第59話:故郷からの便り

 ある晴れた秋の朝、クローバー工房に一羽の伝書鳥が舞い込んできた。

 美しい茶色の羽根を持つ小鳥は、リリアナの肩にそっと止まると、足に結ばれた小さな手紙を差し出した。

 「まあ、手紙?」

 リリアナが首をかしげる。最近は各地から仕事の依頼が来るようになったが、伝書鳥で送られてくることは珍しかった。

 手紙には見覚えのある文字で宛名が書かれていた。それを見た瞬間、リリアナの心臓が高鳴った。

 その文字は、幼い頃から慣れ親しんだものだった。

 「お母さんの字…」

 震える手で封を開けると、中から二通の手紙が出てきた。一通は母から、もう一通は父からのものだった。

 ***

 リリアナは工房の奥の静かな場所に座り、最初に母からの手紙を開いた。

 『愛しいリリアナへ

 元気にしていますか? お母さんです。

 突然の手紙に驚いているでしょうね。でも、どうしてもあなたに伝えたいことがあって、筆を取りました。

 あなたのこと、街の噂でたくさん聞いています。「リーフェンブルクの奇跡の錬金術師」「セレナ川を救った英雄」「人々を幸せにする魔法使い」…どの話も、あなたのことだと分かります。

 お母さんは、とても誇らしく思っています。

 あの日、あなたが家を出て行った時のことを、今でも覚えています。「錬金術師になりたい」と言うあなたに、お父さんもお母さんも反対しました。

 あの時は、心配で心配で仕方がありませんでした。錬金術がどれほど危険なものか、お母さんたちは知っていたから。

 でも、今なら分かります。あなたは、私たちが恐れていた道とは全く違う道を歩んでいたのですね。

 人を傷つける技術ではなく、人を幸せにする技術。

 破壊をもたらす力ではなく、愛をもたらす力。

 あなたが目指していたのは、そういう錬金術だったのですね。

 お母さんが間違っていました。ごめんなさい。

 そして、ありがとう。あなたが立派な女性に、素晴らしい錬金術師になってくれて。

 いつでも帰ってきなさい。あなたの部屋は、あの日のままにしてあるから。

 お母さんより

 追伸:村のみんなも、あなたを誇りに思っています。「うちの村出身の錬金術師様だ」って、自慢げに話しているのよ。』

 ***

 手紙を読み終えたリリアナの頬を、涙が静かに伝った。

 母の温かい言葉の一つ一つが、彼女の心の奥深くに染み入っていく。

 幼い頃の記憶がよみがえる。優しく髪を撫でてくれた母の手。心配そうに自分を見つめていた母の瞳。

 反対されたことを恨んでいたわけではない。でも、心のどこかで寂しさを感じていたのも事実だった。

 その寂しさが、今、温かい愛情に包まれて溶けていく。

 続いて、父からの手紙を開いた。

 『リリアナへ

 父です。

 まず、お前に謝らなければならない。

 あの日、お前の夢を理解せず、頭ごなしに反対してしまった。お前がどれほど真剣に錬金術を学びたがっていたか、どれほど人を助けたいと願っていたか、父には分からなかった。

 父が知っていたのは、昔の錬金術のことだけだった。権力と利益のために使われ、多くの人を不幸にした技術のことだけだった。

 だから、大切な娘にそんな道を歩んでほしくなかった。

 でも、お前の錬金術は違った。

 商人の話では、お前の作った道具で多くの人が幸せになっているそうだな。川を清め、街を救い、人々を笑顔にしているそうだな。

 それは、父が恐れていた錬金術とは正反対の、美しい技術だった。

 お前は正しかった。父が間違っていた。

 立派な錬金術師になったお前を、父は心から誇りに思う。

 そして、お前を信じられなかった自分を、深く恥じている。

 今度、時間ができたら顔を見せに帰ってこないか? 

