第32話:引き裂かれる街

 市議会の告示板に、公聴会開催の知らせが貼り出されたのは、翌朝のことだった。

「リリアナ・エルンフェルトの危険な錬金術に関する公聴会を、三日後に開催する」

 堅い文面で綴られた告示を読む人々の表情は、様々だった。眉をひそめる者、安堵の息をつく者、そして憤慨の色を浮かべる者。

 リーフェンブルクの美しい街並みに、見えない亀裂が走り始めていた。

  *** 

「あの子を悪者扱いするなんて、おかしいじゃないか!」

 宿屋「せせらぎ亭」では、朝から客たちの議論が白熱していた。女将のクララが仲裁に入ろうとするが、声はますます大きくなるばかり。

「腰の痛みから解放してくれたのは、あの娘の椅子のおかげなんだ」と、老いた商人が拳を振り上げる。

 しかし、向かい側のテーブルに座る若い夫婦は首を振った。

「でも、実際に火事が起きたのは事実でしょう?あんな危険なものを街中に広めて」

「それは金獅子商会の粗悪品が原因だと言ってるじゃないか」

「本当にそうかしら?煙のないところに火は立たないって言うし…」

 店内の空気が、みるみる険悪になっていく。いつもなら和やかな常連客同士が、テーブル越しににらみ合っている。

 クララは胸を痛めた。この宿屋は、様々な立場の人々が集い、穏やかに語り合う場所だった。それが今や、対立と不信の温床と化している。

  *** 

 商業地区の大通りでも、似たような光景が繰り広げられていた。

「リリアナちゃんの道具のおかげで、商売がどれだけ楽になったか」

 織物商のおかみが、道行く人々に訴えかける。彼女の工房には、リリアナが作った「光織りのリュラ」が設置されていた。

「あの子は、私たちのことを本当に考えてくれる。だから信じてるの」

 しかし、群衆の中から冷たい声が飛んだ。

「綺麗事を言っても、現実に被害が出てるじゃないか」

「そうだ!子どもたちの安全を考えろ!」

 賛成派と反対派に分かれた群衆が、互いに声を荒らげる。市場の喧騒が、いつしか怒号に変わっていた。

 エルミナが駆けつけた時には、もはや収拾がつかない状態になっていた。彼女の普段の明るさも、この重い空気の前では力を失っていた。

  *** 

 職人地区でも、亀裂は深刻だった。

 鍛冶屋のヴォルフが工房で金属を打っていると、隣の革細工師が顔を出した。

「ヴォルフ、お前はまだあの娘の肩を持つつもりか」

「当たり前だ。リリアナは俺たちの仲間だ」

 ヴォルフのハンマーが、一際強く金床を叩いた。火花が散る。

「だが、組合の中にも不安の声が上がってるぞ。錬金術師ギルドと金獅子商会を敵に回すリスクを考えろ」

「リスクだと?」

 ヴォルフがハンマーを置き、振り返った。その顔には、怒りの炎が宿っている。

「お前たちは、あいつがどれだけ俺たちのために頑張ってきたか忘れたのか?協力し合って、新しい価値を生み出してきたじゃないか」

「それは分かってる。だが…」

 革細工師の言葉が途切れた。彼の表情にも、苦悩の色が浮かんでいる。誰もが板挟みになっていた。

  *** 

 夕暮れ時、リリアナが工房へ戻る途中、異様な光景が目に飛び込んできた。

 工房の白い壁に、赤い絵の具で大きく文字が書かれている。

『街の害虫は出て行け』

『火事魔女リリアナ』

『危険な実験をやめろ』

 心ない落書きが、工房の壁を汚していた。リリアナの足が震えた。胸が苦しくて、息ができない。

「ひどい…ひどすぎる!」

 怒声が響いた。パン屋のハンスが、真っ赤な顔をして駆けてくる。その手には、まだ絵の具のついた筆を持った若者の腕が掴まれていた。

「この恩知らずが!リリアナちゃんがどれだけお前たちのためにやってくれたと思ってる!」

 若者は反発した。

「うるせえ!危険な魔女の肩を持つなんて、お前もおかしいんじゃないか!」

「何だと!」

 二人はもみ合いになった。ハンスの年齢を考えれば不利だったが、怒りが彼を突き動かしていた。

「やめて…やめてください…」

 リリアナの震え声が夕闇に消えた。

 周囲に人だかりができている。ある者はハンスを応援し、ある者は若者に同調する。街の人々が、二つに分かれて対立している。

 この光景を見て、リリアナの心は凍りついた。

  *** 

 ヴォルフとエルミナが駆けつけ、ようやく騒動は収まった。若者は仲間たちと立ち去り、ハンスも娘のミーナに連れられて帰っていく。

 人だかりも散ったが、工房の壁の落書きは残ったままだった。

「すぐに消しましょう」

 エルミナが提案したが、リリアナは首を振った。

「いいんです…」

 その声には、深い絶望が滲んでいた。

「私のせいで…街の皆さんが…」

 いつも穏やかだったリーフェンブルクの人々が、憎しみ合っている。友人同士が言い争い、隣人同士が疑い合っている。

 すべては、自分が錬金術師になったせいだ。生活魔道具を作ったせいだ。

「私が…」

 リリアナの唇が震えた。

「私が、いなくなれば…」

 その呟きは、夕闇の中に消えていった。

 しかし、工房の向かい側の小路で、その言葉を聞いている人物がいた。師匠のテオである。

 彼の表情は、今まで見たことがないほど厳しく、そして悲しげだった。

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