第2話
思いの
マイナス190度の世界では生身の人間は生きられない。呼吸しただけで肺から出血して即死してしまうからだ。もっとも真空の宇宙空間では呼吸など出来ないし、コロニーに大気が残っていたとしても極寒の中では生存は不可能だろう。
そのため俺たちが船外で活動する時には銀河アースガルド帝国軍で正式採用されているインペリアル・スペース・スーツ、通称ISSに身を包む。
これは絶対零度のマイナス273度から摂氏2000度の高温まで耐えるもので、有害な宇宙線や深度1000mの水圧からも人体を守ってくれる、士官学校で最初に支給される装備だった。
そうして俺たちは船外作業を開始するために気密室に入る。
「スラスターは装着したな?」
「手順通りに装着した。問題ない」
「私も大丈夫」
スラスターとは主に宇宙空間で移動や姿勢制御のために使用する推進装置のことだ。もちろん安全のために自身の体はタングステン合金の鎖で船と繋がれている。万が一スラスターが動作不良を起こしたり、他の安全装置が全て故障しても確実に船に戻るためだ。
この前々時代的な物理の命綱が、実は最も信頼性が高いというから皮肉なものである。
「探索のリーダーは俺が務める」
「ユリウスが? いいのか?」
「ハルトでは少々頼りないからな」
「言ってくれる。まあ確かにユリウスが適任だろう」
「私はハルトでもいいけど」
「ユリウスにはなにか考えがあるんだろうさ。いいから任せようぜ」
「う、うん。分かった……」
レイアのヤツ、今回はヤケに歯切れが悪いな。いつもならリーダーには俺よりユリウスを推してくるのに不思議だ。
「ハッチのロックを確認。エマージェンシープラグを
「エマージェンシープラグ
エマージェンシープラグとは宇宙空間に出る前にISSに異常があると知らせてくれる安全装着である。異常を検知した場合には気密室内が即座に空気で満たされ、室温が上がる仕組みになっていた。
「5分にセット。減圧開始!」
5分後に気密室が外の空間と同じマイナス190度の真空状態となる。空気が希薄になり室温が下がっていく様子が、ヘルメットでいうシールドのモニターに映し出された。完全遮光で外からは黒にしか見えないが内部は肉眼より視認性が高い。遠く輝く星の明かりさえあれば暗闇でも照明は不要だ。
やがて気密室が船外の空間と同じ状態になると、ハッチのロックが解除された。異常を検知しなかったエマージェンシープラグを抜き、重いタングステン合金の鎖が無重力で揺らめいているのを横目に見る。ユリウスが気密室のハッチを開けた。
「降下する。私に続け!」
「おう!」
「分かったわ!」
回転が止まって重力制御されていないコロニー内では自然落下はない。船外に出る際に目標地点に向けて船体を蹴り、しばらく惰性で下降してからスラスターで姿勢制御し三人が横並びになる。目指すのは今も赤と黄色に明滅している救難信号装置だ。
「ユリウス、どうしてレーザーガンなんて持ってきたんだ?」
「万が一の時のためだ」
「生命反応もドロイドの識別信号もないのに?」
「未知の生命体がいないとは限らないからだよ」
「いたとしたってさすがにマイナス190度の真空では生きられないだろう?」
「宇宙には我々の常識では測りきれないものがいくらでもある」
「そんなもんか」
一応俺とレイアもユリウスの指示で武器は携帯している。使わないに越したことはないし、使う機会もないとは思っているが、不測の事態とは想定外だから起きるものだ。彼の言う通り警戒していて損はないだろう。
間もなく救難信号装置の許に辿り着くと、俺たちは各種センサーで信号を発している大元を探した。装置は格納庫の扉の脇に取り付けられている。調査の結果やはり生命反応はもちろん、ドロイドの識別信号もなかった。
そこで救難信号装置を取り外してみたが、結線されている様子はない。つまりどこにも繋がっていないということである。むろん無線電波の類が飛んでいないのは確認済みだ。
「スタンドアロン化して異常と判断したのか」
「ある意味優秀な装置ってことね」
「この
「およそ800年前か」
「次の
「どちらも根拠のはっきりしない説なんだよ」
「でもさ、廃棄されたコロニーの救難信号装置が未だに生きていることが不思議よね」
「逆に使われてなかったものがコロニー廃棄で誤動作したのかもな」
「とにかくこれを持ち帰れば成果としては十分だろ。メドギド発見もあるし」
「格納庫の中はどうするの?」
「ロックはかかっていないようだ。当然調べる」
「まあ何もないだろうけど、ここはリーダーに従っておこうか」
ところが格納庫の扉を開けた俺たちは唖然とせずにはいられなかった。一瞬にして庫内に明かりが灯り眩しさに目がくらんだが明るさは即座に修正される。そこで見えたもの、それは巨大な何かだった。
「やはりここにあったか……」
「ユリウス?」
「いや、なんでもない。すごい発見に驚いただけだ」
格納庫は俺の想像を遥かに超える広さだった。そしてそこに眠っていたものは、およそ800年前に廃棄されたとは思えないほど美しい建造物だったのである。
それはむしろ次の千年紀からもたらされたと言われた方がしっくりくるほどだった。黒光りする表面は角度によって赤みを帯びた輝きを反射し、端が見えないほどに巨大な建造物。
「アリスイリス……」
「え? ハルトなに?」
「今の聞こえなかったのか? コイツの名前はアリスイリス、
「そ、そう……」
「ん? レイア、どうかしたのか?」
「な、なんでもないわ」
「まさか! ハルトに聞こえたのか!?」
「あ? ああ。ユリウスには?」
「クソッ!」
「ユリウス?」
「い、いや、すまん、私にも聞こえなかった」
どうやら声は俺にしか聞こえなかったらしい。涼やかな女性の声で耳に心地よかっが、もしや精神感応なのだろうか。しかしあの技術は提唱されてはいるものの実用化にはハードルが高すぎて、目処すら立っていなかったはずだ。
それより俺はこのところのユリウスの様子が気になっていたが、あえて問い詰めることはしなかった。
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