 お前の話を、今度はちゃんと聞かせてほしい。お前の錬金術について、お前の仲間について、お前の夢について。

 父より』

 ***

 二通の手紙を読み終えたリリアナは、しばらく動けずにいた。

 胸の奥で、何かが温かく広がっている。それは愛情、理解、そして安堵の気持ちだった。

 両親が自分を誇りに思ってくれている。錬金術を理解してくれている。そして、いつでも帰っておいでと言ってくれている。

 家を出る時に抱いていた寂しさや不安が、完全に消え去った。

 「リリアナ? どうしたの?」

 エルミナの心配そうな声が聞こえた。

 「大丈夫? 泣いてるじゃない」

 リリアナは涙を拭いながら振り返った。

 「大丈夫です。嬉し涙です」

 彼女は手紙をエルミナに見せた。

 「故郷のご両親から?」

 エルミナが手紙を読むと、彼女の目にも涙が浮かんだ。

 「素敵なご両親ね。あなたを心から愛しているのが分かるわ」

 ヴォルフとフェリクスも近づいてきた。

 「いい知らせか?」

 ヴォルフが優しく尋ねる。

 「ええ、とても」

 リリアナは微笑んだ。

 「お父さんとお母さんが、私を認めてくれました。私の錬金術を理解してくれました」

 ***

 「それは良かった」

 工房の奥からテオが現れた。

 「君の両親は、ずっと君を愛していたのだよ」

 師匠は穏やかに微笑んでいる。

 「あの手紙の通り、彼らは錬金術の危険性を知っていた。だからこそ、君を心配していたのだ」

 テオはリリアナの肩に手を置いた。

 「でも、君の成長を見て、安心したのだろう。君が選んだ道が正しかったと理解したのだろう」

 「師匠…」

 リリアナの瞳に、再び涙が浮かんだ。

 「今度、故郷に帰ってもよろしいでしょうか?」

 「もちろんだ」

 テオが頷く。

 「君の両親に会って、お礼を言いたい。こんなに素晴らしい娘を育ててくれて、と」

 リリアナは嬉しさで胸がいっぱいになった。

 「皆さんも一緒に来ませんか?」

 彼女は仲間たちを見回した。

 「私の大切な仲間たちを、お父さんとお母さんに紹介したいんです」

 「それは素晴らしいアイデアね」

 エルミナが賛成した。

 「ぜひ、お会いしたいわ」

 「俺も行く」

 ヴォルフも頷いた。

 「お前の両親がどんな人か、興味がある」

 「私も、ぜひお供させてください」

 フェリクスも手を上げた。

 ***

 その日の夕方、リリアナは返事の手紙を書いた。

 『お父さん、お母さんへ

 素敵な手紙をありがとうございました。

 読んでいて、嬉し涙が止まりませんでした。

 お父さんとお母さんが私を理解してくれて、誇りに思ってくれて、本当に幸せです。

 私の錬金術は、確かにお父さんが心配していたような危険なものではありません。

 人を幸せにする技術。愛をもたらす技術。そういう錬金術を、師匠や仲間たちと一緒に育ててきました。

 近いうちに、必ず帰ります。

 そして、私の大切な仲間たちも一緒に連れて行きます。師匠のテオさん、親友のエルミナとヴォルフ、そして新しい仲間のフェリクス。

 みんな、とても良い人たちです。お父さんとお母さんにも、きっと気に入ってもらえると思います。

 お父さん、お母さん、愛しています。

 今度会った時には、私の錬金術について、たくさんお話しさせてくださいね。

 リリアナより

 追伸:村のみんなにもよろしくお伝えください。みんなが誇りに思ってくれているなんて、本当に嬉しいです。』

 ***

 手紙を書き終えたリリアナは、伝書鳥に託して故郷へ送った。

 小鳥は窓から飛び立ち、夕日に向かって羽ばたいていく。

 その姿を見送りながら、リリアナは心の中で家族への愛を改めて感じていた。

 反対されても、理解されなくても、いつも心の底では愛し続けてくれていた両親。

 その愛が、今こうして形になって自分の元に帰ってきた。

 「ありがとう、お父さん、お母さん」

 リリアナは小さく呟いた。

 セレナ川のせせらぎが、祝福の歌を奏でているようだった。

 家族の愛、仲間の絆、師匠の教え、街の人々の信頼。

 すべてが揃った今、リリアナの心は完全に満たされていた。

 彼女の中に残っていた最後の寂しさが、ついに温かい愛情に変わった瞬間だった。

 故郷からの便りが運んできたのは、新しい希望と、深い愛情だった。

 そして、それは彼女の人生を完全なものにする、最後のピースでもあった。

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