよ!


 いくら考えても、答えは出なくて。

 その答えを探そうとしてさまよってた視線は、ふと、半開きの手のひらの上で止まる。


(……いやマジ、これ、どうしたらいいんすか……)


 そこに残された、淡く、可憐に、ゆらゆらと揺らめく薄桃色。


 別に小さな欠片なのに。

 それは妙にずしりと重くって。


 ――見ぃつけた――


 聞こえてくるのは、実際には聞こえてないのに、彼女の声で再生されるあの言葉。

 

 ……えぇい、もう!

 しっかりしろ、七搦ななからげナオ!

 

 成るように成る!

 なんとかして彼女……九重谷ここのえだにマユと関係を作っていけ、なんて。


 はぁ……っ、と深く息を吐き出して。

 ぐぅ……っ、とこぶしを握りしめて。


 自分に言い聞かせて、あたしは自分のほっぺたをぱしんと叩くのだった。

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