第一部 さいはての田中一郎

第1話 憧れのあの子と趣味が同じだと判明したぞ!

 火星の赤道に近いメリディアニ平原には、日本列島をルーツに持つ人々がいくつかのコロニーを作っていた。

 ホシゾラ町もその一つだ。

 町の外は地平線の向こうまで赤茶けた荒野が広がっている。

 この世界は、ほぼすべてが荒れ地であった。

 時折風に吹かれてタンブルウィードが転がっているが、動くものはまばらである。

 田中一郎たなかいちろうは、この町で生まれたごく普通の少年だった。

 平均的な身長と体重。

 顔も服装も地味で非行歴もなく、成績は中の中。

 例えるなら、パーティー会場から居なくなったとしても誰も気づかない。

 そんな空気のような男であった。

 

「う~ん、お花畑がきれいだなあ」

 

 学校近くの丘に花が咲いているのが見えた。

 火星は自転軸が二五度傾斜しているため、地球同様に四季が存在する。

 今は偶然にも、地球に合わせた三六五日の生活暦と同様、春だった。

 田中の心は弾んでいた。

 高校二年の一学期、最初の席替えで目も眩むような美少女と隣の席になれたのだ。

 飛野真理子ひのまりこである。

 それに席は窓側の一番後ろで、特等席といえた。


「おはよう、田中くん」


「お、おはよう飛野さん」


 ぱっちりとした黒真珠のような瞳に、通った鼻筋、形のよい柔らかそうな唇。

 シルクのようなつやつやの髪は腰まで伸ばされていた。

 スタイルも抜群で胸もかなり大きく、田中の好みど真ん中である。

 飛野はもちろんモテるが、不思議と男の影は見当たらない。

 ほとんど毎日のように誰かから告白されているのに、全部断っているようであった。

 田中は授業のことなどそっちのけで、飛野と仲良くなるきっかけを作る方法だけを考えていた。

 そんな時、ふと窓の外に宇宙船スカイラークが飛んでいるのを見つけた。

 銀色の機体が飛行機雲を引いて、回転ノコギリにも似た独特の作動音を響かせている。

 田中は宇宙船が好きだった。

 いつか自分の宇宙船を買って、自由気ままに星の海を駆け回るのが夢だったのだ。

 

「いいなあ……」

 

 だが、宇宙船はとてつもなく高価である。

 夢は夢でも、事実上妄想に近いもので、実現の可能性は著しく低いことはわかっていた。

 宇宙船が飛び去ると、田中は再び隣に目を向けた。

 飛野を眺められるだけでも気分が紛れたのだ。

 

「――おい田中! 聞いてるのか! 続きを読め!」

 

「えっ、ああすいません」

 

 教師に当てられ、田中は教科書を持って立ち上がる。

 しかし、どこから読めばいいのかわからない。

 トン、トン、と飛野が教科書を指さした。

 今やっているのはレイ・ブラッドベリの小説、『万華鏡』だった。

 

「――すべてが終わった今、最後に何か一つ良いことをしたいと願った。自分だけが知っている良いことを。大気圏に突入したら、おれは流星のように燃え尽きるだろう。「ひょっとして」彼は言った。「誰かがおれを見てくれはしないだろうか」と――」

 

「はい、そこまで。続きを――」

  

 田中は椅子に座ると、小声で飛野にお礼を言った。

 

「ありがとう、助かったよ」

 

「どういたしまして」

 

 花のような笑顔に、恋が始まった。


 *

 

 その日の昼休み、飛野は女子グループと一緒にお弁当を食べていた。

 田中はとてもではないが混ざることができない。

 会話に耳を澄ますだけで精一杯だった。

 

「ねえ知ってる? 二組に、すっごく格好いい転校生が来たんだって!」

 

「へえ、そうなの?」

 

「地球人だって。二組の女子なんて、さっそくファンクラブ作ったらしいよ! 真理子、あとで見に行かない?」

 

「わたしは……あんまり興味ないかな」

 

 予鈴が鳴って午後の授業を待つ間、飛野が本を読んでいるのに田中は気付いた。

 ハードカバーの分厚い本だが、文学的な雰囲気はしない。

 ふとした拍子に表紙が見えた。タイトルは『宇宙航行用サイクロトロンの出力制御』とある。

 大学の工学部レベルの専門書であった。

 飛野は田中の視線に気付いたらしく、顔を上げた。

 

「田中くん。宇宙船、好きなの?」

 

「えっ、ああ。もちろん」


 その瞬間、飛野は興奮した様子で前のめりになった。


「本当? わたしも大好き! コメットⅡなんて芸術品よね!」

 

「ぼくはコメットⅢも好きだなあ。オリジナルに近いデザインだから。SLⅢも好き」

 

「わたしもよ!」

 

 田中は飛野の笑顔に見とれていた。

 今までに見せたこともない、じつに楽しそうな顔だった。

 短い間だったが、田中は飛野と宇宙船の話題で盛り上がることができた。

 

「ね、放課後ちょっと付き合わない?」

 

 もちろん、深い意味はない。

 しかし、田中は全身が心臓になったかのような気分でありながら、つとめて平静に返事をした。

 

「うん、いいよ。どこかへ行くのかい?」

 

 飛野はばつが悪そうに自分の髪を撫でた。

 

「えっと……その、はっきり言ってしまえば部活の勧誘なの。航空宇宙同好会」

 

「へえ? そんな同好会があったんだ。知らなかった」


「マイナーだものね。わたしもあまり大っぴらには人に言ってないし」


「もし知ってたら、すぐにでも入っていたよ」


 そんなやり取りを経て、田中は放課後に部室に向かうことになった。



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