第41話# 浮気したら東京湾(ドザエモン版)



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### 浮気したら東京湾(ドザエモン版)


結婚して三年。

愛してるよ、なんて言葉はとっくに埃をかぶって、俺たちの間には「日常」という名の凪いだ海が広がっているだけだった。妻は良い奴だ。飯はうまいし、家は綺麗だし、俺の安月給に文句一つ言わない。


ただ、それだけだった。


会社の部署に新しく入ってきた派遣の娘は、まるで嵐だった。

屈託なく笑い、さりげなくボディタッチをしてきて、キラキラした目で俺の話を聞く。乾ききった俺の心に、その笑顔は雨のように染み込んだ。

一線を越えるのに、時間はかからなかった。


安物のビジネスホテル。軋むベッド。コンビニの安いワイン。

それでも、その時間は燃えるように熱かった。妻との間ではとうに失われた、男と女の時間がそこにはあった。


「奥さん、怖い人?」

シーツにくるまりながら、彼女が訊ねた。

俺はタバコの煙を吐き出しながら、笑って答えた。

「まさか。ウチのは、怒るってことを知らないんじゃないかな。仏様みたいな人だよ」


そう、仏様だ。俺が何をしても、ただ静かに微笑んでいる。そう、思っていた。


その日の夜。

家に帰ると、テーブルにはやけに豪華な食事が並んでいた。俺の好きな刺身の盛り合わせもある。結婚記念日でもないのに、どうしたんだ。


「あなた、お疲れ様」

妻が、いつもと同じように微笑んでビールを注いでくれる。その笑顔が、なぜか少しだけ、ひきつっているように見えた。勧められるままに、新鮮な鯛の刺身を口に運ぶ。美味い。脂が乗っていて、舌の上でとろけるようだ。


食事が終わる頃、妻がぽつりと言った。

「ねえ、あなた。ドライブ、行かない?」


妻の運転で、車はレインボーブリッジを渡っていた。車は橋の途中にあるパーキングエリアに滑り込む。平日の深夜、駐車場はがらんとしていた。


「少し、夜風にあたらない?」

妻に誘われ、二人で展望デッキに出る。潮の香りがする夜風が、火照った顔に心地よかった。眼下には、黒く広がる東京湾が横たわっている。


「ねえ、あなた」

妻が、俺の背中に手を回してきた。甘えるような、懐かしい仕草だ。

俺も、少しだけ罪悪感が和らぐのを感じながら、妻の肩を抱いた。


「……仏様もね」

耳元で、妻が囁いた。その声は、今まで聞いたことがないほど、冷たくて、静かだった。


「怒るんだよ」


ドンッ。


背中に、今まで感じたことのない強い衝撃。

体が、宙に浮いた。

視界がぐるりと反転し、遠ざかっていく妻の顔が見えた。その顔は、いつもと同じように微笑んでいた。


水面に叩きつけられる衝撃と、肺に流れ込む水の冷たさ。

それが、俺の最後の記憶だった。



…なんだ、この揺れは。

まるで、ゆりかごに揺られているようだ。心地よい、とさえ思える。


目を開ける、という感覚はない。

ただ、俺はそこにいて、見ていた。


目の前には、白み始めた空と、海鳥が旋回する灰色の海。

そして、その波間にぷかぷかと浮かぶ、何か。


見覚えのあるスーツ。腹の出た、締まりのない体。水を含んでパンパンに膨れ上がり、まるで別人になった俺の、成れの果て。

ああ、俺か。


「仏様」を舐めてかかった男の、見事なドザエモン姿だ。


遠くから、海上保安庁のものだろうか、船のエンジン音が近づいてくる。

やがて、その船の上から誰かが俺を指さし、叫んでいるのが分かった。


そうだよな、驚くよな。

こんな湾の真ん中に、立派な男が一人、ぷかぷか浮いてるんだから。

まるで、何かの罰みたいじゃねえか。


なあ、そうだろ?

俺の笑える話の、最高のオチだよな?


誰に言うでもなく、俺はそう思った。

波に揺られる自分の死体を眺めながら、声もなく、ただ笑った。


ざまあねえや(笑)

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