第26話:金獅子の嗅覚

 リーフェンブルク商業地区の中心部に堂々とそびえ立つ「金獅子商会」の建物。その最上階の豪奢な執務室で、支店長ゲルハルト・フォン・シュトルムは、分厚い商取引報告書に目を通していた。

 彼の机の上には、この一週間で街に流通した商品の売り上げデータが、きちんと整理されて積み上げられている。数字こそが全て。利益こそが正義。それがゲルハルトの信念だった。

「支店長」

 秘書のマルクスが部屋に入ってきた。手には、街の商取引に関する詳細な調査報告書を抱えている。

「例の件の調査結果です」

「ほう」

 ゲルハルトが書類から顔を上げた。鋭い眼光が、獲物を狙う鷹のように光っている。

「『クローバー工房』とやらの実態はどうだった?」

「予想以上です」

 マルクスが報告書を開く。

「冒険者ギルドからの大量発注に始まり、今では一般市民からの注文も殺到しています。特に、職人協同組合なるものを結成してからは……」

「職人協同組合?」

 ゲルハルトの眉がぴくりと動いた。

「素人集団が何を企んでいる」

「相互に技術支援を行い、共同で素材を調達し、情報を交換しているようです。その結果、これまで不可能だった高品質な製品を、比較的安価で提供することに成功しているとか」

 ゲルハルトは無言で報告書を受け取ると、その内容に目を走らせた。売上げの推移、顧客の評価、製品の特徴……全てのデータが、一つの事実を示している。

 小さな工房が、大きな市場性を秘めているということを。

 *** 

「興味深いな」

 ゲルハルトがゆっくりと立ち上がった。窓の向こうには、活気に満ちた商業地区の風景が広がっている。

「で、彼らの製品の特徴は何だ?」

「『心に寄り添う』製品作りと言われています」

 マルクスが報告書の一部を読み上げる。

「使用者の体格や癖に合わせて微調整される椅子、個人の視力に最適化される照明装置、使う人の感情を読み取って反応するコンパスなど……」

「ふむ」

 ゲルハルトの唇に薄い笑みが浮かんだ。

「つまり、オーダーメイドに近い付加価値を持った製品ということか」

「その通りです。そのため、顧客満足度は極めて高く、口コミによる評判も上々で……」

「だが」

 ゲルハルトが報告を遮った。

「それは同時に、大量生産には向かない製品ということでもある」

 彼の瞳に、商人特有の計算高い光が宿った。

「一品一品に時間をかけて作っているということは、供給量に限りがある。需要があるのに供給が追いついていない市場……」

 ゲルハルトがくるりと振り返る。

「これは、絶好の商機だな」

 *** 

「マルクス、すぐに手配しろ」

 ゲルハルトが命令口調で告げた。

「クローバー工房の製品を、可能な限り買い集めるんだ」

「買い集める、ですか?」

「そうだ。構造を分析するためにな」

 ゲルハルトが机に戻り、羊皮紙を取り出した。

「彼らの製品の『機能』だけを抽出し、『心』だの『想い』だのといった無駄なものを削ぎ落とす。そして、安価で大量生産できる形に再設計するのだ」

 彼のペンが、素早く計画を書き記していく。

「品質は多少落ちても構わない。重要なのは、彼らの十分の一の価格で、似たような機能を提供することだ」

「しかし、それは……」

 マルクスが躊躇した。

「模倣品ということになりませんか?」

「模倣品?」

 ゲルハルトが顔を上げて、冷たく笑った。

「馬鹿を言うな。我々は『改良』するのだ。非効率な部分を取り除き、より多くの消費者の手に届きやすくする。これは立派な事業だ」

 彼の声に、一片の迷いもない。

「心など不要。重要なのは、安く、大量に作れることだ」

 *** 

 その日の夕方、金獅子商会の作業場では、慌ただしく分析作業が始まっていた。

 机の上には、クローバー工房で作られた様々な道具が並んでいる。「心を聞く椅子」「絆のコンパス」「温度調整器」……一つ一つが、丁寧な手作業で作られた温かみを感じさせる逸品だった。

「この椅子の可変機構は……単純な錬金術の応用だな」

 技師のハンスが、椅子を分解しながら呟いた。

「材料を安いものに変えて、調整機能を簡略化すれば、コストは三分の一に抑えられる」

「コンパスの共鳴システムも、粗悪な魔石で代用可能です」

 別の技師が報告する。

「精度は落ちますが、一般消費者には分からないでしょう」

 ゲルハルトは、部下たちの報告を満足そうに聞いていた。

 彼の目には、リリアナたちが込めた想いや工夫は、全く映っていない。見えるのは、数字と効率と利益だけ。

「素晴らしい」

 ゲルハルトが手を叩いた。

「この調子で、全製品の簡易版を作り上げろ。来週までには、試作品を完成させるんだ」

 *** 

 その頃、クローバー工房では、リリアナとエルミナが新しい注文書を整理していた。

「今日だけで十五件も注文が入ったのね」

 エルミナが嬉しそうに報告する。

「でも、これ以上増えると、とても追いつかないわ」

「そうですね」

 リリアナが困ったような顔をした。

「みなさんにお待ちいただくのは申し訳ないのですが……」

「仕方ないわよ。一つ一つ、心を込めて作るのがリリーのやり方なんだから」

 エルミナが微笑む。

「急いで粗悪なものを作るより、時間をかけても本当に良いものを作る方が、きっと正しいわ」

 二人の会話に、温かい信頼関係が滲み出ている。

 彼女たちは、まだ知らない。

 自分たちの成功が、どれほど大きな脅威の目を引きつけているのかを。

 そして、その脅威が、間もなく街全体を巻き込む大きな災いをもたらそうとしていることを。

 *** 

 夜更け、金獅子商会の建物で、ゲルハルトは一人、窓の外を見つめていた。

 遠くに見えるクローバー工房の小さな灯りが、まるで眼の上のたんこぶのように感じられる。

「小さな手工業者が、我々の商圏を荒らすなど……」

 彼の手が、机上の試作品に触れた。それは、リリアナの「心を聞く椅子」を模倣した粗悪品だった。

 見た目は似ているが、そこには作り手の想いも、使い手への配慮も、一切込められていない。

「だが、これで十分だ。市場は価格で決まる」

 ゲルハルトの瞳に、冷酷な光が宿った。

「『街角の錬金術師』など、所詮は時代遅れの理想主義者。現実の厳しさを、思い知らせてやろう」

 金獅子の牙が、静かに研がれていた。

 街に大きな嵐が訪れようとしている。そしてその嵐は、リリアナたちが想像するよりも、はるかに恐ろしいものになるだろう。

 しかし、この時はまだ、誰もその災いの深刻さを知る由もなかった。

 クローバー工房の灯りは、今夜も変わらず、希望の光を放ち続けている。

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