第1話 夜の銀河鉄道
星見台学園の錆びた門を抜け、二人は黙って坂道を下った。ひゅう、と風が草いきれの匂いを運び、どこかで鳴く虫の声だけが、やけに高く響いていた。
コウは半歩先を歩くミオの、その白いワンピースの裾が、街灯の光を浴びては闇に溶けるのを、ただぼんやりと目で追っていた。気まずい沈黙が、まるでガラスの壁のように二人を隔てている。
駅の自動改札を抜けると、むわりとした生温かい空気が肌にまとわりついた。蛍光灯がすべてを青白く照らし出し、一日の終わりの気怠さがホームの隅々にまで澱んでいる。やがて、闇の向こうから二つの光点が近づき、地響きと共に最終電車が滑り込んできた。
プシュー、と気の抜けた音を立ててドアが開く。まばらな乗客を乗せた車内は、がらんとしていた。コウとミオは、吸い寄せられるように同じ車両に乗り込み、ドア近くの席に向かい合わせに座った。
発車のベルが鳴り響き、電車はゆっくりと動き出す。ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。見慣れた夜の街が、窓の外を規則正しく流れていく。それはいつもと同じ、退屈な日常の光景のはずだった。
「……さっきの」
先に沈黙を破ったのは、コウだった。
「『ごめんね』って、どういう意味?」
ミオは、窓の外に視線を向けたままだ。その横顔に、流れる街灯の光が明滅する。彼女は答えなかった。ただ、ガラスに映る自分の顔を見つめている。完璧なはずの笑顔は、そこにはなかった。
「……私ね」
ぽつり、とミオが呟いた。それは、ほとんど音にならないような、か細い声だった。
「私、本当は……、消えちゃいたいって、時々思うんだ」
その言葉が、まるでスイッチだったかのように。
キィン―――。
耳鳴りのような、澄んだ音が車内に響いた。ガタン、ゴトン、という無骨なリズムが、ふつり、と途絶える。代わりに、どこか遠くで奏でられる弦楽器のような、静かで厳かな調べが聞こえ始めた。
「え……?」
コウが顔を上げると、車内の蛍光灯が一度、激しく瞬いた。そして次の瞬間、それはまるで銀の砂を振りまいたかのように、無数の青白い光の粒に変わり、天井できらきらと輝き始めた。シートの硬い感触が消え、まるで雲の上に座っているかのような、奇妙な浮遊感が体を包む。
「な、なんだ……これ……」
コウは言葉を失い、窓の外に目をやった。
信じられない光景が、そこに広がっていた。さっきまで流れていたビルの輪郭や道路の光が、水彩絵の具のように滲み、溶け合い、やがて完全な闇に変わる。そして、その漆黒のビロードを突き破るように、星が、生まれた。一つ、また一つと。数えきれないほどの星々が、ダイヤモンドダストのように窓の外を埋め尽くしていく。目の前には、天の川が、巨大な光の河となって、静かに、雄大に流れていた。
「……きれい……」
隣から、震える声が聞こえた。見ると、ミオが窓に額を押し付け、その大きな瞳にいっぱいの星を映していた。彼女の頬を、一筋の涙が伝っていくのが、星の光に照らされてきらりと光った。それは悲しみの涙なのか、それとも安堵の涙なのか、コウには分からなかった。
この現象は、科学では説明できない。幻覚? 集団催眠? いや、違う。肌で感じるこの空気、耳に届くこの音、そして心を揺さぶるこの光景は、あまりにも鮮烈な「現実」だった。
その時、いつの間にか、車両の連結部のドアの前に、一人の青年が静かに立っていることにコウは気づいた。すらりとした長身に、首には黒いスカーフを巻いている。憂いを帯びたその瞳が、まっすぐに二人を見つめていた。
青年は音もなく二人に近づくと、深く、丁寧にお辞儀をした。
「ようこそ。切符を拝見いたします」
その声は、夜風のように穏やかだった。
「切符……? そんなもの、持ってないけど」
コウが戸惑いながら答えると、青年はかすかに微笑んだ。その笑みは、すべてを見透かしているかのようだった。
「いいえ。あなた方は、ちゃんとお持ちです。銀河鉄道の切符は、目に見えるものではございませんから」
青年は、コウとミオの胸のあたりを、指さすでもなく、ただ視線で示した。
「この列車は、銀河ステーション行き。様々な想いを乗せて、星々を巡ります。ご安心ください。終点は、あなた方自身がお決めになる」
そう言うと、青年は再びお辞儀をし、ふっと霧のように姿を消した。車内には、甘いりんごのような、不思議な香りがふわりと漂っていた。
コウとミオは、顔を見合わせた。
窓の外では、瑠璃色の闇の中を、列車が銀の河に沿って、どこまでも、どこまでも進んでいく。二人の、長く不思議な旅が、今、静かに始まった。
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