第3話 アルビレオの告白

 ​列車は、白鳥の停車場、アルビレオで静かに止まった。


 プシュー、という音と共にドアが開くと、サファイアの青とトパーズの黄金色の光が、霧のように車内へ流れ込んでくる。ホームは、まるで巨大な水晶を削って作られたかのようだった。磨き上げられた床は、二色の光を映してきらめき、柱の一本一本には、美しいレースのような模様が彫られている。

 しかし、その完璧な美しさの中には、誰の姿も見当たらなかった。時折、風鈴のような澄んだ音が、ホームの向こうから聞こえてくるだけだった。


 ​コウとミオは、降りなかった。いや、降りられなかった。

 ドアは開かれたまま、列車はただ静かにそこに佇んでいる。まるで、車内に残された二人に、何かを決めるための時間を与えているかのように。


 ​重い沈黙を破ったのは、コウだった。


​「……君は」


 彼の声は、自分でも驚くほど静かだった。


「君は、ずっと何かから逃げてるみたいに見える。……僕と、同じだ」


 ​ミオの肩が、びくりと震えた。彼女はゆっくりと顔を上げ、初めてコウの目をまっすぐに見た。その瞳は潤み、怒りと、それ以上の深い悲しみに揺れていた。


​「あなたに何がわかるのよ……。私のことなんて、何も知らないくせに」


​「知らないよ。知らない。でも……わかる。わかるんだ。誰かを置いていくのも、誰かに置いていかれるのも、どっちも、すごく怖いってことくらい」


 ​コウの言葉は、父親が出て行ったあの朝の、無力な自分の心から絞り出したものだった。その言葉が、ミオの心の固い殻に、小さなひびを入れたのかもしれない。彼女の唇が、かすかに震えた。


​「……あの日も、雨が降ってた」


 ​ぽつり、と彼女は語り始めた。視線は、再び窓の外の、誰もいない美しい停車場に向けられている。


​「すごく、雨が降ってたの。……約束、したのに。私は、逃げた。あの子を残して……一人で、逃げちゃったんだ。……怖かったの。どうしようもなく怖くて、自分のことしか……考えられなかった……」


 ​ミオの言葉は断片的で、主語も目的語も曖昧だった。けれど、その一つ一つの単語が、取り返しのつかない後悔の重みを持って、コウの胸に突き刺さる。彼女の脳裏に映る、雨に濡れたアスファルトの匂い、遠ざかるサイレンの音、そして、「ごめん」と最後まで言えなかった唇の感触。それらが、コウにも伝わってくるようだった。


 ​コウは、何も言えなかった。安易な慰めの言葉は、きっと彼女をさらに傷つけるだろう。ただ、ミオの隣で、彼女が背負う痛みのひとかけらを、共に感じようと努めた。


 ​その時だった。


 水晶のホームを、二つの影がゆっくりと横切った。編み物のかごを抱えた白髪の老婆と、無精髭を生やした虚ろな目つきの若い男。二人は、まるでこの世のすべてに興味がないという様子で列車に乗り込むと、コウたちの少し離れた席に、どさりと腰を下ろした。


 ​やがて、発車のベルが優しい音色で鳴り響き、列車は再び静かに動き出す。


​「……どうせ、この景色も、いつかは消えるんでしょ?」


 ​青年が、独り言のように呟いた。その声は、乾いていて、何の感情もなかった。


​「意味ないじゃん……」


 ​すると、老婆が、編み物から顔を上げることもなく、穏やかに答えた。その手は、休むことなく毛糸を操っている。


​「……でもねぇ、坊や。消えるからこそ、その一瞬が、かけがえなく輝くんだよ」


 ​その言葉は、誰に言うでもなく、ただ車内の空気の中に溶けていった。


 コウは、老婆の言葉を胸の中で反芻した。消えるからこそ、輝く。流れ星のように。この旅のように。


 彼は、まだうつむいているミオの横顔を盗み見た。彼女の罪も、自分の弱さも、今はまだ、どうすればいいのかわからない。けれど、この旅の終わりで、何かが見つかるかもしれない。老婆の編み物のように、このバラバラな出来事も、いつか一つの模様になるのかもしれない。


 ​コウは、そう信じてみることにした。


 窓の外では、二色の宝石のようなアルビレオの光が、ゆっくり、ゆっくりと小さくなっていく。まるで、遠い日の約束のように。

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