第16話


放課後。

校舎裏の静かな通路を、俺と遥は並んで歩いていた。


とくに約束をしていたわけじゃない。

たまたま廊下で顔を合わせて、自然な流れでここまで来ただけ。


「……最近、すずなちゃんと一緒にいる時間、増えたね」


ふいにそう言われて、俺は歩く足をほんの少しだけ緩めた。


「ああ。ちょっと、色々あって」


簡単に流そうとしたけど、言った瞬間、自分でも曖昧すぎたなと思った。

けど、それ以上、どう言えばいいのか分からない。


心の中は、妹のことでいっぱいだった。


あの夜の涙。

震える肩。

赤く腫れた腕──


まだ、忘れられない。

いや、忘れたくない。


「……そっか」


遥の声が小さくなる。

でも、それすらも俺の耳には遠くに感じた。


「ねえ、優翔」


「ん?」


「……私のこと、ちゃんと見てる?」


「……え?」


聞き返したけど、意味が分からないわけじゃなかった。

ただ、ちゃんと答えられないだけだった。


「……ごめん、今ちょっと、色々あってさ」


また同じような言葉でごまかそうとした。

でも、それしか出てこなかった。


遥は笑っていた。

無理に、だ。


「ううん。分かってるよ。すずなちゃん、大事にしてあげたいって思ってるのも、伝わってるし」


そう言ってくれる彼女の優しさが、妙に居心地悪く感じた。


「……ありがとう」


口先だけの感謝しか返せない自分が、少し嫌だった。


視線を逸らすように空を見た。

風が少し強く吹いて、遥の髪が揺れる。


その横顔を、俺は見ていた。


だけど、心はそこにはなかった。


(……あの痣、もう大丈夫かな)


(……あいつ、また何かしてこないか)


そんなことばかり、ぐるぐると頭を占めていた。


「……優翔?」


遥が声をかけてくれていたのに、返事が遅れた。


「あ、ごめん。なんかボーッとしてた」


「……ううん、大丈夫。ちょっと話したかっただけだから」


遥はそう言って、ふわっと笑った。


けど、その笑顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、気のせいだろうか。


「私ね、あんまり重たいこと言いたくないし……嫉妬とかするのも、柄じゃないから」


「……うん」


「でも、ほんの少しだけ、不安だったってだけ。だから、もう大丈夫」


また笑う彼女の顔を見ながら、俺はただ曖昧に頷いた。


遥が今、どんな気持ちでそう言っているのか。

本当は気づいていたかもしれない。


でも──


今は、ちゃんと向き合えそうになかった。


言葉が、耳の奥をすり抜けていくような感覚。

遥の声が遠く感じたのは、俺のせいだ。


なのに、なぜか──


「ありがとな、遥」


そう言って、彼女の頭を軽く撫でた。


自分でも、なんでそんなことをしたのか、よく分からなかった。


遥は、何も言わずに微笑んでいた。

ただ、静かに俺の手を受け入れてくれた。


そしてそのまま、言葉少なに帰路についた。


隣にいたのは、確かに彼女だったはずなのに。


俺の心は、別の誰かを追いかけていた。


──気づかないふりをして。

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